婚約破棄後の3日間
――たぶん彼は話を聞いてなかった。
というか、どうでもよかったのだと思う。
真実の愛を見つけたとか、謂れのない事実や婚約破棄だとか、全部全部どうだってよかったのだ。
だからキョトンとして、青年は『今』だけを素直に受け入れる。
下卑た笑みを浮かべた青年たちに、キョトンとした青年は首かしげて確かめるように口を開いた。
「ボクに、ですか?」
「ああ」
青年は今にも泣き崩れそうな女性ををチラリと見たあと、目の前の青年たちに朗らかな笑みを見せた。
「アーレント王子、お嫁さんの世話をしてくださるなんて、ありがとうございます」
深々とお辞儀をした青年は、唖然として何も言えない目の前のアーレントたちを他所にのんびりと一人喋る。
「こんなに素敵な方をあてがって頂けるなんて国一番の果報者かもしれませんね」
それから、泣き崩れそうな女性にふわふわと笑って声をかける。
「アイリーン様、どうぞよろしくお願いいたします。愛想をつかされないよう頑張ります」
「え、えぇ」
女性の表情は悲しみから戸惑いに変わっていく。のんびりとした青年は目の前の青年たちに一礼をすると女性の手をとって会場を後にした。
アイリーンにとって前も後ろも恐怖でしかなかったけれど、それなら会場から一刻も早く離れたかった。今あの場はアイリーンにとって残酷すぎた。
「アイリーン様」
「な、なにかしら?」
馬車の前まで行けば、アイリーンはやってもいない罪で婚約破棄されたことへの悲しみに加えて、自宅に帰った後の両親の反応を想像して恐怖に駆られていた。
そんなアイリーンを知ってか知らずか、青年はのんびりとした口調を崩さずポワポワとした様子でアイリーンに手袋を差し出した。
「ハンカチは……ないので、これを」
どうやら同じ布だから涙を拭うのには使えると判断したようだ。
青年は使ってないから綺麗だとか、どーでもいいことを付け足している。本人は至って真面目なつもりなのだろうけど、どこかずれている。
アイリーンが手袋を受け取れば、青年は一体何が起きていたのかとアイリーンに尋ねた。
あれだけの騒ぎが起きていたというのに何一つとして分かっていない青年は周囲のことに対しあまりに無関心すぎる。
呆れながらもアイリーンが青年に説明をすれば、青年はなるほどとすぐに理解を示した。
「明日の朝一番に使者と迎えを送りますので、その時までは必ず家にいてくださいね」
「……そんなの、どうなるか」
「 その時は、これで安全な宿にでも泊まってください」
そう言って青年はアイリーンの腕に細身のブレスレットをつける。
「では、明日またお会いしましょう」
すっかり青年のペースに飲まれてしまいなにも言えずに立ち尽くしたアイリーンは、左手にはめられたブレスレットを見てそっと右手で握った。
確かにこれなら、例え着の身着のまま家を追い出されたとしてもアイリーンの手元に残るだろうからどこかに泊まることも出来るかもしれない。
アイリーンは小さくなっていく青年の背中を見ながら思った。
彼は噂ほど悪い人ではないのかも知れないと。
☆☆☆
「ただいま帰りました」
青年は家に帰ると、いつものようにすぐに自室にこもることなく今日は両親の元に向かった。
今日は報告しなくてはならないことがあるからだ。
アイリーンから先ほど聞いたことを始めに伝え、それから自らが置かれた状況について付け足す。
「――なので、アイリーン様と婚姻することになりました」
「分かったが、お前は……」
言いづらそうに言葉を止めた父親は続きを口にできず、母親が続きを口にする。
「ウォーレン、あなたは万人に好かれるような人ではないのは分かってます。せめて、嫌われないよう努めなさい」
ひどい言われようだと笑うウォーレンは、母親の言葉を否定することもなく事実として受け入れていた。
自覚はあるのだ。世間で自分が変人扱いされて嫌われていることくらい。
だからアーレント王子たちはアイリーンをウォーレンに押し付けたのだろうし、なぜかアーレント王子は必要以上に自分のことを嫌っているからこそ、悪女に仕立て上げたアイリーンをあてがったのだろう。
アイリーンがどう思っているかは知らないが、ウォーレンにとってみれば興味もないことだ。
まぁ、バカな男もいるものだというくらいの感想はあるけれど。
だってアイリーンは王妃になるべく育てられ、それらを卒なくこなすだけの能力も備えいる。それに加えて容姿、家柄、性格も申し分ない。
つまるところ彼女を手放すのは、アーレント王子にとって今いる地位を手放すのと同義とも言えるのだから。
陛下が帰国しないことにはこの話もどうなるか分からないと、ウォーレンは考えることを放棄して研究のために自室へと向かった。
翌朝、アイリーンがウォーレンの言っていた迎えでウォーレンの家に向かうと少々お待ちくださいと言われ通された部屋で30分ほど待たされた。
「申し訳ございません、アイリーン様。いい案が浮かんでしまって、呼ばれていることにも気づかず」
使用人たちに待たせすぎだと小言を受けたウォーレンはバツが悪いのか気まずそうにアイリーンの元までやってきた。
アイリーンはウォーレンに気にしていないと伝えると、昨日渡されたブレスレットをウォーレンに返す。
「これ、ありがとうございました」
「使わずに済んだようで何よりです。ですが、家は……」
ウォーレンは部屋の隅に置かれた大きな荷物に視線を向けて歯切れ悪く言った。
今後の話をと思いアイリーンを招くつもりだったのだが、どうやらウォーレンの悪い想定が当たったらしい。
「ええ、追い出されました。ですがウォーレン様のおかげで迎えが来るまで猶予が出来ました。ありがとうございます」
「力になれたのなら」
そう言ってウォーレンはふわりと笑う。
「今日はゆっくりと休んでください。落ち着く時間も必要かと思いますから」
確かに昨日は家に帰ってから落ち着く時間はなかった。
悲しむ暇もなく、わずかに引き伸ばした時間で急ぎ荷造りをしてここに来たのだから。味方をしてくれた母たちと別れを惜しむ時間すらもなかった。
一人になったアイリーンは、気がつけば涙を流して小さく震えいつの間にか疲れて眠りについていた。
アイリーンが目を覚まして起き上がるとハラリとタオルケットが床に落ちる。それを拾おうとして机上に軽食が置かれているのが見えた。
食欲はあまりないだろうという気遣いのようで、食べられそうなら食べてくださいと書かれたメモとともに一口サイズのものがいくつか置かれていた。サンドイッチの他にお菓子やデザートまで用意されている。
あまり食べる気にもならなかったが、全く手をつけないのも失礼かとアイリーンはその中から甘いものを一つ取ると無理やり水で押し込んだ。
この日はアイリーンの世話を任された使用人のみが出入りをして、ウォーレンがやって来ることはなかった。
興味がないのか、それとも――。
――翌日。
アイリーンがウォーレンの家に滞在して二日目。
朝から昼に変わる頃に、ウォーレンは彼の父に引きずられるようにしてやって来た。
引きずられていることに何か言うこともなくウォーレンはおっとりとした様子でアイリーンに挨拶をしてきた。
「おはようございます、アイリーン様。よく眠れましたか?」
「え、えぇ。それなりには……」
実際はあまり寝れていないのだが、この家の使用人たちが施してくれた化粧で誤魔化せてるはずだ。
「それなら良かったです」
ウォーレンが席に座るとウォーレンの父がアイリーンに気遣いの声をかけ、アイリーンは素直に礼を言った。
誰もがいま悪女だと嫌う中で、たとえ無関心だったとしても責められないこの空間はありがたい。
「まずですね、外遊から陛下が戻られないことにはこの一件はどうにも出来ないのでしばらくはアイリーン様を客人として扱うつもりなのですが構いませんか?」
「はい、そうしていただける助かりますわ。行くあてもないですから」
あの場でアーレント王子が賛同者とともに一方的にアイリーン悪女だとして王子の婚約者から追い出したところで、その権限を持つのは陛下である。
そもそもアイリーンは、王子のいう真実の愛の相手のことなど全く知らなかった。あの日初めて彼女の名前と顔を知ったくらいだ。
「あとは父上の領分ですよね」
「だからといって席を外すな、ウォーレン」
「あ、忘れ物を取りに行くだけです。変人がいない間に進めてください」
そう言ってウォーレンが部屋から出て行って、呆れる父上はすぐに切り替えてアイリーンと今後の話をしていく。
しばらく客人扱いをすると言っても今のアイリーンは行くあてもなく、家族も頼れるわけでもないためその辺りのこともある。
「お待たせ致しました」
ウォーレンは透明なティーポットとカップ、お湯に小さな缶とレモンを抱えて戻ってきた。
そして何を言うわけでもなくお茶をいれ始め、ウォーレンの父上はため息をついてからそのままアイリーンと話を続けることにした。説明をさせるとめんどうになると。
「どうぞ、アイリーン様。父上も」
「……変わった色、ですわね」
「毒か?」
「滅相もない」
ウォーレンが出したお茶の水色は真っ青で飲むのを躊躇ってしまう。
毒じゃないですと否定をしたウォーレンは一口飲んで見せてから、自分のカップにレモンを絞る。するとカップの中の液体は青から赤紫に近い色に変わった。
「まあ、一瞬で色が……」
「またおかしなものを」
それぞれの反応を見ながらウォーレンはゆるく笑う。
「領の子供たちへのお土産に。アイリーン様もご存知なければ楽しめるかと思ってお出ししました。味はほとんどしませんけどね」
のんびりとウォーレンはそんなことを言ってから、また一口お茶を飲み酸味に顔をしかめた。
「い、いただきます」
「無理はなさらずに」
ウォーレンの父が止めるのに小さく笑うと、アイリーンはおそるおそるといった風にカップに口をつける。
そうしながら、ウォーレンが気を使ってくれているのではないかという考えが脳裏を過ぎる。あのパーティーの帰り際もおそらく。
アイリーンはレモンを絞って水色を変え、ウォーレンの父が躊躇いながらお茶を口にしたのを見てから、アイリーンはウォーレンに問いかける。
「ウォーレン様。様々なお気遣いありがとうございます。一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「答えられることであれば」
「あなたは私が家を追い出されると考えていたのですか?」
あのパーティーの帰り際、ウォーレンは宿泊代になるだろうとアイリーンにブレスレットを渡していた。
彼が噂通りの人物であればそんなことをするはずもない。人の心が分からない冷血な人だと言われているだから。
「可能性があると思ったからです。侯爵の人となりは有名ですし」
「そう、でしたの」
「アイリーン様」
黙って話を聞いていたウォーレンの父が割って入る。
「息子の噂は曲解なのです。概ね真実とうたっても間違いではないのですが」
「曲解ですの?」
「はい。昨日、アイリーン様とお待たせしたことと思いますが、息子のウォーレンは集中しすぎて周りが見えなくなることが多々あります」
そして、変人だとからかってくる相手を相手にするのは時間の無駄だと適当にあしらってしまうらしいのだが、それが人の反感を買ってしまうという。
かといって、興味のないことはどうでもいいとわけでもなく困っている人に手を差し伸べる心も、人に気を使う心は持ってはいるようだが、噂のせいで彼をよく知る人物でなければ逃げ出すという。
事実を悪く言えばそうなる。本人が全く気にしないせいでそれがそのまま真実だと言われるようになってしまっているのだが。
「そうでしたの……」
「おそらくですけど、アイリーン様の相手に指名されたのはそれだけじゃなくて、王子にとても嫌われてるからでしょうね」
言葉が続かないアイリーンに追い打ちをかけるようにウォーレンが言った。
悪女に世間的に嫌われてる相手と結婚させれば、そのどちらも苦しみを味わうだろう理由もあるのではとウォーレンはのんきに言う。
どうして王子に必要以上に嫌われてるのは理由は分からないらしいが、高等学校に入学したての頃、学年五位以内に入ったときに試験で不正をしているなど難癖をつけられて後日、再試験をさせられたこともあったとウォーレン。
「受けたのですか?」
「はい、試験官に囲まれて。試験官に弟王子を指名させて頂きましたけど」
第三者を入れば確かにアーレント王子が何を言おうと、第三者の意見も認めざるを得ないだろう。同じ立場の人間ならなおさら。
どうやらウォーレンは頭も回るらしい。
必要以上にアーレント王子がウォーレンを嫌っているのは、自分より劣っているはずの相手に何か一つでも負けていることが許せないのだろう。その上で全く相手にされないから余計に。
長い付き合いのあるアイリーンにはそれがよくわかった。
のほほんとしたウォーレンは大して気にしてないようであるが、一介の家にとってはかなりの一大事だとアイリーンは思う。
なかなかに肝が座っていると言わざるを得ない。
そんなウォーレンにアイリーンはクスリと笑った。
ウォーレンの人となりを知ったいま、ひょっとしたら王子の元に嫁ぐよりも、このままウォーレンの元に嫁いだ方が良いような気もすると。
最後までお読みくださりありがとうございました。
楽しんでいただけたなら幸いです。
続編もありますので、そちらも読んでみてください。シリーズでまとめてあります。