2008年3月4日火曜日
私の叔父(母の従兄弟)が長年務めた(岐阜県)垂井町少年少女合唱団の団長職を勇退することになり、最後の講演に家族と両親で行ってきました。叔父は、岐阜の小学校の校長を長年勤め、退職後も地元の合唱団の団長として輝かしい成績を収めていましたが、体力に自信が持てなくなり、勇退を決意したのでした。正直母に誘われたので仕方なく行ったのですが、20名足らずの少女ばかり(少年少女?)の合唱でしたが、映画を観に行っても途中でぐずり出す娘達も、珍しく聞き入っていましたし、実際感動でした。指揮者でもある叔父のタクト捌きは、鬼気迫るものがありました。最終演目の合唱組曲では、『ぼく』がチーちゃんに恋をするストーリーに没入しました。チーちゃんがダンプに轢かれて死んでしまい(!)『ぼく』は「誰が殺した!」と絶叫する、で終わる壮絶な合唱でした。隣の席の母を含め涙ぐむ観客は、一瞬の静寂の後、割れんばかりの拍手送ったのでした。娘達が花束を叔父に手渡しました。叔父は晴れ晴れしい笑顔を観客に向け、一礼し、舞台を降りたのでした。
今回合唱を聴いていて、ふと、以前O部長がよく言っていた「サラリーマンとビジネスマンの違い」を思い出しました。合唱にはソプラノやテノールといったパートがあります。個々のパートがいくら素晴らしくても、それらを調和させる指揮者がいて初めて人を感動させるだけのハーモニーになるのです。つまり証券の世界においては、単品の証券を売る「売り子」(サラリーマン)であってはならず、それぞれの商品を(資産)管理する指揮者でなければならない。株式、債券、投信、それぞれ素晴らしいものであっても、それを生かすも殺すのも指揮(管理)する私たち証券マンの手腕にかかっているといえます。私たちがクリエイティブなタクトを振ることによって、素晴らしいハーモニーが生み出せるのではないでしょうか。
PS
私はO部長のことは嫌いでしたが、今になっても言葉が残っているのは、良いことも言っていたのでしょう。




