2025年12月3日水曜日
うどんについて(10年前)
父は勉強の事は一切言わなかった(五十町中卒)が、母は意外と教育について熱心であった(大垣南高卒)。兄は中学の頃、大垣にあった教会で、ボーマン牧師の奥さんに英会話を習っていた。その関係で私も小5から英会話教室に通った。全くやる気のなかった私が、唯一楽しみだったのが、大垣駅の立ち食いうどん屋でうどんを食う事であった。
注文するのは、かき揚げ天ぷらうどん。私は背が低く、小・中・高と背の順で前から3~5番あたりだったので、大人用に設定されていたカウンターはつらかったが、つま先立ちしてまで食った。それくらいうまかった。麺は細めで、角張っているのが特徴。かき揚げが絶品で、小エビが結構入っており、このかき揚げをつゆに浸しふやかし、うどんとともに啜りあげる。まさに、至福の時であった。
しかし生来の勉強嫌いな為、英会話は1年で辞めた。(宿題を一切やらなかったのでクビになったという方が正しい。)大垣までうどんを食べに行く理由を考えた時、頭に養老に住んでいる祖母が浮かんで、『これだ!』と思った。岐阜から養老に行くのは大垣でJRから養老鉄道への乗り換えがある。そこで食えるではないか、とすぐさま実践した。
週末に小遣い貰って、祖母の家にせっせと通い出した。仕事が忙しい両親にとっては手の掛かる子供が居なくなるし、祖母は喜ぶので大賛成であった。しかし、行きと帰りの2度大垣駅でうどんを食うことだけを目的として祖母の家に行っていたわけで、祖母の手料理など一切食わず、相変わらず、ふりかけや卵ご飯ばかり食っていた。『死んだお婆ちゃん、本当にごめんなさい。ひどい孫でした(合掌)』。
信じられない話だが、大垣駅の立ち食いうどん屋は、私が中2の時、突如閉店したのであった。おそらく駅の再開発の一環なんだろうが、当時本当に愕然とした。今でもあのうどんが食いたい。
立ち食いきしめんなら、名古屋駅新幹線ホームのきしめんで有名な住よしかな。転勤族になってから新幹線で名古屋まで戻ってくると、必ず食べる故郷の味だ。住よしは名古屋駅の在来線ホームにもいっぱい店があって、在来線の店では蕎麦も出している。ん?。もしや、大垣駅の立ち食いうどん屋って、住よし?。名古屋のきしめんが売れるので、不採算店を閉店させ、一番人気の無かったうどんをメニューから外したのか?誰か教えて欲しい。
立ち食いうどん店でもう一件、どうしても紹介したい店がある。私は岐阜生まれで味付けはどちらかと言えば関西の影響を受けている。19歳から、東京(神奈川)に行って、あの『どす黒い』立ち食いうどんを見た時には流石に抵抗があった。何か(偏見でしか無いが)顔に匂いがべっとり染み込むようで、慣れるのに時間が掛かった。そんな関東風の立ち食いうどん屋でピカイチなのが、相鉄横浜駅前にある鈴木。
横浜支店時代は毎日のように食ったし、毎日食っても飽きなかった。ここのだったら(食が細い私でも)2杯でも、3杯でも平気で食えた。
最後に、岐阜の大正庵を紹介する。私は中学の時ソフトテニス部に入っていて、平日は学校のコートで、休日は市民クラブのコートで、1年中ソフトテニスに明け暮れていました。市民クラブのコートは加納天満宮の裏手にあり、そのすぐ近くにあるのが大正庵。手打ちで讃岐うどんを食わせてくれる店だ。麺も腰がありうまいが、ここのもう一つの名物が天ぷら。天ざるとか天釜とか頼むと結構な量のうどんと天ぷらが付いてくる。天ぷらの中で、ごぼうの笹がき天ぷらが絶品。単品でも追加できる。お勧めだ。
休日、テニスをしに行ったときよく食べた店だ。しかし、ここも、両親は休日に通っていたことは知らない。特に自分の作ったうどんに絶対的な自信を持っていた父は、息子が他の人が打った麺ばかり食っていることを知ったら、悲しむであろう。しかし、うまいもんはうまいのだよ、お父さん。




