2025年12月16日火曜日
そろそろ終わろうかと思う。昔書いたものの中で表に出せるものは出した。出してみて、もっともっと面白いものを書いて(無くしてしまって)いた気がするが、気のせいであろう。これが現実。特に、昔書いた小説の紛い物は、読んでて(あまりにも自己中で)辛かった。
私は、岐阜の加納にある製麺所に生まれ、加納西保育園、加納西小学校、加納中学校、加納高校と18歳まで暮らした。1年名古屋の代ゼミで浪人した後、明治大学へ。卒業し某証券会社に入社。枚方、横西、名古屋、大森、旭川、豊田、横須賀、広島、岸和田、郡山、岐阜と11回転勤を繰り返し、全て支店営業で社会人生活36年間を終えた。
岐阜の加納という街でのほほんと育てられた1人の青年が大学入試で始めて挫折を覚え、社会人になり、生き馬の目を抜く証券業界で度重なる挫折を味わった。まさに、挫折と苦悩に明け暮れた営業マン人生であった。その挫折が私を成長させてくれたのだと思う。私にとって営業とは、まさに聖職であった。
この『営業日誌2007-2008』を書いてみて、これは単なるコラムで、小説ではなく、このような(小説家になろう)サイトに掲載されるものではない、事も嫌と言うほど分かっている。このコラム(敢えてコラムと書く)を終えた今、私の社会人生活の前半期を中心にした、小説を書いてみたい、という思いが芽生え始めた。
1989年という証券界では記念碑的な年の入社で、そこから『失われた30年』を経験し、その中には様々なドラマがあった。営業とは、人(人格)を売る仕事だと、心から思う。人(お客様)なしでは成立しないし、会社の中でも上司、同僚、部下、スタッフ、様々な人が絡み合って成立する。もちろん、仕事は家族なしでは(独り身であっても)できない。
そんな、お客様、上司、同僚、部下、スタッフ、家族に加え、『相場』も絡めた物語は、小説として成立するのではないか。構想が今、私の頭の中で漠然と芽生え始めている。これが確かなものになって表に出せる形ができた時、また書き始めようと思っている。ちなみに、ラストシーンだけは、決まっている。
本当に、最後まで読んでくれてありがとう。これを読んでくれた人に幸あれ。
1989年入社の私は、2008年課長になる。当時42歳での管理職昇格は、生え抜き社員としては最も遅い昇格であった。実際、長女の学校の同級生は、私より一歳下の支店長の長女であったし、それ以降は全て歳下の支店長に仕えた。当時は出世しないのを、全て上司のせいにしていて、自らを変えようとせず、結果バブル期のままの強引な営業であった。悲しいかなそんな営業マンはバブル期以外生きられる訳もなく、仕事でも私生活でも次第に孤立していく事になる。昼間は仕事をサボってパチンコ、土日も仕事と偽ってパチンコ。夜は朝が来るのが不安で酒に溺れた。私の営業マン人生のほとんどがこんなドロ沼の中にいた。
だから、唯一仕事でも私生活でも、充実していた2007年から2008年のこのコラムだけは後生大事に取ってあったのだろう。結局退職するまで、万年課長としてうだつの上がらなかった営業マン人生の唯一の宝物として。




