幸せを呼ぶ魔道具・8
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屋敷引き渡しの日がやって来る。
馬車が門をくぐり、玄関の前に立っても、出迎えには誰も来ない。
エリシュカはため息をつき、後ろに続くブレイク、リアン、レッドを招き入れた。
「どうぞ、お入りください」
「私の屋敷に、他人を勝手に入れるな!」
屋敷の廊下を、キンスキー伯爵がいかり肩で歩いてくる。使用人たちは、叱責を恐れるように、肩をすくめてうつむいていた。
「お父様、この時間に来ると連絡しておいたのに、どうして迎えひとつできないのですか」
「我が子が屋敷に帰って来るだけのことだろう。お前も何を大げさに後ろに三人もつれている。そいつらは帰すんだ」
エリシュカは眉を寄せ、言い返す。
「リアンは私の婚約者で、叔父様は後見人です。そしてレッド様には護衛をお願いしております。彼らを帰す必要などありません」
「護衛などいらないだろう。私たちがいる。今日からはまた一緒に暮らそう」
「は?」
何を言っているのだろう。エリシュカは一瞬、頭が真っ白になった。
送った文書には、居を移してもらうから、準備をしておくようにと記載していたはずだ。
「お父様、お母様は?」
「マクシムとラドミールと居間にいる」
「ではみんなのいるところでお話があります」
エリシュカはぴしゃりと言い放つ。キンスキー伯爵は眉を寄せ、一瞬口を開いたが、リアンやレッドににらまれて、黙って目をそらした。
居間の扉を開けると、母親が出迎えてきた。
「あら、エリシュカ、お帰りなさい。待っていたのよ。ほら見て、お菓子も焼いてもらったの」
マドレーヌが並べられていて、室内にいい匂いが漂っている。妙ににこやかな父と母が話の通じない化け物のように思える。傍で黙りこくっている双子も、さすがに違和感を覚えているのか、両親を怪訝そうに見ている。
「母上、さすがにそれは……」
マクシムがやんわりと口を挟もうとしたが、母は貼り付けたような笑顔で続ける。
「まさかエリシュカが爵位を受け継ぐとは思わなかったけれど、王命だもの、仕方ないわ。仲良くやっていきましょうね」
エリシュカは、すっと血が下がっていくのを感じた。ここまで、反省も何もないとは思わなかった。これでは、領民の生活を守ることなど、考えてもいないだろう。
「一体何のおつもりですか?」
「え?」
冷たい声に、母親がようやく眉を顰める。
「私は、あなた方にこの屋敷から出る準備をするよう、お伝えしたつもりです。なのに、なんです? この団らんごっこは。私が屋敷にいたとき、一度だってこんな風に私を迎えたことなどないくせに」
「え、エリシュカ?」
「私があなたたちを家族だと思っていたとき、私はいつだってのけ者だった。もう家族だなんて思わないと決めてから、どうしてこんなこと……っ」
これならば、冷たく罵倒された方がましだった。
自分たちがこの屋敷を出たくないから、優しくするだなんて。しかも、そんな見え透いた態度でごまかせると思っているほど、自分が侮られていることが悔しかった。
「今すぐ荷物をまとめて出て行ってください。繋ぎとはいえ現伯爵は私です。それができないのなら、別荘の使用許可も取り下げますが、よろしいですか」
「エリシュカ、お前、親になんてことを」
「本気で私をここから追い出すつもり?」
金切り声を上げて、マドレーヌを投げつけようとする母を留める声は、予想外に彼女の近くから聞こえた。
「母上、もうやめてください!」
マクシムだ。ラドミールは双子の兄を、ただじっと見つめている。
「……もう、やめましょう。父上はいつも言っていたじゃないですか。自分が伯爵なのだから、言うことを聞け、と。今は姉上が伯爵なのです。だとすれば、我々は命令に従う必要があります」
マクシムが肩を落としながらもそう言う。
ラドミールは、エリシュカを憎々しげに睨んでいたが、マクシムの言葉を聞いて、目を伏せた。
「父上はどうして、爵位を奪われなきゃならなかったんだ?」
ラドミールが、エリシュカに問いかける。こうなった原因をなにもわかっていないようだ。
「お父様は、領民の暮らしを守ろうとしなかったのよ。私は何度も言ったわ。贅沢はやめましょうって。でもお父様は最終的に税を上げることで乗り切ろうとした。それで、領地から離れていく領民もいっぱいいたの。近隣の領主から苦情が多く寄せられたそうよ」
「なんだよ、それ」
ラドミールは父親を睨む。息子たちと娘から責めるように見つめられ、父親はカッとなって反論した。
「なんだその目は! 私はお前たちのために……!」
「その辺でおやめください」
割って入ったのはブレイクだ。エリシュカの前には、彼女を守るようにレッドとリアンが立つ。
「兄上がどう言おうと、これはもう決定したことです。速やかに別荘へと移動してください。使用人は用意しておりませんので、自分たちで雇っていただくことになります」
「そんな!」
悲鳴を上げる母親を、エリシュカは冷めた目で見下ろした。
「人を雇うにはお金がいります。ないのならご自身で稼ぐしかないのです。お父様もお母様も、もっと前に自分たちのやりようを反省し、改めなければならなかったのです」
「お前、親に向かって……」
まだ言い返そうとする父親に、レッドが一歩近づく。
「お嬢様に危害を加えることは許しません」
彼が剣の柄に手を置いただけで、父親はおびえたように黙り込んだ。
「父上、母上、行きましょう」
しばしの沈黙の後、マクシムが立ち上がって、項垂れた母親の肩を支える。
「な、なあ、俺たちの学校はどうなるんだ?」
ラドミールが声を震わす。
「学校を出なけりゃ、貴族子息の俺たちに回ってくる仕事なんてない!」
「仕方ないだろう! 俺達にはもうそれだけの財も地位もないんだ!」
マクシムが叫び、ラドミールが唇をかみしめる。
「マクシム、ラドミール」
エリシュカは静かに言った。
「あなたたちの学費は立て替えてあげる。その代わり、ちゃんと卒業して、仕事に就き、私に返済するの。お父様とお母様のやりようをまねるんじゃなく、自分の頭で、何が正しいのか、どうやって生きていけばいいのかをちゃんと考えて」
「……姉上」
マクシムはほうけたようにエリシュカを見つめた。マクシムは一家で一番頭のいい子だ。それゆえに計算高く、権力にすがる傾向にある。
「人の意見に流されるんじゃなく、自分が正しいと思うことを選択しなさい。たとえそれが、少数の意見だったとしても」
マクシムは黙っていた。その目尻に少しだけ光るものがある。
「マクシム……」
ラドミールは、双子の兄を頼るように見上げた。
「……御恩情、感謝します」
マクシムがエリシュカに向かって腰を折ると、ラドミールは彼に倣うようにして頭を下げた。父母はまだ不満そうにしていたが、レッドに追い立てられ、別荘の鍵を持って屋敷を出て行った。
「エリシュカお嬢様……いえ、キンスキー伯爵様。お帰りなさいませ。先ほどは、お出迎えもせず、申し訳ありません」
使用人たちが集まり、頭を下げる。
「当主と呼ぶには頼りないでしょうけどね。でも、私はキンスキー領を人の住みたくなる土地にしたいの。そのために力を尽くすことだけは、約束するわ。みんなも協力してくれる?」
「もちろんです」
「それと、私の夫となるリアンよ。知っている人もいるわね。今はレイトン商会の商会長をしているの。これからは一緒に住むから、よろしくね」
「はい。よろしくお願いいたします。旦那様」
かつて一緒に働いた人間もいるからか、リアンは少し戸惑っていた。しかし、息を吸い込むと、堂々とほほ笑んだ。
「みんな、よろしく頼む」
使用人は一斉に頭を下げた。
これから、領土を立て直すまでにはいろいろなことがあるだろう。それでも、エリシュカは成し遂げたいと思う。
慕ってくれた木こりたちの暮らしをよくしてあげたいし、エリシュカをここまで押し上げてくれた人たちに恩を返したい。
「ここを、私の居場所にするんです」
嘆いていた時期も、逃げていた時期ももう終わり。これからはここで戦うのだ。大切なものを守るために。