英雄と呼ばれる理由
英雄と呼ばれるのは、
誰かがそう呼び始めたときだ。
俺自身が名乗ったことは、一度もない。
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昼、村の広場に人が集まった。
焚き火は消え、
瓦礫も片づけられ、
代わりに「場」が整えられていた。
整えられすぎている、と感じた。
長老が前に出る。
「昨夜、この村は守られた」
その言葉に、
小さなどよめきが走った。
守られた。
確かに、それは事実だった。
「多くの犠牲は出た。
だが、もっと悪い結果もあり得た」
否定できなかった。
否定できないからこそ、
続く言葉が、胸に刺さった。
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「それは、一人の決断によるものだ」
長老の視線が、
俺に向いた。
人々も、同じ方向を見る。
俺は、何も言っていない。
何も主張していない。
それでも、
視線が集まるだけで、
意味が生まれてしまう。
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「彼は逃げなかった」
それだけの言葉だった。
だが、
その言葉は、
昨夜の混乱や恐怖を、
一つの形にまとめてしまった。
逃げなかった。
だから守られた。
守られた。
だから正しかった。
誰も、
「なぜ逃げなかったのか」は問わなかった。
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人々は、
理由を欲しがっていた。
救われなかった名前を、
そのまま抱えて生きるには、
夜は長すぎた。
だから、
一つの答えが必要だった。
「彼がいたからだ」
その答えは、
あまりにも便利だった。
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誰かが言った。
「英雄だ」
最初は小さな声だった。
冗談のようでもあった。
だが、
繰り返されるうちに、
冗談ではなくなった。
英雄。
英雄。
その言葉が広がるほど、
他の名前は遠ざかっていく。
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俺は口を開いた。
「俺は――」
だが、
続きを言う前に、
長老が首を振った。
「謙遜はいい」
その一言で、
俺の言葉は居場所を失った。
否定すれば、
村の安心を壊す。
肯定すれば、
救われなかった者を裏切る。
沈黙するしかなかった。
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夕方、
昨日来た“確認の男”が、
再び現れた。
彼は、
広場の様子を一目見て、
すぐに理解したようだった。
「……なるほど」
彼は紙に、
こう書き足した。
「英雄的行為。
住民の士気を維持」
その筆は迷わない。
事実ではなく、
使える意味だけを拾っていく。
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夜、
俺は一人になった。
英雄と呼ばれ、
感謝され、
期待されている。
それなのに、
胸の奥が冷えていた。
気づいてしまったからだ。
英雄と呼ばれた瞬間、
昨夜の選択は、
もう俺のものではなくなった。
問いは削られ、
答えだけが残る。
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英雄とは、
選択をした者の名前ではない。
**選択を“説明しなくてよくするための言葉”**だ。
そう理解したとき、
初めて恐怖を覚えた。
この言葉が残れば、
次の世代は、
問いを知らないまま答えだけを受け取る。
それは、
剣よりも重い。
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その夜、
俺は思った。
逃げなかったことよりも、
英雄と呼ばれることの方が、
よほど取り返しがつかない。
なぜなら、
英雄には――
理由を考え直す権利が、
与えられないからだ。




