雑踏にて
闇夜に包まれた港街。
歓楽街は幾多のネオンの輝きに満ちていた。
人々でひしめく雑踏、店舗から溢れる雑音。いつもと変わらぬ風景がそこにはあった。
その一角の雑居ビル。
「くそったれ、やべーよ」
地下に続く階段から、ひとりの男が足早に上がってくる。
眼鏡を掛けたオーク学園の生徒らしい。なにかに怯えるように右肩を押さえ、酷くキョドった様子だ。
「なぁお前、仲間を置いて逃げる気かよ」
だが階段の頂上付近では、何者かが立ちはだかっている。
金色に染めた髪の、左側半分を刈り上げた少年だ。着込むのはブレザー。オーク学園の一年生だ。
「なんだ、てめぇ?」
それを呆然と睨み付ける眼鏡。
「一年坊が。時間がないんだ」
しかし、邪魔だ、とばかりにそれと身体を交差させて、足早に階段を駆け上がる。
「わりぃけど、逃がしはしねーんだよ“先輩”」
だがそれを、金髪は許しはしない。無情にも足で押し払う。
「グオーッ!」
堪らずバランスを崩す眼鏡。
階段を転げ落ち、壁際に背中を打ち付けてガックリと気絶した。
目の前は繁華街の目抜通りだ。
続く車の、テールランプの赤い群れ。幾多の人々が雑踏を往来している。
それでも誰も、その様子には気付かない。悲痛なる叫びは、ガヤガヤした雑音に掻き消された。
「まったく、見張りなんて、つまんねー役だな。どうせなら街中で暴れてもいいのにな」
それらを横目で眺めて、うんざりそうに吐き捨てる金髪。
それから察するに、地下との行き来を制限しているようだ。
「どうよ拓也、ケリはついたのか?」
後方から響くその声に、はっとして振り返る。
雑踏には新たなる人物の姿があった。同い年程の、緩くウェーブさせた茶髪の少年。ブレザーの上から、白いダウンジャケットを羽織っていた。端正な面持ちの中にも崇高なる思いが感じ取れる。
「よお、遅いじゃんか、“リーダー”がそんなんじゃ、ダメじゃんよ」
怪訝そうに投げかける金髪。
その名は拓也、そして茶髪がそれらのリーダー格のようだ。
「リーダーって、お前らが勝手に決めただけっしょ」
おどけるように両手を広げるリーダー。
「……奴の始末はつけてきた。ご所望通り、例の張り紙を張り付けてな」
そして顔を近づけて意味深に言った。それでもその瞳の奥底に宿る闘志は健在。
「流石だな、それでこそ俺達のリーダー」
それを知ってか、拓也の表情も引き締まる。
「こっちは、かっちゃん達が仕上げにかかってんだけど、相手の数がハンパねーべ? 時間にして既に三十分だ、多分手こずってんじゃねぇか?」
「人数は何人ぐらい?」
「おそらくは十数人。何人かの出入りもあったけど、ここで防いだ。今んところ問題はないだろう」
「一般人は?」
「最初からいた一般人には、既にお帰り願ってる。もちろん出入りするのもシャットアウトだ」
そして会話が途絶える。
耳を澄ませば、階下から微かに音が響いている。激しい喘ぎ声と、なにかが砕けるような凶音。緊急を知らせるような不気味さがそこにはあった。
それを聞き入り、ふーっと大きく深呼吸をするリーダー。
「しゃーねーな、行くとするか」
意を決したように、ゆっくりと階段を下り出す。
それを拓也が神妙な面持ちで眺めている。
「俺も暴れてぇな」
そして再び雑踏を見据えて、ぼそりと呟いた。
確かに彼の役割は他に比べて地味だ。
このままでは名を挙げるどころか、その存在事態が目立たなくなるだろう。
その心情は、リーダーもなんとなくは察する。
「勘違いするなよ拓也。お前がしっかり見張りしてるから、俺らは頑張れるんだぜ。お前が居なきゃ、下の連中も苦労した筈だ。いわば袋のネズミも同じだった」
立ち止まって背中越しに言い放つ。
階段の踊り場には、数人の男達が寝転がっていた。それは応援に駆け付けた敵方の者達だった。
その誰も彼もが腕を階段の手すりに繋がれて、口元には粘着テープが巻かれている。拓也がその往来を阻止した結果だ。
「後方の憂いを断ち切るのが、お前の役割なんだ。しっかりとその仕事、全うしてくれよ」
頼れる存在だからこそ、任せられる地味な仕事もある。云わば縁の下の力持ち。それがなければ派手な舞台は成り立たない。
それを鼓舞するように、リーダーは右拳を上に振りかざしながら、階下に消えていった。