2025年11月28日金曜日
インスタントラーメン(10年前)
私の実家は製麺業で、店頭でも販売していたので、家に居て、自分以外誰も居ない時は店番をしていた。実家の近所には旧国鉄の大規模な官舎があり、地域は典型的な住宅地であったので、昔は店頭にひっきりなしにお客さんが買いに来た。何度も言うが、その頃家では、商品であるラーメンの麺は食べなかった。不思議なことに、ざるラーメンを父は買いに来るお客さんに勧めていた。
そんな子供の頃に私がハマっていたのは、ずばりインスタントラーメンの『袋麺』。今でもたまに食っているので、ざっと40年近く食っている。昭和40年生まれの私にとっては至極当然のことで、同年代の人に聞いても、袋麺にハマって無かった、なんて言う人はいないのではないか。私が一番ハマったのは、『出前一丁』の袋麺。後にカップ麺が出るが、断然袋麺だ。一体人生の中でどれだけの数の出前一丁を食ったのかわからないくらい食ってきた。
今なら大手を振って出前一丁をいつでも好きな時に食うことはできる。しかし実家に居た時、出前一丁は当然家の台所で作る。その台所は製麺所に隣接していたから、話がややこしくなる。普段は寛容な両親も、「製麺所の息子がインスタントラーメン食ってどうする」と怒り、出前一丁食ってはならず、と禁止令が言い渡された。食うなと言われて食いたくなるのが心情。両親が居ない時を見計らって、せっせと台所で作っては食っていた。
そんな時に限ってお客さんって来るんだよなあ。「ラーメンの麺下さい」って。店番している私としては、当然作りかけでも「はーい!」って店頭に出ていく。業務用冷蔵庫からラーメンの麺を取り出していると、店頭には、明らかに『ごまラー油』の香ばしい匂いが漂ってきて、お客さんが変な顔をし出す。すぐ『あ、出前一丁の匂いだ』と気付き、『製麺所の息子が出前一丁食べてるんだ』って目で見られることになった。
その後、店頭に漂ったごまラー油の香りは、戸を全開にしても中々抜けきらず、帰ってきた親にこっぴどく叱られたのであった。それでも食い続けた。おそらく、近所の人は、息子が出前一丁を食っている製麺所、で家は通っていたのであろう。
あと、中学、高校生の時に行っていたお好み焼き屋の焼きそばの麺は家の麺では無かった。複数のおせっかいな近所のおばあちゃんから、製麺所の息子がお好み焼き屋に入り浸っている目撃情報が両親にもたらされ、閉口した。放っといてくれ!。




