2025年12月11日木曜日
ベトコンラーメン
長女と次女は2歳の差がある。5年前、長女が大学2年で京都で1人暮らし、次女は長野の大学に入学が決まり1人暮しになり、私は単身赴任で福島、拠点は妻の名古屋、という4重生活になった。そこで、名古屋の中古マンションを売り、京都の賃貸に拠点を移し、3つに絞った。苦肉の策だった。
それでも長女は大学院まで行ったので、この3重生活は丸4年続いた。マンションを売った金があったので(ローンが残っており、手取りは半分程度)乗り切れたが、大学の授業料(×2)や次女への仕送り、京都と長野と福島の家賃(長野は実費、他家賃補助あり)で、湯水のように金が飛んで行った4年間であった。その間、会社に出していた希望が通り、実家のある岐阜支店に転勤になった。(岐阜で単身赴任。)
昨年、娘が2人とも大阪の企業に就職が決まり独立したのを機に、夫婦2人で名古屋に居を構えた。この前後に私の体の至る所に病気が発覚(心房細動、大腸ポリープ、目の病気)し、仕事する体力に自信が持てなくなった。また、精神面でも、あの過激な4年間の後、娘達が同時に独立し、急速に萎えるものがあった。そうして60歳を迎えた今年、36年間営業一筋の会社生活にピリオドを打った。
久しぶりの名古屋で、駅前は様変わりしていた。浪人時代、代ゼミの寮に居たので、寮から予備校まで歩いたが、寮は消滅し、マンションが乱立し、当時の面影は全く無かった。唯一昼飯に通ってた『八幡屋』(味噌おでん、トン焼き、串カツの店。隣の『のんきや』と並んで超有名)も行列が出来ていて、おいそれと入れる雰囲気ではなかった。
また、駅前にベトコンラーメン『新京』の支店が出来ていた。ベトコンラーメン言えば、木村拓哉が(信長祭りの時)岐阜で食べた香楽の『味噌ベトコン』で全国的に有名になったが、元はと言えば、新京も香楽も家の麺を使っていた。今は新京の岐阜羽島店のみが家の麺を使っている。他は自社のセントラルキッチンで製造しているのだろう。新京の駅前店にも行ってみたが、ベトコンラーメンはこれ!って感じで(家の麺を使って無くても)相変わらず、うまかった。今は飲み屋っぽいメニューを増やして、若者を呼び込もうとしている感じがする。飲み屋でベトコンって感じもしないし、妻はあの強烈なニンニク臭を嫌がるので、行かなくなった。
辛いラーメンで名古屋のもう1つの名物が、台湾ラーメンの『味仙』。こちらに来て何回か行ってみて、何か味と値段の感覚が昔と違っていて、行かなくなった。そもそも味仙に毎日のように通っていたのは、約30年前。名古屋支店に勤めていて独身の時だ。栄、池下あたりで飲みまくっていた。大抵、1次会は居酒屋、2次会は行きつけのスナック、そして3次会が味仙だった。
深夜までやっていて、安く気軽に飲めるから、味仙に通ったと言うのが本当のところ。おそらく当時一番頼んだのが、青菜炒めで、300円位だったのでは無いか。3次会くらいになると、この青菜炒めとビールがあれば充分で、最後に「じゃあ、今日も台湾ラーメンで締めて帰ろうぜ」となるのがお決まりのパターンだった。台湾ラーメン食べてる時はほぼ酩酊状態で、多少辛くても刺激があって(安くて)うまいじゃん、みたいな感じで食っていた。
で、翌朝、猛烈な胃痛で跳ね起き、トイレに直行。肛門が切れ痔になり、なんでまた食ってしまったのか猛烈に後悔する。だが、当日飲み始めるとそんな事忘れてしまい、酩酊すると誰かから、「じゃあ、味仙でも行くか」となり、悲劇は繰り返された。そうか、味仙の台湾ラーメンは泥酔状態でしか食べたことが無かったからだ。改めて、1次会で味仙に行くと感じる違和感はここにあったのだろう。値段も高級中華か!ってくらい値上がりしてるし。でも、昼には行列もできている。非常に個人的な事情で、単なる悪口になってしまった。異常なのは、私です。




