サマーバケーション
「なんてひどい章タイトルだ!」
千歳は叫び声を上げてベッドから飛び起きた。
部屋にはまだ夜の気配が残って、しんと静まり返っている。
「なんだ夢か……」
なかなか二度寝に入り込めず、千歳は日が昇るまでベッドの中で起きていた。
学校には行かなくていい。
もう夏休みに入っているからだ。
今日は三日目で、クラスの友人たちとキャンプに行く予定である。
千歳はあまり乗り気ではなかったのだけど、慎一郎に「行こうぜ」と肩を抱かれたら、「うん」と反射的に答えていた。
「慎一郎を諦めるためにフチュと契約したのに、何をやっているんだ僕は……」
気がつけば慎一郎のことばかり考えている自分が嫌になる。
八時にフチュを叩き起こし、歩が作ってくれた朝食を一緒に食べた。
その後、部屋で出発の準備を整える。
「フチュ。さすがにキャンプに燕尾服はダメでしょ」
姿見の前でウイングカラーシャツのボタンをとめているフチュに向かって、千歳は言った。
「それは人間の常識だ。私は宇宙人だぞ」
「暑くないの?」
「暑すぎる、日本の夏は、やばすぎる。宇宙人、心の一句」
「じゃあ夏服着なよ。この前母さんに買ってもらっただろ?」
「うーむ」
フチュは着替え直した。
しかし、着替えたのは、先日歩に買ってもらったファストファッションブランドの服ではなく、なんと言えばいいのか、何を言っているのか分からねーと思うが、半袖の燕尾服だった。そうとしか言いようのない服だ。下は短パンである。
そんな服どこに隠していた?
ダサい。間違いなくダサいのだが、フチュが着るとなぜか輝いて見える。奇抜を通り越して怪異に達しているパリコレのアイテムの数々が、それを着るモデルの卓越した美貌によって「これはこれでアリ」と思わせる逸品に仕上がってしまうのと同じ現象が起きている。
友人たちとは、キャンプ場での現地集合だ。千歳とフチュは、歩が運転する軽自動車に乗り込んだ。
「キャンプなんて何年ぶりかな」
歩は上機嫌で鼻歌を歌っている。
「慎一郎くんの家族と一緒に行ったのが最後だよねぇ、たぶん」
早乙女家は、昔から家族ぐるみで結城家と付き合っている。
「女の子も来るんだよねぇ?」
歩は、助手席の千歳に意味深に微笑みかけた。
そう、今日のキャンプには女子も参加する。
歩は、内気な千歳がキャンプで異性と触れ合うのを喜んでいる様子だ。
千歳の顔に影が落ちる。
母さんは、僕が男の子を好きだって知ったら、ショックを受けるだろうか? きっと受けるだろうな……。
車中、フチュはひたすら常識人を演じていた。歩の話に愛想よく相槌を打ち、適宜質問を挟み、話を盛り上げた。
「千歳は怖がりで、中一の時まで私と一緒に寝ててね」
どういう流れか定かでないが、気がつくと歩がそんな暴露をしていた。
「ちょ、母さん、やめてよ!」
千歳は顔を赤くして叫んだ。
でもフチュが煽るものだから、歩は構わず続ける。
「幽霊とかUMAとかも怖がったのだけど、特に宇宙人を怖がってね。夜寝てる時にUFOに連れ去られないかってすごく心配してて」
「千歳くんみたいにかわいい子はきっと宇宙人に狙われやすいでしょうしね。私が宇宙人ならまっ先に連れ去ります」
ルームミラーに切り取られた後部座席のフチュのニヤニヤ顔を、千歳はキッと睨む。
「千歳くんが宇宙人を怖くなったキッカケって何かあるのですか?」
「夫がね、生前、SF映画大好きで、よく見てたの。千歳にとっては、夫が男らしい男のお手本だったんでしょうね。いつもやることなすこと真似して、それで背伸びして、映画も同じものを見て」
「そしてSF映画の宇宙人を見ているうちに怖くなってしまった、と」
「そうそう。それに、多感な年ごろだったものだから、千歳、本当に一度UFOにさらわれたと勘違いしちゃって」
「それは興味深いですね。詳しく聞きたいです」
「千歳がまだ小四の時の話なんだけどね。千歳が夜になっても帰ってこなかったのね。私は、夫と、ご近所さんに声をかけて、みんなで探し回ったの。深夜になってもけっきょく見つからなくて、いったん冷静になるため家に戻ったら、千歳が玄関の前で横になって眠ってたの。起きてから事情を訊くと、『UFOに乗った』って言うのね。でも、それ以外のことは何も覚えてないみたいで」
千歳はむすっとした顔で窓の外を睨みながら、二人の会話を聞いていた。
当時のことはもうほとんど覚えていない。しかし今でも、頭の片隅にUFOの内部の様子がチラつく。乗り物酔いの感覚も記憶に残っている。
ただの夢だったのだろうと、今なら分かる。でも当時は本当に恐ろしかった。
キャンプ場は賑わっていた。キャンプブームが今も続いているのかは分からないけど、家族連れのほかにも、友人同士や恋人同士、ソロキャンパーも多く見られる。夏休みシーズンなので尚更人が多いのだろう。ここはオートキャンプ場なので、車でサイトまで直接アクセスできた。
すでに慎一郎の家の車が停まっていた。車の外に、慎一郎、彼の両親、そして便乗させてもらったらしい忍足と伊集院の姿もあった。
そう、伊集院がいる。
彼がキャンプに参加するのは意外すぎたが、フチュ曰く「誘えば来るのは分かっていた」とのこと。
事実、フチュが参加を促すと、渋々ながら、しかし保留なく参加を表明したという。
千歳は伊集院という人間がますます分からなくなった。
大人たちは大人たちでまず集まって、挨拶を交わしていた。
歩が「すごい久しぶりな感じ!」と声を弾ませ、慎一郎の両親もそれに応える。
大人たちから少し離れたところで、子供たちも挨拶を交わした。
「へえ」
伊集院は意地悪い笑みを貼り付けたまま、顎に手を添えるポーズで千歳をねっとりと眺めた。
「てっきり、君の私服はスカートだと思っていたよ」
挨拶もそこそこに、伊集院はそんな嫌味を言うのだった。
千歳は縮こまって下を向いた。
「肇」
慎一郎が眉をひそめる。
「そういうのは、ちょっと酷いんじゃないか?」
「どうして君が怒る?」
伊集院は冷笑で応じ、慎一郎の返事を待たずに、千歳にまた顔を向けた。
「というか、君は恥ずかしくないのか? いつもいつも彼氏にかばってもらって」
「ち、ちが……彼氏なんかじゃ……」
千歳は哀れなほど狼狽えてしまう。
「まともに受け合うことねぇよ千歳」
慎一郎が千歳の隣に来て、肩を抱いてなだめる。
「ほーら」
伊集院は冷笑を上塗りする。
「お似合いのカップルじゃないか」
「バーカ。男同士の友情に変な妄想持ち込むなよ」
慎一郎の反論は、伊集院よりもむしろ、千歳の心に深々と突き刺さった。
男同士の友情。
変な妄想。
そうだ、と千歳は思う。
僕と慎一郎はただの友達なんだ。
少なくとも慎一郎はそう思っているし、それが愛情に変わることは絶対にないんだ……。
「なあ、伊集院」
黙っていたフチュが唐突に発言した。
「伊集院にはないのか? そういうの」
「は? どういう意味だ?」
「だからさ、男同士の友情、ないのかい?」
「なんだと?」
伊集院の頬が引きつる。
まずい、と千歳は思った。
伊集院は、眼鏡で七三分けのいかにも優等生って感じの見た目で、事実優等生なのだけど、実はけっこう短気キャラなのだ。
「私は一度でいいから見てみたいよ。伊集院の男同士の友情を」
要するに、伊集院のBL妄想がしたい、ということなのだが、むろん伝わるはずはない。伝わってもまずい。
「フチュ・ウジン。貴様はこう言いたいわけか? 僕には友達がいないように見える、と」
「そういうわけではないけど、言われてみれば確かに、伊集院って学校でいつも一人だな」
「ははっ。フチュ・ウジン、貴様はいったいどこに目をつけている? 僕はいつも人に囲まれている。転校生の君も、それはもうよく分かっているはずだ」
「私の目には、むしろ囲まれに行っているように見えるのだがね」
「どういう、意味だ?」
「ほら、伊集院って、何かにつけて人を注意しているだろう?」
「僕は風紀委員だ。その職務を全うしているだけだ」
「そうかねぇ? 私の目には、構ってほしくて無理にケチをつけているように見えるのだが」
「フチュ・ウジン! 貴様……」
一触即発の空気がぱっと広がり、千歳は身構えた。