2025年12月2日火曜日
うどんについて
どちらかというと、うどんも子供の頃食べ過ぎて嫌になった方。とにかく料理する時間が無かった母がうどんを調理すると、例の大鍋(冷や麦同様)を使って何でもうどんにぶち込んで味噌か醤油味にしまう。そして、例のごとく、食卓の真ん中に、ドンっ!、「食え」って。それで皆食べていたのも、よっぽど腹を空かせていたからであろう。うどんも冷や麦同様、麺としてのクオリティは高いのに、料理で食材を駄目にしてしまっていた。それこそ近所のおばさん達の中には、結構家のうどんのファンもいて買って自宅でうまく料理していたのだろう。そのうどんも、いつの頃からか生産されなくなっているらしい。
同じく生産されなくなっている商品に、干しうどんがある。父が作った干しうどんは絶品であった。社会人になって、それこそ2ヶ店目の横浜支店時代、鶴屋町に秋田出身の板さんがやってる小料理屋に通っていたが、〆は夏も冬も『稲庭うどん』であった。これが実に喉越し最高で、腰もあり、ツルっ!っといける、まさに絶品。だが父が作った干しうどんも、負けず劣らずうまかった。うどんとしては細く、角張って、少し平たい麺。今となっては、幻になってしまった。今日はスーパーで高めの稲庭うどん買ってきて、鍋の〆にしよう。
そういえば、岸和田支店の頃、会社で仲の良い4人で、南海電車で和歌山に行き、そこからフェリーで徳島まで、往復6000円、みたいな爆安企画をやったことがある。その旅行の翌週に福島への転勤が決まったので本当に思い出深い旅行であった。レンタカーで四国を回ったのだが、とにかく有名所の讃岐うどんを食いまくった。どこもそれぞれの個性があってうまかった。あのクオリティと安さで、うどんは四国の人の食生活の一部になっていることを肌で感じた旅行であった。
岸和田といえば、まあ有名なのはだんじり祭り。数年間居ただけの私でさえ、今でもその時期には何かだんじりに思いを馳せ、ワクワクする。岸和田時代、昼飯でよく食っていたのが、うどん蔵藤田や。支店の真ん前にあって、近かった。若い店主なのだが、結構うまいうどんを打つ。アイデアマンで、最後に追い飯をするキーマカレーうどん、なんてメニューもある。人気店だ。
その次となると、結構難しい。はっきり言って昼飯には困った。それで、結局、餃子の王将に行ってしまう。だが、今は知らないが、当時の岸和田店は、『汚さ』ランキングでは、全国ワースト1位だと断言できるくらい、汚かった。本当は行きたくなかった。(飲み会にも結構使ったが。)
岸和田への思いは尽きない。うどんとは関係無いが、岸和田駅前に、笑のわ、というカラオケスナックがある。今も生きていると信じているが、80オーバーのママがやってる、岸和田では有名な店だ。どれだけ飲もうが歌おうが3000円ポッキリ。私の心の店だ。




