和解
家に帰ると、千歳はなにはともあれ、自室でフチュの容態を確認した。
「あれ? 傷治ってない?」
千歳はフチュの顔を見て、驚いて言った。それから、パジャマをめくってお腹や胸も見た。痛々しい痣の数々が綺麗さっぱり消えていた。痣シールでも貼っていて、飽きて剥がしてしまったのかと思った。
「こいつを使ったのさ」
フチュはとある猫型ロボットの声を真似ながら「テラポーション~!」と毛布の下から何かを取り出した。
「なにこれ? ヤクルト?」
「だからテラポーションだってば~」
「もうモノマネはいいから」
「こいつはな」
急に中性的なイケボに戻るフチュ。
「肉体の回復力を爆速にしてくれる秘薬なのだ」
「そんな便利な物あるなら最初から言ってよ」
「千歳に看病してもらいたくて、つい」
「もう」
千歳は眉根を寄せるが、内心ほっとしていた。
「千歳はどこに行っていたのだ?」
「オオカミさんと会ってたんだ」
「ま、まさか、ノンケ堕ちしたのではないだろうなお前……? オオカミさんにかわいがってもらってきたのか!? いや、逆にお前がかわいがってやったパターンか!? ふだんは狼なくせに僕と二人きりだと子犬も同然だね、今日もかわいがってあげるよ、ってか!?」
「話をしただけだよ」
千歳はいきさつを掻い摘んで語った。
話を聞き終えたフチュは、「すると、五十嵐とオオカミさんはカップリングが成立してしまうのか?」と至極残念そうに言った。
「分からない。オオカミさんは気持ちを伝えてくれるって言ってたけど、気が変わる可能性もないとは言えないし」
「私としてはぜひ気が変わってほしいものだ。ノンケカップルが誕生するたびに私は神社にお参りして『いち早く別れますように』とお願いしている。最寄りの神社はどこだ?」
「ほんと性格悪いなあ」
千歳はむっとする。
「幸せを願おうよ」
翌日の日曜日の朝、千歳のスマホが着信した。五十嵐からのLINEだった。
ドキッとした。あの謝罪文に対する返信だろうから、きっと罵詈雑言が並んでいることだろう。そう覚悟してメッセージを開くと、「昨日は返信できなくて悪かった」「電話で話したい」「問題ないか?」と刻んで記されていて、千歳をさらに怯えさせた。
しかし逃げるわけにはいかない。千歳はすぐに「いつでもいいよ」と返信した。
すると、入れ違いかと疑うほどの早さで電話がかかってきた。
ドキドキしながら、千歳は通話に応じた。
「早乙女か?」
五十嵐の野太い声が、鼓膜を揺らす。
「う、うん。おはよう」
「返事、遅くなって悪いな」
「そんな、ぜんぜん大丈夫だよ!」
期せずして大きな声が出て、千歳はその勢いを殺さずに言葉を紡いだ。
「ほんと、ごめんね! 僕の突飛で卑劣な行いが五十嵐くんの名誉を傷つけてしまった。言うまでもなくぜんぶ僕のせいだ。許してとは言わない。だから、せめて、僕の謝罪を受け取ってほしい。僕にできることならどんな償いでもする!」
「早乙女」
五十嵐の声音は至って平常だった。
「俺さ、楽しかったんだ」
「え?」
「お前から屈辱的な仕打ちを受けて、悔しくて、恥ずかしくて、でも楽しかったんだ。今でも思い出すと心臓がドキドキする」
「い、五十嵐くん……?」
「また、してくれないか?」
すっかり調教されてるーっ!
「……五十嵐くんは、オオカミさんのことが好きなんでしょ?」
「ああ」
「じゃあ、僕なんかと、その、あんなことしちゃダメだよ!」
いったいどの口が言うんだとセルフツッコミしつつ、千歳はそう叫ばずにはいられなかった。
「いや、恋愛対象とご主人様は別だろ?」
ご主人様!
自分が調教したとはいえ、今は五十嵐の口からそんな言葉は聞きたくなかった。
でもゾクゾクする! ああ罪深い!
フチュが小声で「エロい会話してるな~!」と目を三日月にする。千歳が「なんで五十嵐くんの声まで聞こえてるんだよ!」という目で睨むと、フチュは手を耳に当てて「宇宙人イヤーは地獄耳~」と節をつけて歌った。
「そういや」
電話の向こうで、五十嵐はあっけらかんとした調子で続ける。
「オオカミから、さっき電話があったんだ」
「ほんと!? それで、何を話したの?」
まるで目の前に五十嵐がいるかのように、千歳は身を乗り出して尋ねた。
「あの写真。俺がお前にいたぶられてる写真。あれ見たよって報告」
「え!」
想像と違う! 電話でわざわざ言うことじゃないでしょそれ!
「『お前のM奴隷姿なかなかかわいいな』って、そうも言われた」
「ええ……」
「それを聞いてさ、俺、すげぇ心が軽くなったんだよな。写真流出して、ああ終わったと思ってたんだけど、なぜかオオカミは気にしてないみたいで。それどころか、なんか通じ合えるものを一個獲得できたっていうか」
五十嵐にとっては、大好きなオオカミさんからの評価こそが全てのようだ。そのまっすぐで純粋な気持ちに、千歳は感心した。
「あとさ、最後にこんなことも言ってたんだが……。『早乙女と約束したから言う。あたしにとってお前は、七だ』って。で、その後すぐに電話切れちまった。七ってなんだ?」
そうだよ、それだよオオカミさん!
千歳はガッツポーズした。
いちいち説明するのも野暮な気がして、「好きってことだと思うよ」とだけ千歳は答えておいた。
「ほんとか?」
「僕はそう思う。あとは、ぜひ自分で確かめてみて」
「そうだな、そうする」
五十嵐の声は明らかに弾んでいる。
「改めて」
千歳は声を落とし、真剣な話の前触れをほのめかす。
「今回は、迷惑かけちゃって本当にごめんなさい」
「べつにいいって。むしろなんか知らねぇけどオオカミに近づけてよかったまである」
「でも、何か償いをしないと、僕の気が済まないよ」
「そうか。じゃあ、ひとつお前にやってもらいたいことがある」
「なに?」
千歳は緊張した。
「もう一度、電話でいいから、『僕なしじゃ生きられない体にしてあげるよ』って言ってくれないか?」
「……」
そんなこと言ってたの僕……?
千歳は思わず天井を仰いだ。
まずい。記憶が全くない。攻めモードだと別人格が現れるのだろうか。
「ぼ、僕なしじゃ、生きられない体にしてあげるよ……」
「うん。なんか違う」
言った損じゃん……。
「でも、ま、これでチャラだ」
五十嵐は笑った。
また学校でと、紋切型の挨拶を交わして電話を切った。




