終末
(ここは……どこだ?)
目前の風景を簡潔に説明するならば、それは"世界の終わり"が尤も相応しい表現なのだろう。
黄昏時によく似た斜陽を背景に、広大な大地や木々は徐々にポリゴンへと分解され、やがて跡形もなく消滅していく。絶望的ではあるものの、ほんの少しの美しさも内包している、芸術のような風景。
(そもそも、僕は一体……誰なんだ?)
まだハッキリとしない意識の中に浮かぶひとつの疑問。ふと視線を落としてみると、自身の身体はとりあえず人間でないことだけは理解できた。白と赤の織り混ざったふわふわの体毛に、細長い手から伸びる鋭い爪。
簡潔に言えば、“獣”だろうか。
(僕は、この姿をよく知っている)
曖昧な記憶だけれども、確かに存在する既視感。未だに自身が誰かすらも思い出せないが、この風景や自身の容姿だけは言いようのない寂寥感と共に深層意識から湧き上がってくる。
きっと、いつの間にか忘れてしまっていた記憶。
けれど、本当は忘れたくなかった大切な記憶。
(……ダメだ、思い出せない)
脳の引き出しを探ろうと深く意識するが、薄暗い靄がそれを拒む。まるでその答えを導かれることを望まぬように、自身の前に立ちはだかるかの如く。
(とにかく、少しでも手掛かりを探さないと)
じっとしていても仕方ない。そう判断したのか、“獣”は消滅し行く世界をぐるっと見渡した。相も変わらず広大な世界はゆっくりと、けれど着実にその姿を虚無へと帰していく。
(ん? あれは……)
そんな中、“獣”は遠方に自身の見知らぬ一つの影を見つける。斜陽の光を受けて輝きを放つそれは、一見して鉱物のようでもあったが、よくよく目を凝らすとそれは微かに動いている。
(あれも、この世界の住民か?)
肩透かしかもしれない。けれど、ほんの少しでも可能性があるのなら。
“獣”はその輝きを放つ何かの正体を探るべく、無意識にその方向へと跳躍した。その軽い身体は大きく飛び上がり、目視では遠かったその距離を一気に詰める。
「……来たか。最後の者よ」
”獣“が背後に立つや否や、その生物は待ちかねていたかのように重々しい口調で呟く。”獣“よりも頭ひとつ分程大きな体躯のそれは、鉱物ではなく氷を身に纏った”竜“だった。
「あんたは、何者だ? この世界は、一体何なんだ?」
「そうか……貴様も、この世界を忘れようとしている者か。嘆かわしい」
振り返ることもなく、ただ呟くだけ。そんな反応に多少の苛立ちを覚えた“獣”は、せめて顔を拝んでやろうと無理矢理“竜”の前方へと回り込んだ。
「おい、質問に答えろ……って、なんで泣いているんだ?」
「この世の終わりに、悲しみを覚えない者がいるものか。ヴァルカよ」
“竜”は静かに涙しながら、ヴァルカと呼ばれた“獣”を見下ろす。結局質問には答えられなかったが、それ以上問いただすことは阻まれた。
重苦しい空気が二人を包む。しかし、口火を切ったのは意外にも“竜”の方であった。
「我々は、誰かの手によって造られた物だ。生殺与奪の権限は、いつだってそいつの手中にあった」
「……それは、どういうことだ?」
「見ての通り。この世界は、そいつの手によって終焉を強制的に迎えさせられたのだ。我々の望まぬ形でな」
地平線の向こうに微かに見える、ポリゴンに分解されつつある世界の果て。“竜”はその光景をとても悔しそうに、屈強な拳をきつく握り締めながら見つめる。
「何故、我々が消えねばならぬ。誰かの都合で生み出され、誰かの都合の為に消される。我々には、何一つ抗うことは許されぬのか!」
語尾を荒げつつ、“竜”は大地を強く踏み締めた。大きな足跡が刻み込まれると共に、地面が微かに冷気を帯びて凍結していく。
(この感じ……そうか)
その光景を見たヴァルカの脳に、閃光が走った。確実に全ての記憶が蘇ったわけでは無いものの、それでも対面している“竜”の名前くらいは。
「氷帝……グラシア」
「……我の名は思い出したか。焔王」
「あぁ。ここがゲームの世界であることも含めて、徐々にな。」
タイトルこそ思い出せないものの、ここは間違いなく実際に誰かの手よって造られた世界。そして、ヴァルカはきっとその世界で生きた者。
「そこまで思い出したのなら、最早言葉は要らぬだろう。終末に生き永らえてしまったことを後悔しながら、いずれ消える運命に共に怯えようか」
「へっ、馬鹿言え。僕は最後まで大人しくイモってやるほどいい子ちゃんじゃないんだよっ!」
言うが早いか、ヴァルカは強烈な回し蹴りをグラシアへと放つ。しかし不意を突かれたにもかかわらず、その巨大な身体を軽やかに翻しつつ、鮮やかに躱していく。
「……なんのつもりだ」
「僕たちは、闘う為に生み出されたゲームのキャラクターだ。だったら、世界の終わりなんて気にしている場合じゃないだろ? ほらほら!」
まるで煽るかのように、ヴァルカはその軽い身体を駆使して多様な脚技をグラシアへと繰り出す。今度は全て躱すことを諦めたのか、少しよろめきながらも巨体で受け止めた。
「最早、この世界の理は欠落している。例え倒れたとしても、復活できる保証はない……覚悟の上だな?」
「関係ねぇ。本当に最期を迎えるんなら、全力で楽しもうぜ!」
「フッ、面白い奴だ。ならば我も全力を以て貴様を……ねじ伏せる!」
不敵な笑みを浮かべたグラシアだったが、その目付きは一瞬で殺意の篭った狩人のそれになる。前傾姿勢になった次の瞬間、大地を強く蹴るとヴァルカとの間合いを突進で一気に詰めた。
(確か、こいつとの相性は最悪だったんだよな。一発貰ったらほぼ負ける)
薄らぼんやりと浮かぶ記憶の残滓をかき集めながら出した結論だったが、身体は闘い方を覚えていた。ほぼ無意識に動き出す身体は前進を選び、グラシアの放つ突進を丁度良いタイミングで去なしていく。
(それで、所々に範囲攻撃と鋼体があるから迂闊に手は出さない。っと)
自身ではあまり意識していないものの、ヴァルカは非常に堅実な戦法を選んでいく。時折繰り出されるグラシアの頭突きや範囲攻撃にも冷静に対応し、気付けばヴァルカは着実にグラシアの体力を削っていった。
「……どうした。貴様の攻めっ気はその程度か? 焔王が聞いて呆れるぞ」
「煩いなぁ。僕は負けず嫌いだからちゃんと考えて戦ってるんだよ!」
決してグラシアの挑発には乗らず、非情に徹して脚技を叩き込む。しかしそもそもの体力量が違う為、ヴァルカの攻撃のペースでは今ひとつ押しきれない。
「手加減、か。ならばそろそろ本気を出させてやろうか」
(必殺……来るか?)
ヴァルカの読み通りならば、グラシアの必殺である超広範囲攻撃が飛んでくる筈。一度食らえば相手を確実に封殺する、絶対零度の檻。
しかし、そんな読みとは裏腹にグラシアはヴァルカの頭上高くへと飛び上がる。空中戦はヴァルカの得意分野である為、不可解な行動に疑問符が浮かんだ。
(迎撃するのは不味い。回避優先だ!)
咄嗟の判断で素早く後退するヴァルカをよそに、グラシアはその巨体を空中から勢いよく大地へと落とす。主に空下と呼ばれる、強力なストンプ攻撃。
「隙だらけだぜ、グラシアぁ!」
地に着く迄は無防備であり、空下の後隙は極めて大きい。好機とばかりにヴァルカも小さくジャンプすると、慣性を乗せた飛び蹴りを狙い澄まして放った。
「それは、どうかな」
一瞬、空中でグラシアと目が合う。その表情はまるで自信に満ちていて−−。
「まず……ぐあっ!」
あろうことか、グラシアは地に足が付くのを待たずして空を蹴り出し、ヴァルカ目掛けて突進を繰り出した。流石に反応できなかったヴァルカは為す術もなく、グラシアの硬すぎる頭部を鳩尾で受けてしまう。
「勝負、あったな」
突進の余波で吹き飛ばされ、空中に漂うヴァルカ。それはグラシアの必殺を確実に受ける範囲としては、これ以上ないほどの間合いだった。
「眠れ。『フリーズ・エンド』」
発声と共に、ヴァルカの周囲が一瞬で凍結する。そして、巨大な氷塊に閉ざされたヴァルカをしたり顔で眺めたグラシアは小さく息を吐くと、その氷塊を容赦なく頭突きで破壊した。
ヴァルカの身体もろとも、粉々に砕け散った氷塊。それらは存在意義を失った所為か、世界と同様にポリゴンへと分解され虚空に消えていった。
「……あっけないものだな。最期の闘い、愉しませてもらったぞ」
「おいおい、勝手に勝った気でいるなよ。まだ終わっちゃいねぇぞ?」
「っ!」
突如聞こえる、倒したはずの相手の声。慌てて後方を振り返ると、そこには全身にうっすらと炎を纏うヴァルカの姿があった。
「馬鹿な……そんな技、貴様は使えないはずだ。何故なのだ!」
「自分で言ってたじゃねぇか。この世界の理は欠落している、って。だったら、他のキャラが使う技だって習得していてもおかしくはないだろ?」
「……灼虎の、陽炎か!」
「ご名答。君と攻防を交わしていく内に、色々と思い出したんだ。僕は……プレイヤーとしてこの世界の住民だったんだよ」
造られた世界の住民ではなく、造られた世界の住民を駆る者。全く違う世界の存在なれど、この世界を確かに愛していた者という意味では、最早住人と言っても過言は無いのではなかろうか。
詭弁なのかもしれない。それでも、グラシアは色々と諦めがついたのか、柄にもなく高笑いを響かせた。
「はっはっはぁ! そうかそうか、それはもうどうしようもないな。さぁ、我は全力を尽くした。もう動けぬ……止めを刺すが良い」
「もう決着はついただろ。別に僕だって、君を消したくて戦った訳じゃないんだよ」
「いや、どうせもう消える身だ。折角ならば心許した戦友の手で消されるのも、また一興であろう」
心なしか憑き物が落ちたような、爽やかな表情。地面に伏したグラシアを呆れ顔で一瞥したヴァルカは、無言で側へ寄ると細い腕をすっと差し出した。
「どういうつもりだ? 我は貴様を消そうとしたんだ。要らぬ情けを掛けるな」
「そんなの、どうだっていいんだ! 少なくとも僕は、君を消したいだなんて思わない。この世界だってそうだ……僕の世界を消させてたまるか」
数瞬の迷いの末、意地を張るのを諦めたグラシアは差し出された腕を掴む。巨体をゆっくりと起こすと、バツの悪そうな表情で視線を泳がせるが、最終的にはヴァルカの目を見据えた。
「……完膚なきまでに、完敗だな」
「あぁ、僕の勝ちだ」
「しかし、貴様が勝とうとこの世界の終末は変わらない。先程言ったな……この世界を消させてたまるか、と。焔王、これ以上貴様に何が出来る?」
「僕は、抗うよ。例えこの世界が誰かの手によって消されようとも、僕はこの世界を絶対に忘れない。僕の記憶にこの世界がある限り、君達の存在は決して消させやしないよ」
「ふん……屁理屈だな。だが、嫌いじゃない」
苦笑しつつも、その声は少しだけ嬉しそうなグラシア。ヴァルカも柔らかい笑みを浮かべると、今度はグラシアに対して拳を突き出す。
「だから、また戦おう。今度はさっきみたいなズルせず、実力で打ち負かしてやるからな」
「今度、か。その時が来ることを、待ち望んでるぞ。焔王よ」
突き出された拳に、グラシアの一回り大きい拳が小さくぶつかる。
刹那−−世界は暗闇に包まれた。
黄昏時を演出していた電子の太陽は砕け、地は裂け、空間そのものが消滅していく。それは二人も例外ではなく、ぶつかり合った拳は徐々にポリゴンへと分解され、二人の距離を遠ざけていった。
「別れだな、焔王。さらばだ」
「最後に一つだけ教えておいてやる。僕の名前は−−」
ルキ。ヴァルカ使い全一だ。
目覚めは、心なしか良好だった。とても長い夢を見たような、不思議な感覚。
(昨日は……寝落ちしたんだっけ。サービス終了前のイベント告知があって、それから……)
ぼんやりとした頭のエンジンを徐々に回転させながら、ルキは徐にスマートフォンを開く。時刻は午前十一時で、カーテン越しに見える外の世界は眩しく輝いている。
「やっばい寝坊した!」
慌てて飛び起きたルキは、着替える間も惜しいのか寝巻きのまま通知が多数溜まっている通話アプリを開き、先客のいるボイスチャットルームへと入った。
『おっそいよルキ! 来週の大会に備えたいって言ったのアンタだよね?』
「ごめんてフォロ……寝落ちて目覚ましかけるの忘れてたんだよ」
『もうサ終まで一ヶ月切ったんだよ?
限られた時間を無駄にしないでよね!』
「わかったわかった。僕が悪かったよ……ちょっと準備するから待っててくれ」
『はぁ……ヴァルカ全一が聞いて呆れるよほんとに。運営への抗議にクラウドファンディングの計画、やること山積みなんだからね?』
ネット上で知り合った戦友のフォロから飛んでくる小言の数々を聞き流しつつ、ルキは洗面所へと向かう。
(絶対に、忘れないよ。僕の大好きなこの世界だけは)
鮮明に記憶に残る、夢の内容。グラシアの言葉。その全てを反芻しつつ、ルキは身支度を済ませると自室へ戻る。
「お待たせ。じゃあ……残された時間を目一杯楽しもうか!」
『あったりまえじゃん! じゃあ来週の2ON2の大会なんだけど−−』
対戦型アプリ Beast Fighters
サービス終了まで、残り二十二日。