ヤンキー調教
翌日の火曜日。
作戦は大詰めを迎えていた。いよいよ千歳の正念場だ。
放課後、千歳は勇気を振り絞り、「君の秘密を知っている。そのことで話がしたい」と、椅子に座って帰り支度をする五十嵐の耳元で囁いた。
五十嵐は怪訝な色を隠さず千歳を睨みつけたが、「すぐ済ませろよ。部活に行かなきゃならねぇんだ」と、あっさり応じてくれた。
千歳は空き教室で待つ旨を伝えると、ひと足先に自分がそこに避難し、溜めこんでいた息をはぁーっと吐き出した。
「緊張したぁ~!」
「健闘を祈る」
掃除用具入れの中から声がした。今日はフチュがそこに隠れている。
やがて、顔をしかめた五十嵐が空き教室に入ってきた。
「ようこそ。今日は君と大切な話がしたいんだ」
昨夜、自室で何十回と繰り返した稽古をなぞるように、千歳はセリフを喋った。
紛うことなき棒読みで、表情は緊張で真っ青で動きがなく、まるで能面のようだが、逆にそれがサイコな迫力を醸し出していた。
「さっさと本題を言え」
五十嵐がドスの利いた声で言う。
「もう二度とバスケできないねぇ」
違う、このセリフはまだ後だ。
千歳はかぶりを振り、台本を呼び覚まし、言い直す。
「とりあえず座りなよ」
千歳は、用意しておいた椅子を手で示した。ひとつの机を挟む形で、椅子が二つ配置されている。
千歳はそのうちの窓側の椅子に早々と腰を下ろし、五十嵐が対面に座るのをニヤニヤと待ち受ける。
このニヤニヤ顔も、昨夜フチュ監督の指導のもと幾度となく稽古したものだ。ぎこちなさがまた、亡霊じみた不気味さを演出している。
千歳のただならぬ様子に、五十嵐がごくりと生唾を飲みこむのが分かった。
彼は何も言わずに、空いている席に大人しく腰を下ろした。
下手に長引かせず、ソッコーでたたみかけるのが作戦だ。
千歳は机をどんと叩きつけた。
「ネタはあがってるんでい!」
「でい……?」
「観念しな、坊や」
「……何を?」
「君の悪行についてだよ」
「なるほどな。要するにお前は、俺のなんらかの行いをネタに、俺を脅そうってんだな?」
五十嵐はしたり顔で腰の位置を調整し、威圧するように脚を組んだ。
「そんなところさ」
「かわいい顔して意外とエグいなお前。ふだんの弱っちい泣き虫は演技か? まあいい。早くネタとやらを見せてみろ」
五十嵐は余裕の表情だ。
そりゃそうか。実際に悪事なんて働いていないのだから、後ろめたいものなんかあるわけない。
「そのすまし顔がいつまで続くか見ものだな」
千歳は不敵に笑い、スマホに写真を表示し、五十嵐に差し出した。
「もちろん消しても無駄だよ。バックアップは抜かりなく取ってあるからね」
五十嵐はスマホを受け取り、画面を見ると、目を見開いた。
驚くのは当然だ。その写真は、彼の今後を左右しかねないトンデモナイ代物だからだ。
昨日、空き教室で五十嵐を眠らせたあと、ピンクのラグマットに彼をのせて、周りに酒の空き缶や煙草を配置して、その様を撮影したのだ。
どう見ても、女性の部屋で酔いつぶれて眠ってしまったとしか思えない、スキャンダラスな光景だ。
「お前、これ、いつ撮ったんだ?」
「いつだっていいだろう? いろいろな角度からたくさん撮ってるよ。じっくり見てみて」
五十嵐は目を血走らせ、スマホの画面をスワイプしていく。
次の五十嵐のセリフは容易に想像できる。「こんなことしてねぇ!」とか「でっちあげだ!」といったあたりだ。実際、五十嵐はそんなことしていないし、写真は完全にでっちあげなのだから当然だ。
それに対し、千歳は「写真に写っていることが全てさ」とクールに冷酷に応じる手はずだ。
しかし、五十嵐の反応は、想像と全く違った。
「頼む。このことは、秘密にしてくれ……」
おや、と千歳は思った。
キレて弁解する段階をすっ飛ばし、許しを請うファイナルフェイズに早くも突入した。
意外と脆いな、と千歳は思い、同時に背筋を這いあがってくるぴりぴりした刺激を感じた。
「これをバラされたら、もう二度とバスケできないねぇ」
決め台詞。昨夜特に念入りに稽古した台詞!
決まったァー!
五十嵐への後ろめたさの中に、そんな歓喜が浮かび上がる。
「バスケ?」
五十嵐は困惑の色を滲ませる。
「バスケは関係ねぇだろ?」
「え? バスケは関係ない……?」
何を言っているのだろう? 飲酒喫煙の現場(でっちあげだけど)の写真をバラまかれたら、処分は免れないだろう。部活を続けていくことはできなくなる。五十嵐にとってバスケは生きがいで、学校に来る一番の動機のはずだ。
「ああ、べつに、バスケ部の奴らには見られても構わねぇよ。そりゃあ見られないに越したことはねぇけどさ」
「……? 言っておくけど、顧問の先生にも見せるからね?」
「安東に? べつに構わねぇが……」
なんだか話がかみ合っていないような気がする。
いつか見たお笑い番組で、とあるコンビがやっていたコントを思い出す。お互いに勘違いをしていて、だけど会話だけはとんとん進んでいってしまう、すれ違いを描いたすごく笑えるやつ。
千歳と五十嵐のやり取りは全然笑えないけど、あのコントに似た歯がゆさがある。
千歳か五十嵐、あるいは両方が何か根本的に勘違いしているという確信めいた予感が、千歳に不穏な沈黙をもたらす。
「……えと、じゃあ、誰にバラされると困るの?」
「クラスの奴らには黙っていてくれ」
「クラスのみんなに……?」
クラスのみんなは、五十嵐が飲酒や喫煙をしていてもちっとも驚かないし、失望もしないだろう。なのに、いったいどうして……?
「特に」と言葉を絞り出した五十嵐の目には、心なしか、薄っすらと涙が浮かんでいるようだった。
瞬間、千歳はゾクゾクっと身震いしてしまった。
なんだ、この感覚は……。
「特に、オオカミだけには絶対にバラさないでほしい! このとおりだ! こんなもんを見られるわけにはいかねぇんだ!」
オオカミさんには特に……?
千歳の困惑は加速する一方だ。
ひとまずスマホを返してもらい、千歳は改めて写真をチェックすることにした。
何か重大なものを見落としているのかもしれないと思った。
「ん?」
スマホに表示されている写真を見て、千歳は首をかしげた。
そして今一度、スマホの画面を相手に向けて、尋ねた。
「ねえ、五十嵐くんが見てた写真って、これ?」
「そうだが」
「……」
五十嵐を脅すための捏造写真は、メインとは別のフォルダに分けておいた。
しかし、五十嵐にスマホを手渡す際、千歳はテンパりまくっていたので、メインのフォルダを開いた状態のままにしてしまっていたのだ。
その結果、五十嵐はどうやら、彼の善行を収めた写真を見てしまっていたようだった。おじいさんを負ぶってあげたり、ナンパ野郎を追い払ったりの、素晴らしい行いの数々を激写した写真。
……すると、どういうことだ? 五十嵐は、自らの善行をクラスのみんなに、特にオオカミさんに、知られたくないということか?
……は? なんで?
「なんで、オオカミさんには特に知られたくないの?」
あまりにイミフで、千歳はついストレートに訊いてしまった。
「……言わないとダメか?」
「ダメだよ。自分の立場をわきまえてよね」
千歳は慌てて性悪の仮面をかぶり直して言った。
「……分かった」
五十嵐は力なく項垂れた。
「実は俺、オオカミのことが好きなんだ」
「……ふぅん」
「オオカミってさ、ほら、ヤンキーだろ? だから俺もあいつにふさわしい男になろうと思って、無理して悪ぶってたんだ。でも、そんな写真をあいつが見たら、俺が偽物のワルだってバレちまう。それだけは避けたいんだ」
「……」
五十嵐武蔵。この人、アホの子だ!
べつに意外じゃないけど!
まさか善行を収めた写真で脅すというワケの分からない展開になるとは夢にも思っていなかった千歳だが、なんであれ好都合だ。
「そうだよねぇ。オオカミさんってヤンキーが好きだもんねぇ」
そんなことは知らないが、ここはハッタリをぶちかまして追い込む場面だと千歳は判断した。
「五十嵐くんがヤンキーどころか超いい人だって知ったら、きっとオオカミさんは失望するだろうねぇ?」
「頼む。このことは秘密にしてくれ」
「いいよ」
「ありがとう、早乙女……」
「でも条件がある」
「条件……?」
「しばらく、僕のシモベになれ」
「シモベ……?」
「五十嵐くん、シモベのくせにちょっと態度が大きすぎるんじゃないかな?」
千歳は机に肘をついて手を組むと、その上にそっと顎をのせて、冷たい笑みを五十嵐の脚に向けた。
「悪かった……」
五十嵐は組んでいた脚をほどき、姿勢を正して椅子にまっすぐ座り直した。
「シモベのくせに僕を見下ろすのはどうかと思うよ?」
「……」
五十嵐は椅子からゆっくり立ち上がる。
ぶん殴られるかもと一瞬身構えた千歳だったが、彼の強張った表情はすぐに甘美にとろけた。
五十嵐は、床に片膝をつき、こうべを垂れていた。
騎士かー!
心でつっこみながらも、ゾクゾクと体を駆け巡る快感に抗えず、要求はエスカレートする。
「ん」
千歳は、片手をすっと差し出した。
「え?」
五十嵐は困惑の表情を浮かべる。
「キスして」
「え」
「早く」
言われたとおり、五十嵐は千歳の手を恐る恐る取り、そっと口づけをした。
マフィア映画ごっこ達成!
「これで、いいか……?」
「なんか口のきき方が偉そうじゃない?」
そう千歳が冷たく言うと、五十嵐はキッと睨み上げてきた。
言うまでもなく千歳はヒヤッとしたけど、五十嵐はすぐに目から気炎を消し、屈辱に耐えるように唇を噛みしめた。それから程なくして、彼は脱力するようにふっと口を開いた。
「大変、申し訳ございませんでした……」
「よくできました」
千歳は五十嵐の頭を撫でてやった。
「ありがとうございます……」
ヤンキー(ファッションだけど)に敬語使われてる! 夢みたいだ!
「今日はもう行っていいよ。明日からも、きちんと僕の言うこと聞いてね」
「分かりました」
五十嵐は扉の前で一度立ち止まって恭しく頭を下げてから、空き教室を出た。そして千歳の気に障るのを恐れるように、そっと扉を閉めた。
こつんっと、扉の閉まる音がトリガーになったように、千歳の表情からサディスティックな笑みが消えた。入れ替わるように、限界まで水に潜っていたみたいな荒々しい呼吸が表出する。
「はぁ……はぁ……僕が、五十嵐くんを、脅した……?」
「千歳ェ!」
掃除用具入れの扉が内側から開け放たれ、顔を上気させたフチュが飛び出してきた。
「そういやフチュいたんだよね。緊張しすぎて完全に忘れてた」
「千歳、お前、やはりSの素質があるぞ! すこぶる興奮したぞ私は!」
フチュは不自然に前傾姿勢をとっている。
千歳はフチュの股間あたりをジト目で見つめた。
「そんな目で見られると余計に! ああっ!」
「……満足してもらえてよかったよ」
「しょうじき、想像以上だった。役者にでもなったらどうだ千歳」
「ぜんぶBL本で読んだ展開だったからさ」
「よっ、BLエリート!」
まさか自分があんなに冷酷に振る舞えるなんて、千歳は今さらながら戦慄した。
ちょっと自分のことが怖くなった。五十嵐を攻めているとき、何かが自分に憑依していたようでもあった。




