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「おはようさん! 灯台、行こうや! トゥカラちゃんが待ってる!」


 沙羅の、弾むような声。


 桟橋で、真っ白なアザラシ――トゥカラが、朝日に輝く波間で、仰向けに寝転んでいた。


 その、まんまるのお腹の上で、カモメが二羽、羽を休めている。


 沙羅が俺の着物の袖を引く。


「おう、遅いぞお前ら! 潮目が変わっちまう!」


 トゥカラが、腹の上のカモメをパタパタとヒレで追い払い、身を起こした。ぴょんと海面に飛び移り、青く光って、巨大化していく。



「悪い」


 俺と沙羅は、トゥカラの背中に取り付けられた鞍に跨る。


 革の感触と、その下にあるトゥカラの温かい体温。


 まるで、巨大な生きる船だ。


「しっかり掴まってな! 目指すは西の果ての、忘れじの灯台だ!」


 トゥカラが尾びれで力強く海面を叩く。


 ドン! という衝撃と共に、俺たちは大海原へ躍り出た。


 風が、頬を叩く。


 流氷の海を抜け、景色は徐々に荒涼とした岩礁地帯へと変わっていく。


 空の色も、澄んだ青から、少しずつ紫がかった灰色へと澱んでいくようだった。


「なあ、センセー!」


 前の席で、沙羅が風に負けない大声を出す。


 長い胡桃色の髪が、俺の顔にパシパシと当たる。


「灯台って、なんであんな寂しい場所に建ってるんやろなー?」




「……船が迷わないためじゃないか? 街の光がない場所にこそ、灯台の光が必要だから」


「ふーん。健気やなあ。誰も見てへんのに、ずっと光り続けて」


「誰も見ていないわけじゃない。迷っている船にとっては、唯一の救いだから……」


「見えてきたぜ! あれが『忘れじの灯台』だ!」


 トゥカラの声で、俺は我に返った。


 前方の海上に、鋭く突き出した岬があった。


 波が荒々しく岩肌を噛み、純白の飛沫を上げている。


 その断崖絶壁に、灯台が立っていた。石造りの台形の土台の上に、鮮やかな朱色の神社のような建物が乗っている建造物だ。光を発する灯ろう室に、今は光はない。


「トゥカラ。岬の付け根につけてくれ」


「……おいおい、なんか嫌な匂いがするぞ。古い血の匂いだ」


 トゥカラが、黒く湿った鼻をひくつかせる。


 浜辺に上陸した俺たちは、灯台へと続く、石畳の道を歩き始めた。


 石段は苔むし、両脇には風化した地蔵が並んでいる。


 風がないのに、ざわざわと草木が揺れる。


「ここ、気持ち悪いわ……」


 沙羅が、不安げに俺の肩に身体を寄せる。


「大丈夫だ」


 そう言いながらも、俺自身の心臓も、早鐘を打っていた。


 灯台の根元から数メートルほどの地点までたどり着いた。


 俺たちは息を呑んだ。




 灯台の壁面に、無数の赤い、円形の跡が残されていた。


「なんや……これ」


 その時だった。


 ――ザンッ


 風切音と共に、空から、吸盤を持つ赤い腕が、鞭のように降ってきた。


 石畳が砕け、土煙が舞う。




 飛び退りながら、灯台を見上げる。灯台の光源部分、灯籠室を覆い隠すように、巨大な軟体動物が巻き付いている。それは、動脈血のような赤色をしていた。


「タコの形……海の賢者・アッコロカムイ?! 礼言華れげんげ海の深くにいるはずなのに……」


 器用に陸の上を滑り、攻撃を避けたトゥカラが、首らしき部位をかしげる。


「神様同士、話せば分からんの?!」


「無茶言うなよ!」


(灯台の影に隠れて、襲ってきた……知性ある、神だ)


八本の腕は、灯台を締め上げるように絡みついている。


その中央、頭部に当たる部分には、巨大な「目」が一つ、見開かれていた。金茶のその目は、白く濁った膜に覆われていた。


――ギョロリ。


 濁った目が、俺たちの方を向いた。


 ぬらりと赤く光る、巨大な腕が、再度、俺たちに伸びた。


 しかし、その腕はなぜか俺たちではなく、俺たちの眼前の、灯台へ続く石畳を破壊する。


「剣業執行――翠柳・幻波すいりゅう・げんは!」


 沙羅が水平に刃を振るうと、しだれ柳のような、線状の衝撃波が、短距離を飛ぶ。


 緑に輝く波は、アッコロカムイの腕の一本を捉え、スパッと先端を切り落とした。


 断面から、墨のような黒い体液が噴き出す。


「効いたか?!」


 だが、切り落とされた腕は、地面でのたうち回った後、瞬時に再生を始めた。


 そして、傷口から二股に分かれ、倍の数になって襲いかかってくる。


「増えた?! 嘘やろ!」


 沙羅が顔をしかめる。


「切ると増えるんなら、物理で押すぜ! ……陸も、俺様の縄張りだ!」


 トゥカラが咆哮する。体を丸めて弾みをつけ、ボーリングの球のように回転しながら突進した。


氷塊突貫コン・ホリッパ!」


 ドゴォッ!


 分厚い脂肪の鎧を纏った、トゥカラの体当たりが、迫りくるタコの腕に炸裂する。タコの腕は、少し動きが鈍ったように見えた。


「沙羅ちゃん、トゥカラ、時間を稼いでくれ! 俺が『診断』する!」


「合点承知! 頼むで、センセ!」


「盾になるぜ!」


 二人が前線を支える間に、俺は右手をかざし、意識を集中させる。


 視界が明滅し、世界が金色の構造図へと置換される。


 同時に、側頭部を釘で打たれたような激痛が走った。


 現実の肉体が悲鳴を上げている。


 だが、止めるわけにはいかない。


「医業執行――神脈・透視!!」


 アッコロカムイの巨大な体内。


 通常ならば、神としての核――神脈の集中する弱点が、金色に輝いて見えるはずだ。


 しかし。


「なっ……?」


 光が見えない。


 いや、光ろうとした瞬間に、アッコロカムイが、体の中心を、灯台の裏に隠した。


「自分が解析されていることを理解し、弱点を隠蔽した……? 賢いな」


 内心、焦る。しかし、巨大な赤い腕に押されつつある前衛二人に、悟られるわけにいかない。


(まずい、どうしたら……あれ?)


 ふと、違和感を感じた。


 アッコロカムイは八本の腕を縦横無尽に動かし、沙羅とトゥカラを攻撃する。しかし、その攻撃は、妙に的を外している。


 今も、トゥカラに伸びたはずの赤い腕が、脇にあった木をなぎ倒した。


(もしかして)


 俺の視線は、あの白く濁った巨大な「目」に吸い寄せられた。


 眼球の水晶体レンズは、白く混濁している。


「……白内障か?!」


 本来、透明であるはずの水晶体を構成するタンパク質「クリスタリン」が、変性し、凝集している。


「眼が見えなくなって、視界を失って……陸に上がってしまったのか……?」


 俺が呟く。沙羅が、息を切らせて応えた。


「唯一の灯台の光にすがって、陸にまで来てしもたんか……なんや、可哀想やな」


「いや、混乱して、訳がわからなくなったんだろ」


 俺は冷静に返した。


「トゥカラ! 頼む、タコを地上に引きずり下ろしてくれ! 倒す必要はない。きっと、治せば帰る!」


「治すって……あんな、暴れるデカブツを?!」

少しでも続きが気になると思って頂いた方は、ブックマーク頂ければ幸いです。

3/30まで、1日複数話、定期的に投稿します。(全体で20話程度で、一段落となります)

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