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井戸つむぎの民俗学レポートⅢ 逆流の雛流し  作者: 御園しれどし


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第一章:還り雛の招待状

「道成さん、聞いてください! ついに見つけましたよ、時間の矢をへし折り、エントロピーの法則に真っ向から反旗を翻す、究極の『逆走する伝統』を!」


 大学の講義棟の廊下で、井戸つむぎは鼻息を荒くしてスマートフォンの画面を突きつけた。画面には、V字型の深い谷底を流れる清流と、そのほとりに整然と並ぶ古い民家が映し出されている。


「……つむぎ、悪い予感しかしないんだけど。そこ、どこ?」


 九条道成は、一ヶ月前の『不還の追儺』で鼻腔の奥にこびり付いた鰯の腐臭がようやく消えかけたばかりの鼻を、防衛本能的にひくつかせた。


淡島村あわしまむらです。今週末、そこで『還りかえりびな』という神事が行われるんです。通常、流し雛といえば厄を乗せて下流へ、および海へと流し去るもの。ですが、この村の雛は……夜の間に川を遡上して、持ち主の枕元へ戻ってくるというのです!」


「戻ってきちゃダメだろ、厄なんだから」


「そこです! 捨てたはずの厄が自らの足で、あるいは水の意志で戻ってくる。これぞ『形代かたしろの帰還』という、民俗学における究極の未練の具現化! ああ、物理学者が頭を抱える音が聞こえてくるようです。最高にゾクゾクしませんか?」


 つむぎの瞳は、もはや好奇心を通り越して学術的な狂気を宿している。道成は断固拒否しようとしたが、つむぎは間髪入れずに「招待状」を提示した。


「道成さんの友人、淡島結弦あわしま ゆづるさんからの直々の招待ですよ。彼、困っているみたいです。自分が『還り雛』のターゲットになるかもしれないって」


「結弦が……?」


 道成の脳裏に、淡島神社の若き権禰宜であり、自分と同じく「古すぎる実家の因習」に振り回されている友人の顔が浮かんだ。彼は道成に対し、常々「うちは女系が強すぎて、男は消耗品扱いなんだ」と零していた。


 数日後。二人が降り立った淡島村は、見事なまでに美しい水の都だった。だが、その美しさはどこか、底の見えない淵のような危うさを孕んでいる。


「ようこそ、道成。……それと、噂の『九条家の鏡餅を解体した方』ですね」出迎えた結弦は、権禰宜の装束に身を包んでいたが、その顔色は驚くほど青白い。


「結弦、大丈夫か? またお祖母さんに無理難題を?」


「ああ……。今年の雛流しで、僕は『舟番』をやらされることになった。極寒の川に腰まで浸かって、流れてくる雛を網で回収する役目だ。でも、問題はそこじゃない」


 結弦は周囲を気にしながら、声を潜めた。


「蔵に封印したはずの、二十年前に失踪した母の『女雛』が、夜な夜な硬い胡粉の指先で蔵の扉を、内側からカリ、カリ、と引っ掻くような音を立てるんだ……」


「(……蔵の扉を叩く雛! 素晴らしい、ポルターガイスト現象の民俗学的解釈が必要ですね!)」


 つむぎのペンが、水を含んだような重い音を立ててフィールドノートを走る。


「道成さん、安心してください。今度は『鰯ヘッド』も『逆さ札の監禁』もありません。ただ、美しい川辺で人形を拾うだけ。なんて平和的な調査でしょう!」


「……君がそう言う時が、一番平和じゃないんだよ」


 道成の予感は的中した。その夜、淡島神社の長老・琴音によって告げられた「舟番」の真の役割は、道成を絶望させるに十分なものだった。


「九条の若君。あんたには結弦の『つい』として、黄泉の入り口に似た逆流門で立ってもらう。還ろうとする雛の執念を、その身で受け止める覚悟をしな。しくじれば、あんたも雛と一緒に、冷たい水底の住人になってもらうよ」


 つむぎは、そんな道成を横目に、闇夜の川面にライトを向けた。月明かりを弾く水面に、まだ儀式前のはずの赤い振袖を纏った「小さな影」が、重力を無視した緩慢な動きで、流れに逆らいながら上流へ歩み寄ってくるのが見えた。


「還り雛の招待状」――それは、水底に沈んだ母たちの情念が、逆流を始める合図だった。

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