没落人生から抜け出したい・3
屋敷を抜け出したエリシュカは、自領を出ることを最優先にした。
一番近い大きな街に出て乗合馬車に乗り、持っていた金銭で行けるところまで行く。
そしてたどり着いたのは、カレルという、キンスキー領の東隣の領地にあり、四方に街道がある大きな街だ。
(今日はここまでかな。まずは宝石を売って宿代を作らなきゃ)
朝早く出たのに、もうすぐ陽が落ちてしまう。
エリシュカは街を走り回り、質屋の看板を見つけて飛び込んだ。
「あの、これ、いくらになりますか?」
「ああ? お嬢さん、家出かね」
白髪交じりの店主にそう言われ、エリシュカは驚き、一歩後ずさる。
「どうして?」
「おまえさんくらいの年で宝石を売るやつは、盗人か家出人と相場が決まっている。あんたは手が綺麗だからな、盗人ではなさそうだ」
エリシュカは自分の手を見る。これでも、事業が傾きだした五年前からは、使用人がやるような仕事もしてきたのだ。自分では働いている手だと思っていたが、街の人には、これは労働を知らない手に見えるらしい。
悔しくなって唇を噛みしめる。すると店主はカラカラと笑った。
「素直なお子じゃな。わしは悪いなんて言っとらんぞ。そう人にあっさりと表情を読まれていては、悪い奴に付け込まれるぞ」
「うっ……」
たしかにその通りだ。例えばこの店主に相場より安い値段をつけられても、エリシュカには分からない。自分が世間知らずだと分かるような態度は、自分の首を絞めることになるのだ。
「おじいさんは私を騙す?」
尋ねると、店主は困ったような顔をした。
「そう聞くか。困ったのう。そう言われたら騙すわけにもいかんな」
店主は差し出された宝石を検分し、金額を提示してきた。でもそれが、何日生活できる金額なのかエリシュカはわからなかった。
店主は口もとだけ緩め、諭すように言った。
「お嬢さん。怖気づいたなら家に帰りなさい。少なくとも、心配して迎えに来てくれるのを待つだけの家出なら、今すぐ止めることじゃ」
迎えなど期待してはいない。帰ったら待っているのは好きでもない相手との結婚生活だ。
エリシュカは、見せられた金額を見て考えた。
令嬢としての生活は捨ててきたのだ。こんなことで不安になっているようじゃ駄目だ。
「いいえ、帰りません。この金額で交換してください。それと、『ブレイク魔道具商会』がどこにあるかご存知ありませんか?」
「なんじゃ、あんた、ブレイクの知り合いか。よくよく見ればお嬢さんも銀髪じゃな。親戚か?」
おじいさんは驚いた顔をし、態度をやわらげる。
「おじいさん、叔父様……ブレイクさんとお知り合いですか?」
「知っとるよ。ブレイクにはいろいろ便利なものを作ってもらっている。一本向こうの路地に、ガラス戸の店があるんじゃ。そこは『魔女の箒』という名だが、実際はブレイクの作っている魔道具を扱っている。店主は別人じゃが、ブレイクもたまにやってくる」
「本当ですか?」
エリシュカは安堵した。偶然にたどり着いた街だったけれど、すぐに叔父への足がかりが掴めるなんてついている。
「ありがとう、おじいさん」
「あ、待て待て、宝石の換金はもういいのか?」
「そうだった!」
慌てて後戻りする。そして提示されたお金と宝石を交換する。
エリシュカは手にのせられた。金貨と銀貨を握り締めた。とりあえず、自分の未来を決めるための軍資金だ。大事に使わなければならない。
「とにかくそのお店に行ってきます」
「なんだか心配じゃのう。気を付けるんじゃぞ」
おじいさんに頭を下げ、エリシュカは歩き出した。もう外は薄暗い。言われた店が閉まった閉まっては大変だ。エリシュカは足を急がせた。
「……あれかしら」
教えてもらった路地に出ると、やたらと目に付く一軒の店があった。周りの店は壁で覆われているのに、その店はガラスをふんだんに使っていて、中の明かりが道路までも照らしていた。木製の看板には、青と白の電飾のようなものが付いていて、光が明滅している。薄暗がりの中で、その光は幻想的で、とても目立っていた。
(イルミネーション?)
エリシュカが夢に見るニホンは、魔力が無い世界だ。代わりのように便利な道具があふれていた。
野菜の皮をむくピーラーや空気にさらすだけで熱を発するカイロ。空気の層で断熱する真空タンブラー。小物だけじゃない。ボタンを押すだけで、食べ物を温めるレンジや、ごみを吸い込む掃除機など、大きな機械もたくさんあった。
(まるでニホンのお店みたい。ガラス戸で、電飾の看板があって……)
電気を動力とするニホンの道具とは根本的に違うから、構造は違うだろうけれど、エリシュカは妙な懐かしさを感じてしまう。
エリシュカはお店に近づき、ガラス越しにのぞき込んだ。そして、そこに置かれている商品を見て驚く。
「これ、ニホンの……!」
店頭に置かれていたのは、台所で使う便利グッズだった。ピーラーやスライサー、更に、魔力を使って自動で粉砕できるミキサーなどが、棚に置かれ、すぐ傍に使い方が描かれたボードが置かれている。
『面倒な下ごしらえが一瞬で?』などという煽り文句もついていた。
「なんで? どうして? ニホンの道具がここにあるの?」
興奮したエリシュカが、勢いよくガラスにバンと手を突くと、ものすごい音が響き渡った。
「わ、割れてないよね?」
心配して眺めているうちに、中から、早歩きで男の人が出てくる。エリシュカは身構えた。
「ちょっとアンタ、危ないだろう。ガラスが割れたらどうするんだ!」
「すみませんーっ、壊すつもりじゃなくて……」
顔を上げると、そこにいたのは思ったより若い男性だった。ウェーブの栗色髪。こげ茶の瞳。身長は高く、思いきり見上げないと顔が見えない。だが、一度見たら忘れられないような印象があった。切れ長の瞳に、すっと通った鼻。引き締まった口もとからは、意志の強さが感じられる。男らしく頼りがいのありそうな印象だ。エリシュカは一瞬見とれてしまう。
男性は、エリシュカを見ると驚いたように目を見開いた。その顔に、エリシュカは不思議な既視感を覚える。
「……お嬢?」
「誰?」
問いかけると、青年はムッとしたように顔をしかめた。
「覚えてもないのか」
そんなことを言われても、知らないものは知らない。エリシュカは仕方なく自己紹介から始める。
「昔、会ったことがあるのかしら。覚えてなくてごめんなさい。私はエリシュカ・キンスキー。ここに、ブレイク・キンスキーはいるかしら」
「……キンスキー? ここのオーナーは、ブレイク・セフナル様だが」
「セフナル?」
聞いたことのない姓だ。叔父は父の同母の弟のはずだが、母方の姓とも違う。
「と、とにかく、取り次いでいただけますか。エリシュカ・キンスキーが来たと伝えてください」
おずおずとだがはっきり伝えると、男はいぶかし気にエリシュカを見つめた。
「とにかく、中に入ってくれ」
「待って。あなたの名前を聞いていないわ」
青年の背中にそう言うと、彼はビクッと立ち止まった。エリシュカが不安に思うほどの沈黙があったあと、振り向かないまま「リアン」とだけ告げた。
「そう、リアンさん。よろしくお願いします」
「……っ」
舌打ちをされた。なぜ怒られるのか分からず、エリシュカは身をすくめる。