南方の荒鷲
飛行機が堪らなく好きだ。
自分の翼を使えば、空を飛ぶ事は出来る。
それでも限界はあるもので、如何に体を鍛え、飛行の知識を身につけても越えられない壁は存在している。
しかし、飛行機はその壁を飛び越えさせてくれだ。
孤児だった私がある家族に引き取られ、そして初めて乗った幼い時。
見た窓から景色に息を飲み、この空をいつか自由に飛ぶことが夢になった。
空を飛ぶにはどうしたらいいか、ただその為に勉強し、学校を卒業した。
当時、どこか民間航空会社に就職しようと都会に出たその時、出会ったのは海兵隊航空団だった。
当時としては海軍航空隊か陸軍航空隊が主流だったが、自分の夢は世界の空を飛び、そしてその空を目にする事。
様々な場所へ出撃する海兵隊は自分の夢とも合致したのだ。
そして無事に海兵隊航空団へと入隊し、順調に自分のキャリアと技量を重ねていく。
やがてはフィリピン諸島に派遣され来る日も来る日もやってくる竜の退治に明け暮れていく事となった。
そんなある日。
上官からある話を聞いた。
「満州で武装民間機達が荒稼ぎしている」
と。
その話を聞いた私は真っ先に興味を示したのは言うまでもない。
かつては黄金の国と呼ばれた日本が所有する植民地と、そしてそこに巣食う竜達。
荒稼ぎするには丁度いいだろう。
フィリピンでは監視の目が行き届いていない上に、安月給で危険な竜との戦闘をする者に比べれば眩しい存在だ。
「軍の安月給で働かされるよりかはかなりマシだろうな。それにアレックスの腕なら稼いでこれるだろうな」
「お褒めに預かり光栄であります大尉殿」
暑い太陽に照りつけられた滑走路を横目にタンクトップに作業着のズボンという出で立ちの少女が、ドラム缶に腰掛けてぼんやりと空を見上げていた。
男臭い中に咲く一輪の花。
と言えば聞こえはいいが、結局はむさ苦しい世界に浸った身だ。
自分がそこらに生えている雑草と大して変わらないというのは理解している。
違いがあるとすれば、少し綺麗に見えるかそうでないかの差くらいだろう。
しかし、年若い娘が兵器を操るのに未だ抵抗があるらしく一部の上級士官からは後方支援に進むべきと”助言”も受けている。
まあ当然だろう。
しかしこの少女、アレクサンドラ・イェーガーはそれを拒み続けた。
自分から空を取り上げるなど、まさに翼を切り落とされるに等しい。
そんな仕打ちを受けさせられるのならいっそ死んだ方がマシだ。
幸い、自分のいる飛行隊の隊長はそんな自分を一人の海兵として扱ってくれている。
女だろうが子供だろうが情け容赦無しの猛訓練。
始めの頃は辛いと泣けば延々と滑走路を走らされたのも、今となっては良い思い出だ。
おかげでこうして竜との戦いに生き延び、一人前の空飛ぶ海兵となれた。
そんな鬼軍曹が珍しく冷えた水の入った水筒を片手にアレックスと同じくぼんやりと空を見上げている。
先の武装民間機乗りの話を持ち掛けたのも彼だ。
「正直に言って、お前はここから羽ばたく頃合だと俺は思うんだよ」
「な、何をいきなり言い出すんです大尉?」
「とりあえず聞いとけ。いいか、俺の知り合いに武装民間機に乗ってる奴がいる。そいつから聞いた話じゃデカい獲物やデカい仕事をすりゃ報酬で一万ドル支払ってくれる会社があるって話なんだよ」
「い、一万ドル!?」
突然出てきた金額に思わず耳と脳を疑った。
「じ、十ドルの聞き間違えなのでは?」
「あぁ、俺も最初はそう思った。だが、そいつがやたら俺たちに上手い上物の酒を奢ったり、いい車を買ったりしているのを知ってな。あながち嘘じゃねぇってのは分かったんだよ」
「ワォ・・・・・・」
その武装民間機乗りが一回の仕事で自分達の十何回の出撃分を凌駕する額を稼ぐとは正直想像もつかなかった。
しかし、軍曹が嘘をつく人間でもないのは知っているし、風の噂で耳にした事はある。
所詮は噂と笑い飛ばしていたが、こうも聞くと現実味を帯びてきた。
「いや、良いですね。つまりは軍の束縛から解放されて色んな空で仕事が出来ると」
「あぁ。しかもデカい仕事があればそれなりの稼ぎもあるっていうな。ある意味じゃ空の傭兵みたいなもんだよ。どうだ? 興味湧いてきたろ?」
ニヤつく大尉の顔に私は自らの焦げ茶色をした翼をはためかせながらそれを聞いていた。
そう、アレックスことアレクサンドラ・イェーガーは普通の人間ではない。
その翼が証明するよう有翼人種の生まれだ。
一部地域じゃ迫害を受けたりと散々な目に遭う事もあるが、祖国アメリカではそんな風潮はなかった。
もちろんゼロではないが。
ともあれ、そんな私に大尉は得意げに話を続ける。
「それに満州じゃそういう武装民間機乗りが結構いるらしいんだ。六族共和掲げてるおかげで、そこじゃお前みたいな羽根つきがお前と同じように戦闘機乗り回して活躍してるって話もある」
「本当か!? ウソじゃないよな!?」
「お、おい! そんなにがっつくな!」
興奮のあまりに翼を大きく広げて詰め寄る私に、大尉は思わずビックリしたように目を丸くしてこっちを見ていた。
ハッと我に返って翼を畳ませ、またドラム缶の上に座り直す。
「そんなに食いつくとは思ってなかったな・・・・・・」
「へへっー!」
「とんだ悪ガキだよったく・・・・・・」
悪戯っ子のような笑みを浮かべていただろう私に大尉はため息しかついていない。
奇襲成功してやったり。
そんないい気分のまま、不意に空へと手を伸ばした。
何処までも高く感じる空、あの先には一体何があるんだろう。
飽くなき空への憧れとその先にある探究心が私の心のいっぱいに広がる。
「武装民間機・・・・・ ですか・・・・・・」
「そうだが・・・・・・」
「良いですねぇ・・・・・・俺も・・・・・・ 私もその道に行ってみたいですねぇ」
不意に零れた呟きに大尉の口元が釣り上がるが、その目はまさに精鋭の猛者の目をしていた。
後から聞いたのだが、この時の私もまさにハクトウワシの如く鋭い目をして空を見ていたらしい。
「おっし、決まったな。これからお前は薄汚れた海兵から自由の空へと羽ばたく大空の傭兵になるわけだ!」
「はい・・・・・・!
・・・・・・・・・・・・へっ?」
待て、思わず二つ返事で答えてしまったが、目の前の大尉は今なんと言った。
「えっ、あ、あの・・・・・・大尉殿?」
「俺がなんの理由もなしに武装民間機の話を持ち出したりすると思うか?」
確かにそうだ。
この大尉は談笑こそするが他人の人生に大しては良くも悪くも言わないタイプの人間。
そんな人物がわざわざその他人の人生に関わる話を誰かにするものじゃない。
そして、そこから導き出される答えは一つ。
「まさか、なれるんですか・・・・・・?」
思いのほか自分の声に震えているが、そんな事に気にしていられない。
何せ目の前に巨大なチャンスという獲物がぶら下がっているのだ。
例え罠だろうが知ったこっちゃない。モノにした奴の勝ちだ。
「あぁ、ある武装民間機を扱う会社が求人に来てな。本土よりも実戦経験ある奴が欲しいって話で来んだよ。
んで、真っ先にお前の名前が挙がったんで話をした訳だ」
「マジかよ・・・・・・! そりゃ凄い!!」
新しい玩具を貰った子供みたいにはしゃぎそうになるが、その前に幾多の問題がある。
海兵隊としてはどうなのかとか、金の問題など山積みだ。
「安心しろ、お前の名前を挙げたのは上層部だ。とりわけウチの司令がお前を推してな。
それと退職金とか給料は支払われるし、お前が今まで落とした分の手当も支払われるそうだ。貯金と併せりゃ何とかなるだろ?」
「は、はぁ・・・・・・ 」
「とはいえ、書類送ったりと面倒事があるか入社して飛べるのは一ヶ月後だそうだ。それまではまだ俺たちと安月給でこき使われる事になる」
まるで夢でも見ているかのような話だ。
それとも、多く摂取しているつもりは無いが、相当クスリがキマっているのか。
どっちにしたってこうなれば返事は一つだ。
断る理由は一つもない。
「是非とも、俺・・・・・・ いえ、私にやらせてください!」
私は真っ直ぐ、大尉の瞳の奥を見つめる。
軍曹も負けじと真剣な目つきで見つめ返していた。
長い沈黙、とは言ってもあくまでも体感的な話で実際は僅か数秒だろう。
しかし、その大尉の返答を待つ数秒すら長く感じた。
そして大尉の口はゆっくりと開かれる。
暑さとは違うまた別の汗がじんわりと背中と翼の付け根を濡らした。
「言うと思った。もう上を通さなきゃいけない手続きは済ませてある。それに、お前が一番しなきゃいけないのは”相棒”に最後の挨拶だな。
これから大忙しになるぞ」
大尉のいう相棒が誰の事から言わずとも分かる。
私は頷いてから駆け足で迷彩の施された簡易格納庫へと向かう。
期待と不安と興奮が入り交じった感情を胸に抱いて。
入った格納庫は整備作業が終わっているのか誰も居らず、 ただ風の音だけが通り抜けていた。
鼻をくすぐるオイルと金属の匂い。
そんな空間の中に収まる一機のずんぐりとした戦闘機をじっと私は見つめていた。
そこに居たのは太平洋上に溶け込みやすい迷彩が施されたF4F ワイルドキャット。
海兵隊航空団に入ってから私を空へと連れていってくれた相棒であり、戦友でもある。
ゆっくりと翼を休める相棒に近付き、その金属のボディに触れた。
金属特有のひんやりした冷たさが心地良い。
そのまま手を滑らせて機体を撫でながらその周りを回っていく。
銃口は長く使われてきたのか黒く煤けており、よく見れば機体のあちこちに傷やへこみが見える。
この相棒とは南に来てから初出撃を飾ってからは、もうかれこれ二年くらいは共に戦っただろう。
「しばらくしたら、お前とはお別れだよ・・・・・・
寂しくなるよな・・・・・・」
静かに鎮座するワイルドキャットは応えない。
だが、その沈黙がワイルドキャットからの返事だった。
主であり、戦友のパイロットである有翼人種と離れるのは恐らく辛いだろう。
長く馴染んだ道具はもはや道具の域を超え、家族の一員のようにすら思えるのは恐らく私だけではないはず。
そう思うと不意に目頭が熱くなり、視界が僅かに滲み始めた。
「・・・・・・? な、なんだよ・・・・・・ 俺だってこんな顔くらいするさ」
私はそう言いながら涙を拭い、ワイルドキャットのランデングギアの隣に座り、もたれかかる。
聞こえる風の音だけに耳を傾け、ただ寄り添う。
それだけでも何故か尊く、またかけがえのない時間になった。
別れが決まっているからだろうか。
たぶんそうだ、そうに決まっている。
空を飛ぶ手段になった海兵隊航空団。
より高く、より速く飛び、生き延びる方法を教えてくれた教官や大尉、仲間たち。
そして空にいる時に共に戦ってくれた戦闘機。
人生においての三年というのは僅かだろう。
だがそれはとても濃密で、値打ち云々の問題ではない。
「ありがとう・・・・・・」
脳が疲れたのか、睡魔が一気に襲いかかる。
誰かに見つかれば言われるだろうが、少しくらいは良いだろう。
「本当に今まで、ありがとうな・・・・・・」
その一言を最後に私は、意識を手放して夢の世界へと旅立った。