2025年11月18日火曜日
冷や麦について
2007年7月17日の最後のところで、『夏には(実家の製麺所では)冷や麦を作っていましたが、こちらも、商品化できないクズ冷や麦を毎日食わされて、今でも冷や麦を見るのも嫌です』とありましたが、あれから時が経って(今現在)、冷や麦は私にとって夏には欠かすことのできない食べ物となっています。しかも、父が丹精込めて作った冷や麦は父が作っていた5年くらい前には至高のレベルまで達していたと思います。(現在製麺所は実兄が継いでいる。)以下、『冷や麦について』という題で、10年くらい前に書いたエッセイを載せます。
子供にとって、夏と言えば『夏休み』。私にとっても確かに夏休みは楽しかったのだが、こと食事という点では、夏休みは苦難なものであった。なぜなら、夏休みには給食が無いからだ。前にも書いたが、休日の昼食には、小学生の時は隣の桐山さん(今で言う鉄板居酒屋)で、中学・高校生の時はちょっと遠くのお好み焼き屋で、好物の焼きそばを小遣いを貰ってよく食べていました。しかし、夏休みの昼食となると、大抵は家族でとなります。
当時、実家の製麺所はとにかく忙しい。夕食もろくに作れない母が、まともに昼食など作れるわけも無い。そんな我が家(製麺所)の夏の昼食にドンピシャだったのが、冷や麦を作るときに必然的にできる、商品化できないクズ冷や麦。作れば作っただけクズ冷や麦はできるので材料は豊富。しかも予め『つゆ』を大量に拵えておけば、家族分を茹でるだけ。母にとっては、願ったり叶ったりの昼食な訳で、毎日(相撲部屋のちゃんこ鍋のような)大鍋に大量の冷や麦が出てきたのであった。家の仕事は結構肉体労働で、夏には食欲も落ち、大人(従業員も食べていた)としては文句はなかった(機械的に流し込むだけ)だろうが、夏休みで家に居てほぼ毎日食べ続ける(給食が至極の楽しみだった)私にとっては、拷問に近かった。よって必然的に、冷や麦は見るのも嫌なくらいの食べ物になりました。
その後20年位は、一切冷や麦を食べませんでした。結婚してからは毎年実家から冷や麦が送られてきましたが、妻のみが消費していました。娘ができてからは、冷や麦は私以外の3人で食べていたのですが、ある日、3人がとてもうまそうに食べているのを見て、20年ぶりに食べてみました。「うまい!」。こんなに冷や麦はうまいのか!。しかもこの冷や麦、只者で無い!。それまで、冷や麦以外の麺を食い尽くしてきた私にとって衝撃でした。それからというもの、狂った様に食べ続け、また、会社の同僚への土産物として実家の冷や麦は欠かせないものとなりました。その反響も凄まじく、うまい、うまい、の大絶賛。家の冷麦は私の中では、不動の地位を築きました。
考えてみれば、実家の地下36メートルの井戸を掘って出てきた地下水で、製麺所の親父が丹精込めて作った麺を、更に実家の屋上で手間暇掛けて『天日日干し』してできた冷や麦が、うまく無い訳がない。失ってしまった20年の時を本当に悔やむ今日この頃です。
冷や麦で思い出したのは、郡上にある鍾乳洞に行った時食べた流しそうめん。岐阜の人なら誰しも1回くらいは行ったことがあるのではないか。鍾乳洞入場券&ロープーウェイ&流しそうめん食べ放題1300円と激安なのだが、思ったほどそうめんが食えないので消化不良であった。また、ここには釣り堀もあり、1回300円。ニジマスが釣れると、その場で焼いて食える、という誘惑に惑わされて、家族連れなら必ず挑戦することになる。これがはっきり言って罠。糸と針が異常に(細工が施されていて)切れやすい。300円ならと気軽にやるが、ニジマスが掛かると取り込むまでに針が切れてしまう。カー!っと頭に血が上り、2回、3回釣れるまでやってしまう。結果、非常に割高なニジマスを1匹焼いてもらい、4人で分けて食べるという事態に陥る。鍾乳洞、恐ろしや。
最後に、私が小学生の時、夏にナガシマスパーランドに家族で行くと、そうめん食べ放題をやっていた。母は大して大食漢でも無いのに、食べ放題=お得という考えの持ち主で、無謀にもチャレンジした。プール脇で結構人目を集める中、誰よりも早くリタイヤとなり、しょんぼりとして結構な料金を払わされて戻ってきたのを思い出しました。お母さん、そうめんはそんなに食えるものでは無いのだよ。
PS
そうめんと冷や麦の違いは、細さや長さだと思う。家の冷や麦はやや太めで、異常に長い。




