没落人生から抜け出したい・4
リアンに連れられて中に入ると、赤褐色のスーツを着こなした女性が駆け寄ってくる。卵型の輪郭で、明るい金髪がポニーテールに結われている。すっと通った鼻と釣り目のせいで気が強そうに見えるが、美人だ。赤い瞳が珍しい。
「店長、お客様ですか?」
「オーナーに客だ。リーディエ、子ネズミをとってくれ」
彼女は、エリシュカが持っているあのおもちゃのネズミと似たものを、リアンに渡した。
「オーナーはここにはいないんだ。今連絡をとるから」
エリシュカにそう前置きすると、リアンはお腹のところにあるダイヤルをカチカチと動かした。魔力が注がれたのか、赤色だったネズミの瞳が、青色に光る。
しばらくして、ネズミの瞳が緑色になると、叔父の声がした。
『なんだい、リアン』
「オーナーを訪ねてお客様が来ています、名前は……」
「エリシュカよ、叔父様!」
ふたりの会話にエリシュカは割って入る。突然腕にのしかかられて、リアンは目を丸くした。
「こら、離れろ」
『エリシュカかい? どうしてそこに?』
「叔父様、お願い助けて。私、家出をしてきたの」
子ネズミの向こうで、叔父が息を吸った音がした。驚かれるのも無理はない。だが、エリシュカも必死だ。ここで叔父に手を離されたら、父から逃げきれる気がしない。
『はぁ? ちょ、ちょっと待って。話を聞きたいけどそこまでの魔力はない。リアン、明日そっちに向かうから、エリシュカを預かってくれないか?』
「は? でも」
『彼女は僕の姪だから。証拠に、子ネズミを持っているはずだよ』
「はあ……あ、切れた」
昨日と同じく、通信がブツリと切れてしまう。
「なんなのこれ、話ができるのはすごいけど、短すぎるわ」
「仕方ない。ブレイク様は一日に使用できる魔力量がとても少ないんだ」
リアンは舌打ちをすると、子ネズミをリーディエに渡し、エリシュカを軽く睨んだ。
「まず君が本当にブレイク様の姪かどうかを証明してもらおう」
「証明って言われても」
「さっきのデンワ……子ネズミを持っているか?」
「それならあるわ」
エリシュカは鞄の中からネズミのおもちゃを取り出した。
リアンは奪うようにそれをとると、鼻を押したり、裏返したりして念入りに確認した。
「おもちゃを模しているんだな。通話場所も選べないし、試作機に近い。それにこの刻印は、初期のものだ。……ということはやはり、ブレイク様が作ったものか」
ブツブツとつぶやくリアンを、エリシュカは黙って見つめる。
彼を見ていると、なぜか、懐かしい気持ちになる。彼はエリシュカのことを知っていそうだったから、きっと会ったことがあるのだろう。覚えていないということは、記憶を失う七歳以前の知り合いなのだろう。
(でも、十年前ならこの人も子供だったはずよね? 私が同じ年の子と会うようになったのは学校に行き始めてからだけど……)
エリシュカは考えに耽っていると、手のひらにポンとネズミを返された。
「君がブレイク様の血縁ということは間違いないようだな。彼は郊外の屋敷に住んでいるんだ。来るのは明日になるから、出直してほしい。……さっき家出したと言っていたが、今日泊まるあてはあるのか?」
「いいえ」
エリシュカは首を振る。あては無いが、先ほど換金はしたから、宿を捜せばいいだろう。
「でも宿を……」
「では仕方ないな」
エリシュカの言葉をリアンが遮った。
「ここの二階に部屋がある。今日はそこに泊まるといい」
「え……」
「そんなの駄目よー!」
ふたりの会話に割って入ってきたのは、先ほどリーディエと呼ばれた女性店員だ。
「店長、なに考えているんですか! 二階は店長の部屋じゃないですか!」
「部屋はふたつある。俺は作業場の方で寝れば問題ないだろう。なにをいかがわしい想像をしているんだ」
「それでも駄目よー!」
当事者であるエリシュカを前に、リアンとリーディエが揉めだした。
(もしかして、リーディエさんはリアンさんの恋人なのかな? だとしたら、恋人の部屋に別の女が泊まるなんて嫌よね)
邪推するエリシュカは、遠慮がちに口を挟んだ。
「あの、私でしたら、どこか宿にでも」
「アンタみたいな箱入りのお嬢、ひとりで宿をとったらぼったくられるし、食堂で飲んだくれてる男たちにも目をつけられるに決まってるだろ!」
なぜだかいきなり怒られた。先ほど質屋のおじいさんにも似たようなことを言われたことを思えば、賑やかな街だが、治安はあまりよくないようだ。
「ああもう、うるさい。閉店の時間だ。リーディエはもう帰れ」
「ちょっと店長!」
「おい、ヴィクトル。リーディエを連れて帰ってくれ」
リアンがそう叫ぶと、階段を下りる音がして、もうひとり、男の人が顔を出す。
「はいはい、もう帰れって? 了解。ほら行くよ、リーディエ」
その青年はリアンと同年代か少し上ぐらいに見えた。黒髪に薄茶の瞳という、ニホン人っぽい風貌をしている。
「離してくださいよ! ヴィクトルさん!」
「従業員は店長の命令を聞くものだよ~」
ヴィクトルと呼ばれた青年は、エリシュカをちらりと見て笑顔を向けると、嫌がるリーディエを連れて、さっさと出て行ってしまった。
エリシュカが口を挟む暇もなかった。ただ茫然と見ているうちに、リアンも手際よく閉店作業をし始める。
ガラス戸にブラインドを下ろし、商品には上から埃避けの布がかけられる。入口には鍵がかけられ、軽くモップを掛けだした。
「え、と、あの、手伝います」
「いいよ。それより飯は?」
「まだ、です。でも」
オロオロしていると、リアンは腕まくりをした。
「贅沢は言うなよな」
そして、店の裏の方に行ってしまった。エリシュカは、またもやポツンと放っておかれてしまったのである。