幸せを呼ぶ魔道具・5
* * *
ラドミールの暴力事件は、マクシムの努力むなしく、生徒間のいざこざでは収まらなかった。
チャーリーの父親であるアルダーソン侯爵は激怒し、キンスキー伯爵に王都にきて謝罪するよう求めたのだ。
その手紙を受け取った伯爵は、仕方なく夫人とともに馬車で王都へと向かっていた。
「まったく。手紙で十分な話だろうに。無駄な金をかけさせよって」
「まあ、手を出したのはこちらに非がありますでしょう? 仕方ないじゃありませんの」
「大体お前が甘やかすからいけないのだ」
夫人はむっとして夫を睨む。
「ラドミールの気性が荒いのは、あなたに似ているんじゃありませんか」
責任を押し付けあうだけで、反省とは縁遠いふたりだ。王都までの長い道のりを、ふたりはそっぽを向いたまま過ごした。
その後、王都にあるアルダーソン侯爵邸での面会でも、反省の見えない二人の傲慢な態度は、いかんなく発揮された。
「そもそも、ご子息が息子に失礼なことを言ったそうではないですか」
謝るでもなく、開口一番そう言われ、侯爵は絶句した。
「確かにチャーリーが悪くないとは言わない。しかし、仮にも貴族の子息がすぐに手を上げるなど、どうかしている」
「うちのラドミールは俊敏でしてな。騎士にもなれるのではないかと思っているのです」
悪びれもしない伯爵に、侯爵は頭を抱えた。
そもそも、アルダーソン侯爵は、キンスキー伯爵のことをよくは思っていなかった。彼は財務大臣をしていて、税金を滞納している貴族リストの中にキンスキー伯爵の名を見ていたからだ。
しかも、先祖代々受け継がれてきた土地を、王家に伺いも立てずに勝手に売るなど、前代未聞だ。唯一の救いは、買い取ったレイトン商会は、金払いがしっかりしていることだろう。
(こんなにいい加減な男なら、それも当たり前か)
「もういい! 話にならん、帰ってくれ」
「わざわざ呼び出しておいて、帰れとはどういうことですかな」
「本来こちらが言わなくとも、謝罪をしにくるものだろう! もういい、でていけ!」
夫妻は追い立てられるようにして、侯爵邸をでた。
こうして、キンスキー伯爵は面倒な敵をひとり増やしてしまったのである。
*
それから一月後。
ブレイクは、検証を依頼していた王都の医師から、高魔力水の効果についてお墨付きをもらうと、高魔力生成装置をレイトン商会へと販売した。
「叔父様が直接売らないんですか?」
「高魔力水を作るには森林がいるだろう。ここの土地所有権はレイトン商会が持っているんだから、高魔力水自体は君らで売ればいいよ。リベートももらうつもりだしね」
高魔力水が生み出す利益は莫大になるはずだ。本当にいいのだろうかと、エリシュカとリアンは顔を見合わせる。
「もともと、発案はエリシュカだし、僕はレオナを元気にしてもらえただけで十分な報酬をもらったと思っているからいいんだよ。ただ、レイトン商会がある程度利益を確保できたら、高魔力水生成装置も売り出させてもらうよ。多くの魔力欠損病患者に届けたいからね」
「それはもちろんですっ!」
こんな話し合いが行われ、高魔力水はレイトン商会の商品として発表された。
先ず提供されたのは医療現場で、なんとなくの体調不良を訴えていた人々は、これによって改善され、自身が魔力不足だったことを知る。
すると魔力欠損病のことも、だんだんと人の話題に上るようになってきた。
高魔力水が売れていけば、これはどうやって作るのかと話題になるのは必然だ。
その声が盛り上がったところで、ブレイクは高魔力生成装置『森の息吹』を発表した。
森の空気を原料にしていると聞いて、山林地方を管理する貴族からの問い合わせが相次ぎ、それもまた、欠品になるほど売れたのだった。
* * *
「……いやー。すごく忙しかったな」
セナフル家の居間のソファで、ため息とともにそう言うのはリアンだ。
この半年、休む暇もないほどの忙しさだったのだ。
「でも、よかったです。高魔力水で、たくさんの人が救われますもん」
エリシュカは入れてきたコーヒーをテーブルに置き、リアンの隣に腰掛ける。ブレイク夫妻は自室にこもっていて、今は二人だけだ。
「おかげで俺たちの話は全然進まないけどな」
銀の髪を、リアンの手が梳いていく。エリシュカはドキドキしながらリアンの視線を受け止めていた。
「話って?」
「結婚の話だよ。本当はさ、エリシュカの十八の誕生日には入籍したかったんだ」
貴族間では、結婚は家同士のつながりだが、平民は自由意志に基づいている。
本来なら親の了承は必要だが、十八歳を過ぎれば本人の意思だけでも結婚できる。エリシュカが十八になったのは、三ヵ月前のことだ。
「……そんなこと、考えてくれていたんですか」
リアンが照れたように顔に手を押し付けていて、その隙間から見える頬は赤い。
エリシュカはうれしくなって、その手を外そうとした。
「こら、見るな」
「あはは、だって、リアンが照れているのは珍しいし」
力を込めて手を引っ張ったら、予想外に簡単に手が離れて、エリシュカはバランスを崩して背中から倒れそうになる。
「おっと」
とても近い距離で抱き留められて、エリシュカは彼の膝に乗せられるような形になった。
「り、リアン」
「……お前はかわいいな」
リアンの顔が近づき、額に小さなリップ音がする。
「そろそろ本格的に結婚の話を進めたい。随分資金もたまったしな」
「は、はい」
指を撫でられ、手が合わさる。エリシュカはゆっくりと目を閉じた。
「……ん」
唇が重なると、つい声が漏れてしまった。リアンが手をエリシュカの背中に回したので、エリシュカは動けなくなってしまう。
そのうちに、キスは少し深いものになり、エリシュカはパニックになる。
(どうしよう。こんなの、前世の記憶でもなかった)
「……んん、やっ」
少し抵抗するそぶりを見せると、リアンはハッとしたように体を離す。
「わ、悪い」
「違うんです。あの、あの、……恥ずかしくて」
顔を押さえたままそういうと、リアンは膝からエリシュカを下ろし、テーブルの冷めてしまったコーヒーを飲みほした。
「今はこれでやめるけど、結婚したら我慢しないからな」
「我慢……しているんですか?」
「好きな女とふたりでいて、俺くらい我慢している男はいないんじゃないか?」
今度は茶化すように言われたので、エリシュカは思わず笑った。
「いつしましょうか。結婚」
「そうだな。俺は本当は、教会で誓いを立てるだけでもいいと思っているんだが」
「あら駄目よ」
明るい声が後ろからして、エリシュカとリアンは驚いて振り返る。そこには、ブレイクとレオナが立っていた。
「ごめんなさいね。覗きみたいになっちゃって」
「みたいじゃなくて、覗きですよ」
リアンのすねた声にブレイクが笑い出す。
「まあまあ、僕の奥さんのお願いを聞いてやってくれないかな」
「お願いですか?」
「ええ。私、エリシュカちゃんのドレスに刺繍がしたいの!」
「ドレス……ですか?」
そこで、エリシュカは思い出した。この国の結婚は、基本教会で神の前で誓いを立てることで完了する。 指輪の交換もなく、前世での結婚式のような華やかなお披露目は貴族でなければしない。
ただ、幸せになるジンクスだといわれているのが、母親か祖母に刺繍を入れてもらったドレスを着るということだ。
エリシュカは半分家出しているようなものだし、エリシュカの母は娘に刺繍入りのドレスを贈る気などなかった。
だから刺繍のドレスなんて諦めていたのだが。
「だから、ドレスを見立てて刺繍を入れる期間だけ、待ってほしいの。お願い。ね、エリシュカちゃん」
「いいんですか? 叔母様」
「私が贈りたいのよ。大事な姪の結婚ですもの。ちゃんと準備してあげたいの」
レオナの笑顔がだんだんとぼやけていく。うれしくて目に涙が浮かんできた。
「あ、ありがとうございます。……うっ」
「レオナさん、……ありがとう」
泣き出したエリシュカの腰を抱いて、リアンもそう言ってくれた。
それがまたうれしくて、エリシュカはひとしきり泣いてしまったのだ。




