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ミッション•フッチュブル

千歳は、意味なんてないと分かりつつも、尻もちをついたまま腕を伸ばした。


「ダメだああああああああああ!」


千歳の絶叫が響き渡る。


「そんな、違う……俺は、そんなつもりでは……」


二木が顔面蒼白で後ずさり、腰を抜かした。


「フチュ! そんな、嘘だ! フチュ!」


千歳は立ち上がり、ペントハウスのドアからビルに入って階段を駆け下りた。


フチュ! フチュ! フチュッ!


彼と過ごした日々が、階段を踏みしめるごとに脳裏に蘇ってくる。自分が死にそうになったときですら訪れなかった走馬灯が、フチュの死に際してとめどなく流れ込んでくる。


フチュがまだただの不審者だったころの思い出。フチュが無理やり家族の一員になったころの思い出。フチュと学校で過ごした思い出。フチュとキャンプに行った思い出。フチュにろくでもないことをやらされた思い出。フチュとくだらない話をした思い出。フチュとご飯やおやつを食べた思い出。フチュと喧嘩した思い出。


すべてが掛け替えのない、僕の財産だった。千歳ははっきりと、そう自覚した。


そして、それらが本当にただの思い出になってしまうことを恐れ、同時に覚悟した。


フチュの肉体は万能では決してない。殴られれば怪我をするし、ビルの六階から落ちれば死んでしまう。


「フチュ……! いやだよ、フチュ! 一人にしないでよ!」


一階の正面玄関は南京錠で施錠されているので、裏口から外へ飛び出す。


息を切らしてビルの正面へ回り込むと、敷地内の駐車場に、鬼塚に変身したフチュが仰向けで倒れていた。


千歳は足を止め、現実と距離を置くように、そのまま動かなかった。肩で息をして、倒れるフチュを遠くからじっと見つめていた。


とっくに涙は堰を切ったようにあふれ出していた。視界が霞んで、このまま何も見えなくなってしまえばいいと思った。


「フチュ……」


千歳は膝から崩れ落ち、地面に手をついて嗚咽を漏らした。


「神様……お願いです、僕にできることならなんでもします。だから、お願いです、フチュを、生き返らせてください……」


「その言葉に嘘偽りはないな?」


声がした。

鈴を転がすようなという比喩がぴったりな、澄んで美しい、聞き覚えのない女の子の声だった。


千歳は顔を上げて、涙をぬぐった。

だけど、あたりを見渡しても、それらしい人物は見当たらない。


「私は腐女神ふじょしん様だ。今、おぬしの心に直接語りかけています」


「……」


千歳は立ち上がり、鬼塚に変身したフチュに恐る恐る近づくと、顔を覗き込んだ。


パチッと、鬼塚に変身したフチュは目を開いた。そして言った。


「ドッキリ大成功~」


「フチュゥゥゥゥゥ!」


千歳は安堵のあまり、鬼塚に変身したフチュに抱き着こうとするが、その前にやるべきことがあった。


「ひとまず、救急車呼ばないと」


しかし、スマホを取り出そうとする千歳の腕を、鬼塚に変身したフチュが掴んで止めた。


「その必要はない。私は無傷だ」


「いや、まさかそんなはず……」


「体の下を見てみろ」


「え?」


「覗き込んでみろ」


「いくら正体がフチュだからって、鬼塚さんのスカートの中を見るのは、さすがにデリカシーが……」


「違う。なんでここでパンツを見せる必要がある。背中の下を見ろということだ」


よく分からないけど、千歳は地面に両手をついて、鬼塚に変身したフチュの背中の下を覗き込んだ。


「あ……」

千歳は気づいた。

「浮いてる……」


「どれくらい浮いている?」


「1センチくらい」


「1センチの壁は厚いな」


「フチュゥゥゥゥゥ!」


安堵に突き動かされ、千歳は、鬼塚に変身したフチュの上体を起こして抱きしめた。


1センチ浮くというフチュのしょぼい特殊能力が、彼の命を救った。落下して地面と激突する直前に浮遊して、彼は無傷だったのだ。


「やっぱり、お前の泣き顔はゾクゾクするよ」


「鬼塚さんの声で変なこと言わないで……。というか、鬼塚さんってそういう声だったんだね」


「ああ。この声帯から繰り出される声、自分の耳で聞いても美声だと分かって困惑する」


鬼塚に変身したフチュは立ち上がり、ぐっと伸びをした。続けて首をゆっくり回すストレッチを始めたが、途中で電池が切れたように固まってしまった。


「フチュ? どうしたの?」


千歳が問いかけても、答えはない。フチュはただ、駐車場の向こうを見て固まっている。


フチュの視線をたどると、千歳も固まった。


二人の視線の先には、鬼塚が立っていた。本物の鬼塚だ。モッズコートを着て、手には買い物袋がぶら下がっている。


鬼塚はてくてくと歩み寄ってきて、自分に変身したフチュと対面した。


「……」


「……」


ドッペルゲンガーに遭遇しても、鬼塚は表情ひとつ変えなかった。


「……鬼塚さん、これは、その」


千歳はなんとか誤魔化そうと口を開くが、うまい言い訳は一向に思いつかない。


事情は万事承知しているといった風情で、鬼塚は千歳に向かってうなずいた。そして買い物袋からチョコレートの箱を二つ取り出して、千歳と、鬼塚に変身したフチュにひとつずつくれた。


「あ、ありがとう……」


かろうじて、千歳はそれだけ答えた。


どたどたと、廃ビルの中から騒音が響いてきた。我に返った小御門と二木が階段を駆け下りてきているのだと想像できた。


鬼塚は千歳を見て「私がてきとうに誤魔化しておくから、行きな」と無言で語った。もはやテレパシーだ。


お言葉に甘えることにした。千歳は礼を言うと、チョコの箱を持って呆然と固まるフチュの手を掴んで駆けだした。

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