幸せを呼ぶ魔道具・8
**
客室に入った瞬間、エリシュカは力が抜けたように床に座り込んだ。
「び、びっくりしました」
「床、冷たいぞ。立てるか?」
リアンに引っ張り上げてもらい、ソファに座る。エリシュカはリアンがおちついているのが疑問だった。
「もしかして、リアンは知っていたんですか?」
「直前にブレイク様に聞かされた。ブレイク様はもっと前からだな。叙爵の話があった時、最初はブレイク様が跡目を継げと言われたらしい。エリシュカを推薦したのはブレイク様だ」
「叔父様、どうして」
エリシュカは咎めるようにブレイクを見上げた。
「君の方が適任だと思っているからだよ。僕はキンスキー領を出て久しいから、今更強い思い入れもないしね」
「でも。どうすればいいんですか? お父様だってきっと私になんて……」
「提案の体をとっていたけど、さっきのは王命だよ。一応、君の後見人は僕ってことになっているから、兄上がちゃんと家督を譲らなければ、僕から報告を上げて、国王様から処罰されることになると思う。あの屋敷をもらって、兄上たちは、売れ残った別荘とかに住まわせればいいよ」
そうはいっても、領地経営となればその知識も必要だ。屋敷にいたときに父親の手伝いはさせられていたから、漠然としなければならないことはわかるが、うまくできる自信はない。
「いいかい、エリシュカ。想像することだよ。君の得意分野だ。君はキンスキー領をどんな土地にしたい?」
「それは……」
全員の生活を豊かにするのはきっと難しいけれど、せめて食べるものには困らないで暮らしてほしい。教育も充実させたい。将来、やりたい仕事ができるように、勉強を望む子供にはその環境を与えてあげたい。病気で死ぬ子を減らしたいし、助け合いの心をみんなに忘れないでほしい。
「みなさんが、笑って暮らせる土地にしたいです。みんなで助け合って生きていく土地にしたい」
「うん。その意思さえあればいいんだよ。大丈夫。君の夫、無茶ぶりも聞いてくれるくらいには、君にべたぼれだから。……そうだろ? リアン」
「……まあ、そうですね」
リアンはゴホンと咳払いすると、エリシュカの手を握った。
「エリシュカは自分のしたいことを言えばいい。俺はそれを支える。お前が欲しいものはみんな俺が作ってやる。約束しただろう?」
迷いもなくそう言ってくれるリアンが、とても頼もしく見える。
想像もしていなかった人生が、転がり落ちてくる。翻弄されず、自分の足で渡っていくには難しそうだけど、支えてくれる人がいるなら、できるかもしれないと思えた。
「私は未熟者です。リアンや、叔父様に支えていただかなければ、きっと領主なんて務まりません。……お願いします」
「もちろん」
「リアンは……キンスキー姓になってもいいですか?」
見上げて問いかけると、リアンはフッとほほ笑んだ。
「名前なんてなんでも構わない。俺はエリシュカと一緒にいたいだけだ」
「……ありがとう」
その後、爵位継承の書類が揃えられ、キンスキー伯爵は半ば脅されて記名した。
「兄上、引継ぎ及び屋敷の引き渡しの際には、必ず僕も一緒に行きます」
「アルダーソン家から護衛を貸してやろう。伯爵の卑劣な態度は私がよく知っているからな」
アルダーソン侯爵にまでそういわれ、キンスキー伯爵は憎々し気に娘を睨んだ。
刺すような視線から守るように、リアンはずっとエリシュカのそばから離れなかった。
**
領地に戻ってからは、大忙しだ。自身の結婚の準備に加え、伯爵となるための勉強までしなければならない。
「本当に私でいいのでしょうか。……というか、お父様は納得していませんよね」
「まあそうだろうね。君ひとりで伯爵家に行くと何をされるかわからないからね。僕かリアン、もしくはアルダーソン侯爵の貸してくれた護衛を連れて行くといいよ」
アルダーソン侯爵は、本当にエリシュカにひとり護衛をあてがってくれたのだ。名前はレッド・グローヴ、剣術大会で優勝したこともある腕前の剣士だ。
エリシュカは恐る恐る彼を見る。リアンと同じくらいの背丈の彼は、常にぴしりと背を伸ばし、実直そうな顔でぺこりと礼をする。
「なんだか申し訳ないです。私なんかのために」
「お気遣いなく。侯爵様は個人的にキンスキー伯爵に恨みがあるようですし、そうでなくとも、お嬢様に恩を売るのは得策だと判断しているようです。なにせ、高魔力水発生装置の発案者はお嬢様だというじゃないですか」
「お、大袈裟です。実際、構造を考えたのはリアンと叔父様ですし」
「なんにせよ、侯爵様はお嬢様に価値を感じておられるから、私に護衛をするよう命じられたのでしょう。お嬢様が無事に伯爵を追い出すまで帰って来るなと言われております」
「追い出すって……」
レッドの言い方に笑ってしまう。
「まあでも、君みたいな人がいると、助かるよ」
「とにかく、伯爵の今後の処遇を考えなきゃならないだろう。すでに書類上はエリシュカが伯爵なんだから」
「それなのですけど……」
エリシュカが語った提案に、ブレイクとリアンは「エリシュカは甘いなぁ……」とつぶやきつつも、了承した。