正当化の始まり
それは、命令ではなかった。
通達でも、法でもない。
ただの「整理」だった。
だからこそ、
誰も止めなかった。
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数日後、村に紙が配られた。
大きな文字はない。
英雄の名も、
剣の絵もない。
淡々と、
事実だけが並んでいる。
•被害規模
•生存者数
•防衛行動の概要
そして最後に、
一行だけ付け足されていた。
「適切な判断により、被害は最小限に抑えられた」
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誰も異議を唱えなかった。
その文は、
誰かを責めていない。
誰かを称えてもいない。
ただ、
出来事を“評価”しているだけだった。
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長老は言った。
「これでいい」
その言葉の意味が、
俺には分からなかった。
「これで、次に備えられる」
長老は続けた。
「正しかったと分かれば、
皆、同じ行動が取れる」
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同じ行動。
その言葉が、
妙に耳に残った。
昨夜のことは、
繰り返される前提になっている。
そして、
繰り返すべき行為として、
整えられている。
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「判断基準が必要だ」
“確認の男”は、
そう言って紙を指で叩いた。
「偶然では、
人は動けない」
「だから、
理由を用意する」
俺は、
その言葉を遮った。
「理由は、
俺の中にもない」
男は驚いた様子もなく、
淡々と答えた。
「個人の内面は、
基準にならない」
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その日から、
言葉が少しずつ変わった。
逃げなかった → 迅速な判断
剣を取った → 適切な防衛行動
守れなかった命 → 想定内の損失
どれも、
間違ってはいない。
だが、
正確でもなかった。
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俺は、
その変換を見ていた。
選択が、
意味を失っていく。
問いが、
答えに置き換えられていく。
それは、
誰かの悪意ではない。
安心のためだった。
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村の人々も、
次第に同じ言葉を使い始めた。
「正しかった」
「仕方がなかった」
「最善だった」
その言葉は、
夜を越えるための薬だった。
だが、
効き目が強すぎた。
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ある晩、
子どもが聞いた。
「ねえ、
どうすれば正しいの?」
その問いに、
大人たちはすぐ答えた。
「前と同じようにすればいい」
それは、
問いへの答えではなかった。
問いを消すための答えだった。
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その夜、
俺は眠れなかった。
正当化は、
剣よりも静かだ。
血も流れない。
悲鳴も上がらない。
だが、
一度始まれば、
止める理由がなくなる。
なぜなら、
皆が楽になるからだ。
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俺は、
剣を置いた。
もう使うつもりはない。
だが、
それでも分かってしまった。
この剣は、
使われなくても意味を持ち続ける。
正当化された選択は、
次の選択を縛る。
次の世代を、
迷わせないために。
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そのとき、
はっきりと理解した。
正当化とは、
過去を守る行為ではない。
未来の選択肢を減らす行為だ。
そしてそれは、
善意の顔をして、
静かに始まる。
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この夜、
俺は初めて願った。
もし、
この選択が残るなら。
せめて、
問いも一緒に残ってほしいと。
だが、
それを残す方法を、
俺はまだ知らなかった。




