序:とある令嬢のスピーチ
「この国は、たくさんの人の優しさに支えられています」
講堂の空間に、澄んだ少女の声が響く。
扇形講堂の200人余りの聴衆の視線と聴覚は、壇上のただ1人の少女に向けられている。
10代も半ばといったあどけなさの残る少女の表情は穏やかで、大勢の視線にも臆する様子もない。その口から紡がれる言葉は、さほど声を張るでもないのに最後列の耳にまで漏らさず届いていた。
「私は幼い頃事故に遭い、少しだけ不自由な体になりました。自分一人では、ベッドから降りることも、服を着替えることも、階段を移動することもできません」
そう、彼女は演台を前に立つのではなく、その横に、車輪のついた椅子に腰掛けた姿で登壇していた。
「そんな私が学園の皆さまと同じように日常生活を送り、勉学に励むことができているのは、すぐそばで支えてくれる侍女のマチルダ、素敵な発明で私を助けてくれるモーガンお兄様、いつも気遣ってくれる友人たちや先生がた、そして、私を他の学生と同じように迎え入れてくださったスペンサー学園長。それ以外にも本当にたくさんの方々が力を貸してくださってくれているおかげなのです」
少女は自分の思いを確かめるように左手を胸に当てる。彼女を見守る視線の中には、名前の上がった者たちがいるのだろう。少女は聴衆に向けて慈しむような眼差しを送る。
「この国には多くの人々が住んでいますが、誰もが同じように生活できるわけではありません。歩くことが難しい人、目や耳が不自由な人、病気を患っている人、お腹に赤ちゃんのいる人もいます」
続けて語る声には、先程までの柔らかな口調と変わらないが、どことなく優しく言い聞かせるような響きがあった。
「彼らは一見すると他の健康な人と変わらないように見えるかもしれません。けれど、ときには誰かの助けを必要とすることもあるはずです。誰もが彼らが助けを必要としていることに気づくことができれば、差し伸べられる手はより多くなるでしょう。サミュエル王子殿下の推し進めてくださったヘルプマークやマタニティマークが、その気づくきっかけになってくれているはずです」
少女が見回すようにした視線が聴衆席にいるただ1人のそれと交差すると、互いの口元が微かに綻ぶ。
「私の周りには優しい家族や友人がいてくれて、これまで何度も彼らの優しさに助けられてきました。私の感じた優しさを、この国に住む多くの人々が感じられる、そんな街を皆さんと一緒に作っていきたい。それを私の卒業後の目標としたいと思います」
そう宣言する声には少しの迷いもなかった。
「最後までお聴きくださり、ありがとうございました」
スカートのサイドを掴み、優雅な所作で一礼する。見た目にはただそれだけの動作だったが、姿勢の維持には体幹の筋肉をフル動員する必要がある。それが彼女にできる全力のカーテシーだった。
誰かが始めた拍手がしだいに重なり、講堂を震わすまでの昂まりを見せるには、次に彼女が顔を上げる二呼吸分の時間でも十分すぎた。
夜明けの空を映したようなペールブルーの瞳が揺れる。
みんなが自分のやろうとしていることを肯定して応援してくれている、彼女にはそう信じられた。
(ああ、こんな景色を見られる日が来るなんて、”以前の私“は想像もしていなかった)
少女が思いを馳せるのは、幼い頃ーーいや、それよりも、もっと昔の、今となっては本当に自分自身のことであったのかも定かでない、別の人生の記憶。
(”以前の私“にはきっと出来なかったこと。けれど彼女がいたから“今の私”が、ここまで来ることができた)
先程のスピーチでは触れることのなかった“以前の私”に、心の中で感謝の言葉を贈る。
これは、別の人生の記憶を持って産まれてきた、そんな一人の令嬢の物語。
彼女のバリアフリー改革はまだ始まったばかりだ!
やや堅苦しい場面から始まりましたが、本編ではもう少し砕けた内容になる予定です。
良かったらお付き合いください。




