尊敬する先輩
その日の放課後、吉沢蒼汰はとある喫茶店に足を踏み入れようとしていた。
その後方には小柄な女。もじもじと蒼汰の背中に貼り付いている。
カランカラーンと呼び鈴を鳴らして、店内に足を進める。
時刻は午後の四時を指し示そうとしている。
淹れたてのコーヒーの匂いが辺りを包み込み、射し込む西陽に、観葉植物の緑が鮮やかだ。
個々に仕切られたテーブル席に、数組の客の姿。
どこに座ろうかと、店内をキョロキョロ見回す。
「あ? シュウさん、じゃないッスか」
そして見覚えある姿を認めて、声を掛けた。
「ヴァ、誰だ、俺様を勝手に呼ぶ奴は?」
それに呼応して、相手が訝しげに視線を向ける。
それは目つきの鋭い黒髪の男だ。ウルフにした髪型は、突き刺さるほどにとげとげしい。
着込むのは黒の詰襟。襟元に煌めくのは樫のエンブレム。
オーク学園は、今年から男子生徒の制服がブレザーに変わった。つまり詰襟を着込むのは二年生、三年生ということだ。
その理由は『やっぱり高校生は、ブレザーだよね~』との理事長の、鶴の一声から。
ブレザーの方が今時だし、学園の知名度もぐんとアップする、そんな思惑があるのは間違いない。
「おっ、蒼汰じゃんか」
蒼汰の姿を認めて、男の表情が穏やかになる。
黒瀬修司。通称シュウ。
蒼汰のひとつ年上で、オーク学園二年生。同じ“帝王中学”出身の先輩だ。
その周りのは三人の同級生と思える男女。小柄なおかっぱ頭の男と、小さな可憐な女、少しぽっちゃりした女だ。
「ウッス、シュウさん。ずっと挨拶に伺おうと思ってたんスが、なんせ入学してすぐなんで、色々とたて込んでて忙しくて」
気まずそうに後頭部を押さえる蒼汰。
「一年生も“色々忙しい”だろうからな。しかし、やっぱりお前、オークに入ってたんだ」
笑って返すシュウ。
「ウッス、シュウさんの後を、追って来たッス」
おどけたように右手を額にかざし、敬礼を繰り出す蒼汰。
「バーカ、敬礼ってのはビシッ!とするもんだ」
対するシュウも負けはしない。ビシッと腕を直角に曲げて敬礼して返す。
端から見れば不思議な光景だろう。まるで小学生がやる警察ゴッコのようだ。
一瞬の沈黙、二人の口元が徐々に緩んでいく。
「あはは、流石はシュウさん」
「へへへ。笑ってんじゃねーよ」
そしてどちらともなく腹を抱えて大笑いしだす。
馬鹿げたやり取りだが、妙な懐かしさを感じていた。中坊時代を少しだけ思い出していた。
一方でそのやり取りは、他からすれば戸惑いの対象でしかない。
呆気に取られて、冷たい視線を向けている。
「こ、こいつは俺の後輩。吉沢蒼汰、帝王中学時代の後輩さ」
それでシュウも我に返る。
少しばかりにテンパり、慌てて他の面々に紹介した。
「あはは、おもしれー。流石はシュウさん。宜しくッス、吉沢蒼汰ッス」
それとは対象的に、翔太は爽やかな態度だ。ごく自然に、臆することもなくあっけらかんと挨拶した。
「太助だよ」
「私は春菜」
「始めまして、私はマリアです」
それを受けて太助達もそれぞれが自己紹介をする。小さいのが太助、ぽっちゃりが春菜、可憐なのがマリア。
「宜しくッス」
改めて頭を下げ直すと、後方に視線を向ける蒼汰。
「ほら、お前も挨拶しなきゃダメじゃんか」
そしてその後方に隠れる女を、前に押し出した。
彼女はよほど恥ずかしいのか、もじもじと俯き加減だ。
「私は志織です。一年の今井志織です」
それでも蒼汰に肘でつつかれて、顔を赤らめながら挨拶した。
初々しいようなはにかむ表情。
「なんだよ、おめーの彼女なのか?」
「そうッス。俺の彼女ッス」
「心から、大好きなんですね」
同じく笑みを浮かべて訊ねるマリア。
「ウッス、大好きッス」
「……蒼汰くん」
白い歯を見せて堂々と言い放つ蒼汰と、微かに紅潮して俯く志織。
蒼汰にとって志緒は大切な彼女だ。この小さな存在くらいはちゃんと守りたい。
「ご馳走さん、流石に呆れたよ」
堪らず言い放つシュウ。
「ほら、志織。この人が黒瀬修司さん。いつも言ってるだろ? “魔王シュウ”、最高にブッ飛んだ先輩だって」
蒼汰が言った。その視線は志織に向けられている。
「なんだよ『いつも言ってる』って。ろくなこと言ってねーんだべ?」
同じくシュウも志織に視線を向けた。
「蒼汰くん、いつも言ってるんです。『俺は、シュウさんみたいに強くなるんだ』とか『あの人はこの街で一番強い男だ』とか」
志織が上目遣いで答えた。
「へへへ、志織には悪いけど、俺が一番惚れ込んだ人は、シュウ さんッスから」
その台詞を蒼汰は、満足げに訊いてる。本気とも冗談とも受け取れる、とぼけた表情だ。
「おいおい、てめーはマジでそんなこと言ってんのか?」
堪らず言い放つシュウ。
「うっす。だって本当のことっすから」
それに蒼汰が堂々と答えた。
事実、中坊時代の蒼汰は、シュウと同じ時間を過ごしてきた。尊敬して信頼し、どこに行くにも付いてまとった。
蒼汰だけではなく、大勢の男達がだ。
その頃のシュウは、全てをねじ伏せる野望と、飽くことなき統率心に満ちていた。
市内の半分の不良を掌握し、いつかは全てを手中に収めるだろうと言われていた。
ついたあだ名は魔王。統治者の意味だ。
だがそれは過去の話だ。
"とある事件"を最後に、シュウは統治者の意味を捨てた。
故に魔王の軍団は消滅。そこに芽吹いていた、憧れや希望、闘争心や野望のみが、行くあてもなく彷徨っている。
今でも思う、あのステージの先には、どんな光景が広がっていたのだろうと……




