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『剣聖、バイトを始める。』魔王討伐の後はすべて上手く行く  作者: 伝福 翠人


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1/8

帰還、そして最強の敵

脳を直接殴りつけるような轟音。排気ガスの味。アスファルトの匂い。


閃光と浮遊感が途絶えた瞬間、赤城健司あかぎ けんじは、十年ぶりに故郷の暴力的な情報奔流だくりゅうに叩き込まれた。


「……帰って、きたのか?」


異世界アストライアでの十年。魔王をその手にかけた「剣聖」としての記憶が、まだ身体にこびりついている。だが、彼を包むのは祝勝の歓声ではない。無数の人間が発する無関心な足音と、空を覆うビル群が放つ無機質な圧迫感だけだった。


場所は新宿駅。記憶にある風景よりも遥かに多くのデジタルサイネージが明滅し、人々は誰もが小さな光るスマートフォンに視線を落としている。耳には白いワイヤレスイヤホンを差し込み、自分だけの世界に没入している者も多い。


健司の研ぎ澄まされすぎた五感は、この情報の奔流を処理しきれずに悲鳴をあげた。列車の到着を告げるメロディ、香水、汗、食品の匂いが混じり合った悪臭、視界を汚すけばけばしい広告の光。その全てが、脳を直接殴りつけるような暴力となって彼を襲う。


(魔王軍の怒号の方が、よほど静かだった……)


まず、家に帰ろう。高校二年生だったあの日、「いってきます」と告げた両親の顔が浮かぶ。十年ぶりの「ただいま」を伝えなければ。


だが、健司は最初の関門――自動券売機の前で完全に動きを止めた。現金で切符を買おうとする彼を尻目に、人々は券売機には目もくれず、スマートフォンそのものを改札機にかざして次々と通り過ぎていく。買い物も、改札も、全てがあの光る板一つで完結している。


その光景は、健司の自尊心を傷つけるのとは少し違った。それは、絶対的な断絶感だった。


異世界では、力の差はあれど、誰もが同じルール(剣と魔法)の上で生きていた。だが、今目の前の人々が当たり前のようにこなす行動は、健司が十年かけて築き上げた価値観の外にある、全く未知の儀式だ。あれは、自分には理解もできず、参加資格すらない、新しい世界のルール。


削り取られたのは自尊心ではない。現金を使おうとしている自分が、まるで過去の時代の化石のように思える、この世界における自分の存在価値そのものだった。


結局、彼は二時間以上かけて、記憶の片隅に残る風景だけを頼りに、歩いて生家があった場所へとたどり着いた。


しかし、そこに彼の家はなかった。表札には、まったく知らない名前が刻まれている。庭には、見覚えのない子供用の自転車が置かれていた。


「俺の帰る場所は……どこにも、ないのか?」


膝から崩れ落ちそうになった、その時だった。静かに一台の黒いセダンが彼の隣に停車し、後部座席からスーツ姿の男が降りてきた。歳の頃は四十代半ば、全く特徴のない、記憶に残らないタイプの顔だ。


「赤城健司さん、ですね」


男は言った。感情の読めない、事務的な声だった。なぜ俺の名前を。その問いは、警戒心と共に喉の奥に消えた。男の目には、敵意も善意もない。ただ、そこに落ちている石を拾うかのような、純粋な「業務」の色だけが浮かんでいた。


「我々と一緒に来ていただけますか。あなたには、ご自身の現状を知る権利と義務があります」


連れて行かれたのは、霞が関の巨大な合同庁舎の一室。無機質な会議机を挟んで、安田と名乗るその男は、淡々と事実を告げた。


健司が失踪してから、十年が経過していること。そして、三年前に、ご両親が交通事故で亡くなっていること。


「……そうか」


声は、震えなかった。異世界で数多の仲間の死を見送ってきたせいで、感情の一部が麻痺しているのかもしれない。だが、胸にぽっかりと穴が空いたような喪失感は、魔王を倒した虚無感とは質の違う、冷たい痛みとなって全身に広がった。


安田は、追い打ちをかけるように一枚の書類のコピーを机に滑らせた。


「そして、これが最も重要な問題です。あなたは七年以上の生死不明により、ご両親の請求を経て、家庭裁判所から**『失踪宣告』**を受けています」


書類には、健司の名前と共に『死亡』という二文字が、無慈悲なほどはっきりと印字されていた。


「法的に、あなたは“死んだ人間”です。住民票は抹消され、戸籍にもその旨が記載されている。今のあなたは、この日本において社会的に存在しない幽霊のようなものです」


安田は続けた。その声には、一片の同情も含まれていない。


「我々『リサポ』は、あなたのような帰還者を支援する組織です。ですが、我々にも覆せないルールがある。まず、あなたは“生きている”ことを裁判所に証明しなくてはなりません」


俺は魔王を倒した。世界を救った剣聖だ。だが、最強の敵は、目の前にあるこの一枚の紙切れ――『戸籍』だった。

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