幸せを呼ぶ魔道具・7
エリシュカは緊張していた。
王都も初めてなら、登城するのも初めてである。社交界デビューをしていない身なので、王族の前に出るときの訓練もしていない。礼儀作法の本を買って勉強はしてみたが、失敗しそうで気が気ではない。
(お初にお目にかかりますって言って、名乗ればいいんだよね)
見上げれば横に立つリアンも、緊張で顔がこわばっている。じっと見ていたら、彼は固い表情のままこちらを気遣ってくれる。
「エリシュカは大丈夫か?」
「なんとか……。リアンはどうですか?」
「お貴族様くらいは平気だが。さすがに国王陛下となるとな……」
こめかみのあたりがひくついていて、緊張しているのが見て取れた。普段は誰相手でも物怖じしない彼のそんな姿は珍しい。
「ふふ。緊張しているリアンを見ていたら、ちょっとほぐれてきました」
「なんだと?」
「私だけじゃないって思ったんですよー!」
リアンになら、睨まれても怖くない。笑ったら緊張がほどけてきた。
「はいはい、ふたりともじゃれつくのはそのあたりまで。そろそろ呼ばれるよ」
「はいっ」
エリシュカはみんなに倣って、頭を下げる。
文官が、来訪者の名前を滔々と告げる。そこに自分の名前を聞いて、緊張が高まって来た。
「行くよ」
ブレイクの小声が聞こえたかと思うと、彼が前へと動く。続いてレオナ、リアン、エリシュカの順だ。顔をうつむかせたまま歩くので、国王の顔は見えない。赤いじゅうたん。豪華な刺繍の入ったズボンの裾が、かろうじて視界の端に入る。
「面を上げよ」
「はっ」
凛とした声につられるように顔を上げた。初等学校に飾ってあった肖像画よりも、少しだけ老けて見える国王の姿に、エリシュカは圧倒された。
白いひげがライオンのたてがみのようにあり、眉も目もキリリとして威厳が感じられる。
「陛下、お呼びに従い、参りました。ブレイク・セナフルです。こちらは私の妻レオナ。そしてこのふたりは、『森の息吹』開発における重要な協力者です」
「レイトン商会のリアン・オーバートンと申します」
「エリシュカ・キンスキーと申します」
出した声は震えてしまっていた。それでも何とか挨拶はできたとほっとする。後は、ブレイクが国王と話しているのを、黙って聞いていればいいだけだ。
「ブレイク・セナフル。貴殿のこの度の功績をたたえ、男爵位を与える」
「はっ。ありがたき幸せにございます」
「ブレイクを支えた貴殿たちにも、国の長として御礼申し上げる。高魔力水は、多くの人間を救う発明だ」
(国王様にまで、こんなふうに言ってもらえるなんて)
エリシュカは頭を下げながら、感動していた。
子供のころから、妄想家だと言われ、母の愛情を手にすることができなかった。それでも、エリシュカの道具を面白いと思ってくれたブレイクやリアンみたいな人がいて、実際にそれを作ってくれた。
どんな言葉も馬鹿にせず、実現に向けて動いてくれたふたりには、どれだけ感謝してもしたりない。彼らが、エリシュカをここまで連れてきてくれたのだ。
「さて、そなたらの商売は、キンスキー伯爵家から得た土地で行っているのだったな」
国王はおもむろにそう言うと、宰相に目配せをした。宰相は頷くと、エリシュカたちが入って来た扉とは反対側にあたる扉の前にいる兵に手で合図をする。
兵が扉を開けると、エリシュカにとっては意外な人物が現れた。
「……お父様?」
思わず口に出してしまって、慌てて口を押さえる。
「エリシュカ? お前がどうしてここに。陛下、いったいどのような用件で私をここに呼び出したのですか」
「黙って入ってこい。キンスキー伯爵。貴殿が支援金をと求めている領地の件で呼んだのだ」
キンスキー伯爵は、エリシュカを睨んだまま近づいてくる。リアンが視線から隠すように少し前に立ってくれた。
「結論から言うと、キンスキー伯爵。そなたに領地運営の才はないように思う」
「は? 何をおっしゃいます。私は先代から引き継いで二十年きちんと領地経営をして……」
「二十年間で、祖先が築いた財を食いつぶしていっただけだろう」
エリシュカは思わずうなずいてしまう。裕福だった伯爵家が没落したのは、父の代になってからだ。
「しかも、貴殿は山林をレイトン商会に売り、一定の財を手にしたはずだ。なのにすぐ、金がないと支援金を求めてきた」
「それは……。我が領地の民が納税を渋っておりまして」
「それも、突然税を上げたからだと聞いている。キンスキー領の周辺の領主からは、キンスキー領から移民が流れてきて困っていると苦情も入っている」
エリシュカは頭を抱えたくなった。木こりたちはレイトン商会の支援でなんとかなっていたが、どこからも支援を得られない人もいたのだろう。税が払えないために領土から出て行ってしまった人もいるようだ。
「これはもう、早々に代替わりをした方が領地のためだろう。しかし、そなたの息子らはまだ学生だ。とても領地運営を担えるとは思えない。そこで、私はここにいるエリシュカ・キンスキー嬢に家督を渡すよう命ずるつもりだ」
「は?」
思わず声を出してしまったのはエリシュカだ。
「えっ、私……ですか?」
「そうだ。君はキンスキー伯爵家の長女であり、領民からの信頼も厚いと聞いている。レイトン商会での仕事ぶりを聞くに、領地運営についても力をつくしてくれよう」
国王に微笑まれ、エリシュカは言葉をなくす。
「お、お待ちください陛下。娘に家督を継がすなど……。先祖代々、男子が家督を継ぐものと決まっているではありませんか」
「適任者がいない場合は、娘に婿をもらって継がせることはよくある。その場合は、娘の代は繋ぎという形にはなるが、彼女が男子を産めば、正式な後継者として認められるはずだ。エリシュカ嬢は結婚間近と聞いておるぞ。そこにいるレイトン商会の商会長だろう? 経営の才覚はある。申し分ないだろう」
「リアンに家督を渡すなど冗談じゃない。私は、反対です」
怒鳴るような強い声を出し、キンスキー伯爵は周囲の人間すべてから眉を顰められた。
「……なぜ反対なのだ?」
重苦しい沈黙の後、言葉を発したのは国王だ。
「こ、このリアンという男は、もとは我が屋敷の使用人の息子です。そんな男が……」
「だが、レイトン商会は貴殿が山林を売ったところだろう? 過去はどうであれ、今のこの男の立場がそう悪いものだとは思えないが」
「それは、そのっ」
「キンスキー伯爵、ここまでのやり取りでもうわかっただろう。貴殿は論理的に物事を考えられないほど疲れているのだ。早く跡目を娘に譲り、隠居して静養するがいい」
「へ、陛下。私は」
「必要な書類は用意してある。後は、貴殿が署名するだけだ」
そこでようやく、キンスキー伯爵はこれがすべて事前におぜん立てされていたことだと気づいた。
「エリシュカ、お前っ。どうやって陛下をだました? こんなだいそれたことをする娘に育てた覚えはない」
「兄上、そろそろお黙りください。耳が腐りそうですし、リアンの我慢も限界にきてそうですから」
エリシュカをかばうように手を広げているリアンは、怒りで細かに震えていた。
「御前で睨み合うな! キンスキー伯爵とエリシュカ嬢と婚約者のリアンは、後ほど執務室に来るように。謁見は終わりだ。皆、下がりたまえ」
宰相が高らかに叫び、伯爵が暴走しないようにと、それぞれ近衛兵に案内され、別々の客室まで戻った。