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期待という暴力

暴力は、

必ずしも拳の形をしていない。


そのことを、

俺はこの頃になって知った。



朝、家の前に食べ物が置かれていた。


誰が持ってきたのかは分からない。

名も書かれていない。


だが、

理由は分かっていた。


――英雄だからだ。



断ろうとした。


だが、

それはできなかった。


断れば、

相手を傷つける。


受け取れば、

当然のこととして受け取っているように見える。


どちらを選んでも、

何かが壊れる。


それが、

期待というものだった。



村の会議に呼ばれるようになった。


発言を求められているわけではない。

だが、

俺が黙っていると、

話が進まない。


誰かが言う。


「あなたはどう思う?」


その一言で、

空気が変わる。



俺が頷けば、

それが結論になる。


俺が首を振れば、

最初からやり直しになる。


言葉を選ぶほど、

重さが増していく。



「期待されているんだ」


長老はそう言った。


「それは、

 信頼の証だ」


信頼。


確かに、

悪い言葉ではない。


だが、

信頼は裏切れる。


期待は、

裏切れない。



ある日、

小さな揉め事が起きた。


畑の境界を巡る争いだ。

今までは、

当事者同士で解決していた。


だが、

その日は違った。


「彼に決めてもらおう」


誰かがそう言った。


俺は、

剣を持っていない。


法も知らない。


ただ、

あの夜に逃げなかっただけだ。



それでも、

皆は待っている。


正しい答えを。

間違えない判断を。


英雄なら、

できるはずだと。



俺は言った。


「俺には分からない」


その瞬間、

空気が凍った。


失望ではない。

怒りでもない。


困惑だった。


期待されていた答えが、

出てこなかったときの顔だ。



誰かが小さく言った。


「……前は、できたのに」


前とは、

いつのことだ。


血の夜か。

剣を取った瞬間か。


それとも、

皆が勝手に作った

英雄像の中の俺か。



その日から、

視線が少し変わった。


感謝は残っている。

敬意もある。


だが、

そこに混じるものがあった。


不安だ。


この人は、

本当に期待どおりなのか。



期待は、

裏切られる前から、

相手を縛る。


応え続けなければならない。

外れれば、

理由を問われる。


だが、

最初にその役を

引き受けた覚えはない。



夜、

一人で座っていると、

気づいた。


剣を取らなくても、

俺はもう戦っている。


相手は、

敵ではない。


皆の善意だ。



期待は、

刃を持たない。


だから、

血は流れない。


だが、

確実に削っていく。


逃げる自由。

迷う権利。

間違える余地。


それらを、

静かに奪っていく。



このとき、

はっきりと分かった。


英雄とは、

称号ではない。


期待を一身に集める装置だ。


そして、

その期待は、

誰も責任を取らない。



もし、

俺が折れたら。


「期待しすぎた」と

言われるだろう。


だが、

期待した側は、

傷つかない。


折れた側だけが、

壊れる。



その夜、

俺は初めて考えた。


もし、

この役から降りられるなら。


英雄であることを

やめられるなら。


それは、

逃げになるのか。


それとも、

次の世代を守るための

選択になるのか。



だが、

その問いもまた、

すでに俺一人のものではない。


期待という暴力は、

今日も静かに、

正しさの顔をして

俺を囲んでいる。

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