2025年11月27日木曜日
インスタントラーメン
今まで執拗にスーパーに置いてある麺(及び餃子の皮)を攻撃してきた。なぜか。幼い頃から、自然の摂理から逸脱した物を食すことにずっと違和感を感じていたからだ。小学校の時、誰しも理科の観察日記でやった、あの(食)パンを放って置くとどうなるか?っていう実験。
家(製麺所)には冷蔵車はなかった。また、全てのお客様の店の鍵を持っている訳ではない為、商品を屋外で放置されることもあった。(現在ではありえない)。家の商品は、100%カビる。あの、(食)パンに出て来た青カビ、だ。
父は、カビ(防腐剤)より無添加を選んだ。そして、顧客からのクレームに真っ向から立ち向かった。子供である私にも、腐りにくく加工された物をできるだけ食べないように説いた。父は実際、インスタントと呼ばれるものを一切食べない。
そんな食に厳格な父に英才教育された、息子(私)はどうなったか。昭和40年生まれで、高度成長期にどっぷり浸かり、幼少期には今では姿を消した健康に良くない駄菓子、青年期には袋麺、成人してからはカップ麺と父の教えの真逆の人生だ。
話は変わるが、郡山(福島)時代。50過ぎて単身赴任で行って、コロナの世になった。職場は私を含め、比較的家族(子供)との接触が限られた人が多く、実際感染した人も社員ではほとんどいなかった。(その後の岐阜は凄かった。)
郡山の私の部署だけコロナの離小島になった感じで、電話で聞く妻の職場の感じとかなりギャップがあった。(忘年会、社内旅行やった。定期的に飲み会あった。)そうなると、周りから自宅に帰るとコロナを貰いに行くような感じで帰り難くなり、一時期、郡山に閉じこもって生活した。
その頃コロナであったが業務は多忙で、大体朝6時に単身マンションを出て、8時過ぎに帰る生活だった。食事が1番困った。週末はスーパーに行って野菜中心に買い込んで、出来るだけ健康的な食事(多用したのが1人鍋)を心掛けるが、どうしても平日は難しい。
朝(買い溜めしてある)ミニカップ麺、昼コンビニ弁当、夜コンビニ惣菜、なんてパターンが結構繰り返された。飲み会では日本酒(福島は日本酒王国でこれまた、うまいんじゃあ)、プライベート飲みでも和泉屋のトン焼きで日本酒を牛飲。郡山時代の食生活は最悪であった。
その結果は、次の岐阜で如実に現れた。定期検診で私の脈を取った医者は、不整脈だと言った。それから3か月後には、心臓カテーテル手術をした。人間ドックでは大腸ポリープが疑われ、結果全て良性であったが、5つのポリープを摘出した。関係ないが、目も2回入院して手術した。
父の助言、恐るべし。




