チトセ•マイ•フレンド
ごくりと生唾を飲みこみ、千歳は廊下の会話に耳を澄ませる。
「千歳のお友達?」
「はい、そうです」
存外、腐宙人は礼儀正しい。演技だろうけど。
「千歳くんのお姉さまですか?」
「お上手ねえ。千歳の母です」
歩は実際かなり若々しく、姉と間違えられたことも過去にあるので、腐宙人のセリフがお世辞か素かは判断に困った。
「お名前は?」
「フチュ・ウジンです」
フチュ・ウジン……?
ああ、『腐宙人』をもじって『フチュ・ウジン』なのか。
……ひどいな。
「ご出身は韓国なの?」
「はい、そうです」
目まぐるしく積み重なっていく嘘に、千歳はもはや感心する。
「失礼なことを聞いてしまうようだけど、女性の方?」
「いえ、男です」
「韓流アイドルみたいねえ。もしかして、本当に来日中のアイドルだったりして?」
言われてみれば、と千歳は思った。腐宙人改めフチュ・ウジンは、韓流アイドルっぽいルックスかもしれない。
衣装のせいで宝塚のイメージが先行していたけど、服装によっては韓流アイドルにも化けそうだ。
フチュ・ウジンは「いえいえ、そんな」と愛想のいい謙遜を示してから、実に効果的な間を挟んで「実は……」と深刻そうに切り出した。
「私が韓国から日本に来たのには、やむを得ない理由があります。とても言いづらいのですが……」
「よければ、話してみて」
「……実は、マフィアに追われて、祖国にいられなくなってしまったのです」
なんだその設定は!?
「私、よく韓国映画観るんだけどね」
歩は気おくれした調子で言った。
「最近観た作品にね、ものすごく凶悪なマフィアが出てくるのがあってね、あんな感じなの?」
「あんな感じです」
あんな感じって……。
「私は命からがら組織から逃れ、命からがら盗んだ漁船で走り出し、命からがら追っ手を振り切るのに成功しました。そして日本の浜辺に打ち上げられて死にかけていた私を、たまたま通りかかった千歳くんが助けてくれて、家に運んで看病してくれたのです。たまたま」
さすがに無理があるだろ……。
徒歩圏内に海なんてないし……。
歩は純朴で信じやすい危うい性格ではあるが、さすがにこんな与太話を信じるほどは……。
「大変だったね……」
歩の涙ぐむ声。
「なんて、なんて、壮絶な人生なのでしょう……」
信じちゃったよ。
千歳が愕然として固まっていると、いきなり部屋のドアが歩によって開け放たれた。
ドアの前で耳をそばだてていた千歳は仰天して飛び上がり、今日四回目の尻もちをついた。
「ノックしてって言ってるじゃん!」
千歳は悲鳴をあげた。
「千歳! フチュくんをお家で預かることにします!」
「……は?」
「ご本人が千歳と同じ部屋がいいって言ってるから、このお部屋に住まわせます。仲良くしなさいね」
「いや、その……」
困惑する千歳は、歩の肩越しに、にんまりと邪悪な笑みを浮かべるフチュ・ウジンを見た。
こいつ……!
間違いない、こいつは、歩の脳に何かしたのだ。宇宙人の力で、洗脳的な何かを。
「散らかった部屋だけど、許してね」
歩がそう言って振り返ると、フチュ・ウジンは邪悪な笑みを瞬時に消し、哀れを誘うしおらしい表情になった。
「ありがとうございます。こんな生きる価値のない私に手を差し伸べてくれて……。ほんと、どうお礼をしたらいいか」
フチュ・ウジンは涙ぐんでみせた。
が、歩が顔を正面に戻すと、また邪悪な笑みが復活する。
呆然とする千歳を置いて話はとんとん進み、気がつくと歩は消え、目の前にはフチュ・ウジン一人が残っていた。
一階から包丁がまな板を叩く音がする。歩がフチュ・ウジンのために何かを作っているのだろう。
「というわけで」
フチュ・ウジンは後ろ手にドアを閉め、しゃがみ込むと、なおも床に尻もちをついたまま固まる千歳と目線を合わせた。
「これからよろしく。ち・と・せ」
「な、何が目的なんですか。母さんを人質にとってまで、僕に何をさせるつもりなんですか?」
そう、これは人質だ。言葉にすることで現実を改めて思い知り、千歳は絶望を深める。
「要求は二つあーる」
「聞きたくないですけど、聞くしかないですよね……」
「まずひとつ目。敬語をやめてもらおう。私たちはもうトモダチなのだから。チトセ・マイ・フレンド。我々はと~も~だ~ち~」
「ど、努力しま……努力するよ」
「いい子だ。ついでに私のことはフチュ(敬称略)と呼ぶように。あ、これは二つめの要求ではなく、ただのオプションだぞ」
拒否する理由もないので、千歳はうなずく。
「いい子だ。さて、私の目的だが、すでに話したはずだ。お前と慎一郎は私の推しカプだと」
「それが、なにか?」
「私が地球上で二千年以上生きていることはすでに話したが、それは『酵素』を消費することで体の劣化を抑えているからなのだ」
「はあ」
「で、その酵素は、興奮することで、体内で生成されるのさ」
不本意ながら話が見えてきた。
「私はグルメでね。厳選されし推しカプのBLじゃないとうまく興奮できないのだ」
「……」
「ここで、二つ目の要求だ。お前と慎一郎のBLを鑑賞させろ。それが私の目的だ」
千歳が何かを答えるより早く、フチュは続けた。
「それに、これはお前にとっても悪い話じゃないはずだ」
「どういう、意味……?」
「お前、慎一郎のことが好きなのだろう?」