全ての終わりは始まりに過ぎず
「どうするんだよこの騒ぎ」
相沢が言った。かすかに青ざめて目の前の状況を見いっている。
体育館では、ところかしこで激しい乱闘が開始されている。血と涙が流れ、怒号と悲鳴が飛び交う、阿鼻叫喚の地獄絵図の様相を呈していた。
その中央部では、あの二つのグループが対峙している。どちらも今後の一年生の覇権を争う大規模グループだ、そう易々とは動けないのだろう。
故に一応の均衡状態にあるが、それも危ういもの。なにかしらの外部的圧力が加われば一気に爆発する恐れがある。
奥の方では教師達が、鬼の形相で睨んでいる。『話が違うじゃないか』そう言いたげな雰囲気だ。
「時間の問題さ。たかだか一年生の争いに、支配者たる俺がでしゃばる問題じゃねーだろ。一応式が始まるまでは好きにさせるさ」
永瀬は時計ばかり気にしていた。
式の始まりまでは、あと一分を切っていた。スピーカーの電源が投入されて、『これよりオーク学園新入学生入学式典が始まります』と流れれば、この馬鹿げた争いも終わりを告げる筈。
一年生とてそこまで馬鹿じゃない、そう信じるしか手立てはなかった。
そう思うと、時計の秒針の動きがやけに遅く感じる。カチッカチッと時を刻むごとに、至る所から悲鳴とも怒号とも思える叫びが挙がる。
まるで永遠の時の牢獄に繋がれた心境だった。
ガチャ、スピーカーの電源が入る音が響いた。
聞き耳を立てていた永瀬の表情が緩む。同じく教師達も、ホッと安堵のため息を漏らした。
……やっと入学式が始まる、やっとこの騒ぎが終了する……そんな待ちに待った瞬間だ。
『二年A組、鳴神統! 貴様は退学だ!!』
しかしスピーカーから響いたのは怒号だった。
『訊いてるのか鳴神! とにかく至急職員室まで来やがれ! ぜってーぶち殺すからな!!』
怒り狂ったような狂気の響き。
後方からはそれを押さえようと『止めてください』『入学式が始まる時間なんですよ』そんな雑音も混じっている。
「この声って?」
その声には、茶髪の少年も聞き覚えがあった。さっき廊下に倒れていたあの教師、セクハラケンシロウの声だ。
体育館内が別のざわめきに包まれる。『北斗先生、何故入学式の邪魔を』『放送室が占拠されただって?』教師達が蒼白になって呟いている。
「鳴神統、どこにいやがる!」
「オーク学園教師をなめるな、職員室まで来てもらおう!」
校舎と体育館を繋ぐドアが開いて二人の教師が雪崩れ込んでくる。
「あそこだ!」
「野郎、教師を殴っておいて、ヘラヘラ女とお喋りとは」
それはとても教師とは思えない屈強な男達だ。
一方は肩に竹刀を担いだ、おちょぼ口の教師。
もう一方は黒い胴着を着込んで髪を逆モヒカンに逆立てた、筋肉質の教師。
その視線の先には、女ばかりの人だかりがあった。意気揚々と向かってくる教師に気付いて、その人だかりが崩れていく。
そしてその中央部に立ち尽くす、鳴神統らしき男の姿を認めて、少年は息を飲んだ。
あんな屈強な男を倒すぐらいだから、とてつもない大男だろうと想像していた。熊のようなごつごつした体格の猛者だろうと思っていた。
だがそれは大きな間違いだった。そこに立ち尽くすのは、モデルと見紛う程の端整な顔立ちの男。細身の身体に長い銀髪、その類い希なるルックスとマスク。
周りに大勢の女達が、まとわりついていたのも頷ける。それでも華奢だとか、弱々しい雰囲気は微塵も感じ取れない。何故だかその姿が大きく見える、神々しさまで感じていた。
「俺様を名指ししたのは、貴様らか」
その鋭い視線が教師達を捉える。教師達の表情が、一瞬凍り付いたのが分かった。
一方で他の生徒達は、その様子を様々な思いを内に秘めて見つめている。『あれが鳴神統か。転校早々、シュウと張り合ったらしいな』『かなりの強さらしいな。ケンシロウを一撃だってよ』『なぁに、タダのすかした転校生さ。そのうち嫌でもここのルールを知って、去勢された子犬のようにおとなしくなるだろう』『この時期の転入だもんな。どこかの派閥に瞬殺されて、吸収されるだけさ』誰もが剣呑な表情を浮かべて見いっていた。
辺りを支配するのは、この世とは思えぬ異質な空気。
まるで 天国にいるような高揚感と、地獄にいるような息苦しさが混在していた。
「あの鳴神って先輩、そんなに強いのかよ。そうは見えないけど」
「馬鹿、人を見た目で判断するな。あれはそうとう危険じゃぞ、絶対に手を出しちゃいかん奴じゃ。しかもこの学校、他にも手を出しちゃいかん危険な輩で溢れておる」
ひそひそと囁き合う金髪と猛牛。
金髪には感じ取れないようだが、猛牛の方には感じ取れた、この世のものとは思えぬ危険な覇気を。まるで危険なジャングル、いや異世界にでも迷い込んだ心境だった。
「へへへ、流石はオークだぜ。夏樹先輩以外にも、コエー連中が揃っている」
そしてその覇気は、かっちゃんも感じ取っていた。
それを感じても、その表情に浮かぶのは笑み。危険な空気を、楽しむ余裕さえ見せる。
「先輩の言った通りだ。危険なサルやカマキリってのも、まんざら冗談じゃないらしい」
苦笑する茶髪の少年。
彼もその覇気は感じ取っていた。
至る所から放たれる、突き刺さるような視線、圧迫されるような覇気を。
オーク学園が普通の高校ではないことを、改めて噛み締めていた。
彼らを始めとした多くの猛者が、痛感せざる得なかった。ここは世間とは違った異質な空間であると。
大袈裟な言い方だが 、そこに集うのは、大型の肉食獣、もしくは人間の皮を被った悪魔、更には闘いに明け暮れる修羅や羅刹。凡そ人の常識で測れる場所ではないと……
そしてそれを如実に表す出来事を、次の瞬間、その場の誰もが目撃する。
「へへへ、遅刻だけは免れたぜ」
体育館正面扉を開いて、何者かが侵入してきた。
それは黒い衣服に白いレースのひらひら、いわゆるメイド服に身を包んだ人物だった。しかしそれは女ではない、短く刈り込んだ赤毛の少年だ。
異様なのはその顔面や衣服が、所々赤く染め抜かれていること。おそらくは返り血だろう、その量からするに数人分。
その視線は覚束ない、完全にてんぱっているようだ。
「嘘だろ、高崎の奴、本当に登校して来たぞ」
「見てみろよ、腕を繋ぐチェーンが切れてるぞ、あれはヤバい」
「奴と目を併せるな、切り刻まれるぞ!」
その少年には多くの生徒も覚えがあった。
ヴァンプ高崎と呼ばれる危険なルーキーだ。普段からイカれた性格の持ち主なのだが、血を見るとその狂気が爆発する。それが許容範囲を越えると、完全に制御不能に陥る。
普段は両手をチェーンで繋いで、その狂暴さを封じているのだが、今はそれが切れていた。なにかの弾みで切れたのだろう。
流石にそれには多くの生徒も戸惑いを隠せない。
高崎が歩く毎に、面倒はゴメンだとばかりに後ずさる。他人を押し倒し、人垣が割れて場所が開けていく。
「せっかくこの日の為に、新調した服なのに汚れちゃった」
その中央を、高崎がゆらゆらと歩き続ける。まるでモーゼの十戒を彷彿させるような光景だ。
「あっ!」
高崎の目の前で、一年生らしきひとりの少年が転んだ。
まだあどけない小学生のような、華奢な少年だ。他の生徒に押されてその場に倒れ込んだのだろう。
そしてその後方には、鳴神の姿がある。
こうして人だかりの中央、三人の姿が浮かび上がった。
「貴様、地獄の獄卒か?」
視線を細めて、覚めたように言い放つ鳴神。
「なんだよお前、殺していいのか?」
きょどった視線の高崎。らんらんと輝く視線で、対する二人を見据える。
「あっ、あ……」
一方の華奢な少年は蒼白だ。腰を抜かして、声にもならず口をパクパクさせるだけだ。
そして包み込む沈黙。誰もが固唾を飲んで、その様子を見いっている。かすかに感じる悪寒、醜悪な空気が辺りを包み始める。
開いた扉からは一陣の風が吹き込んでいた。それに誘われて桜の花びらがヒラヒラと舞い込んでいる。鼻孔をくすぐる、甘美なる優しい匂いだ。
突然、その風が強烈な突風に変わった。乱れ散った桜吹雪が、一気に舞い込んでくる。
「なんだこの風は?」
「目の前も見えないぞ!」
それは一寸先も見えなくなる程、凄まじい風だった。誰もが腕をかざして視線を覆う。
光のどけき春の日に、優雅に咲き誇り、生き急ぐかのように散っていく桜の花びら。
まるで戦場を駆け抜けて、誇らしげに散り行く戦士そのものを彷彿させる。
人の夢と書いて儚いと読む。栄華衰退、全ては一夜の夢。
どんなに腕に覚えがあろうと、どんなに莫大な富を築こうと、人である以上いつかは滅びる。それを物語るようで、力強くも物悲しい光景だ。
突風は体育館内を駆け抜けて、なにもない宙に掻き消えて行った。
残されたのは、あちらこちらに飛散する桜の花びらと、心まで凍り付かせるような沈黙だけ。
その場に集う誰もが痛感する。この学校に集うのは、馬鹿なヤンキーや腕自慢の猛者だけではないと。
体育館中央には、ひとりの生徒が声もなく倒れ込んでいた。
「いったいなにか起こったんだ?」
「とにかく救急車の手配を!」
「警察沙汰はまずい、保健室に担ぎ込め!」
響き渡る教師達の悲痛な叫び。
その視線が捉えるのは、倒れ込んだ高崎の姿。白目を剥いて口から泡を吹き、完全に気絶していた。おぞましいのは、その腕があらぬ方向に曲がっていること、あの一瞬の間に何者かの攻撃を受けたのだ。
私立キングダム・オーク学園。かつては県下でも屈指の名門校だった。
しかし一年前、事態は急変する。県内でも有名な荒くれ達が、ぞくぞくと入学してきたのだ。
学園内では連日激しい抗争が勃発する。
弱者は淘汰され、強者がのしあがる。
強者は強者と激突して、新たなる抗争の引き金となった。
それは学園全体を巻き込み、全てを戦場へと化していった。
後に『第一次オーク戦線』と呼ばれる戦乱の始まりだった。
そしてそれから、一年の年月が過ぎた。
抗争はひとまずの収拾を得ていた。数人の死傷者と、逮捕者を出して、終結せざる得なくなったからだ。
こうして学園には、かりそめの平和が訪れる。
抗争の末、巨大に膨れ上がった勢力は拮抗して、見えざるバランスで保たれていた。
とはいえそれは、巨大に膨れ上がった風船にも酷似した状況だ。なにかしらの衝撃が加われば、いつでも爆発して、最悪の事態を招きそうな危険な状態。
そして今年もオーク学園には、新たなるルーキーが集いつつあった。それぞれが学園の支配者となる資質を秘めていた。それが意味することは、言わずとも誰もが理解するところ。
そして神がかった転校生の登場が、学園に最悪の事態を招くとは、この時は誰も知らないことだ。