没落人生から抜け出したい・1
キンスキー伯爵家は、今や没落寸前だった。
伯爵家の主な収入源である木材の販売が不調なのだ。
それはここ十年ほどで飛躍的に発達した魔道具のせいでもある。
この世界の人間にとって、魔力とは生命力の源である。血液と同じくらいに生命維持に必要なものであり、それは自らの体の中で生成される。
魔力には火・風・土・水・光の属性があるが、どの属性の力が強いかは生まれながらに決まっていた。
魔力について、しっかり研究しようという動きが大陸の方で起こったのが二十年前。それから数年もしないうちに、魔力を利用して生活を便利にする〝魔道具〟の開発が進んでいった。
たとえばランプ。従来は燃料となる油を入れ、芯に着火するものだった。それに対し、魔道具ランプは嫌なにおいもなく、安全で長持ちした。かつて、オイルランプによる火災は多く起こったが、魔道具の登場により、事故は一気に減った。安全性が周知されると、我も我もと人は手を伸ばしたのだ。
そうなると、人の持つ魔力だけでは足りなくなる。そこで目をつけられたのが魔石だ。
魔石は長い年月をかけて自然の中にある魔力が凝固した宝石のようなものだ。鉱山や石切り場から発掘され、質の良いものには濃く純度の高い魔力が詰まっていた。また、魔石は使い終われば人の魔力を移し、補充することができたため、魔道具の動力源としてとても便利だったのだ。
ここに目を付けた採掘業者は、石切りに躍起となった。魔石を得るために、多くの石材が一緒に採掘されるため、石も建築材料として重用されるようになる。そのため、木材の需要は激減し、木材資源を豊富に抱える地主は、危機的状況を迎えているのだ。
キンスキー伯爵家は、森林開拓のための投資が回収できないうちにこのような状態になり、伯爵は借金で首が回らなくなっている。
だと言うのに、伯爵夫妻も双子の子息も、裕福な時代の金銭感覚が抜けていなかった。
十七歳になったエリシュカは、父を廊下に引っ張り出し、いら立ちをあらわにした。
「もっと節約しましょう。明かりだって、こんなにつけておくことはないでしょう?」
玄関ホールのシャンデリアは、明かりの数も多く豪華な魔道具だ。
自分たちを苦しめた元凶だというのにも関わらず、伯爵は流行りに乗って十年前に屋敷の明かりをみんな魔道具に変え、毎日魔力供給用の使用人に、魔力を補充させている。高い魔力持ちの使用人は賃金も高いというのに。
「こんな大量に魔力を消費するシャンデリア、取り外しましょうよ。明かりならもっと小さなランプでも十分でしょう? それに、私だって、お父様やお母様だって魔力を供給することはできます。使用人に任せるばかりじゃなく、できることは自分たちでやっていきましょうよ」
それでなくても、王都の学校に入学した双子の制服を仕立てるのにもお金がかかった。学費だって高い。エリシュカはすでに自分のドレスを新調するのは諦め、母の昔のドレスを手直ししているのだ。これでは結婚相手を見つけるための夜会にも、出席できそうにない。
「自分たちでできることから……か、よく言った。エリシュカ」
キンスキー伯爵は、重々しいため息をつくと、エリシュカに一冊の薄い冊子を差し出した。
「開けてみろ」
「はい?」
開けると、口髭のある面長の紳士の姿絵があった。年のころは四十歳といったところだろう。
「どちらさまですか」
「おまえの夫候補だ」
「……お父様、私、十七です。ご存知ですよね?」
よもや自分の娘の年齢も忘れ、こんな年上の男との縁談を組んだというのだろうか。
いぶかし気に問いかけたエリシュカの目を見もせず、伯爵は感情の感じられない無機質な声で続けた。
「名前はバルウィーン男爵。年は四十四歳。六年前に奥方を亡くされていて、息子がふたり。金鉱脈発見で財を成し、男爵位を得た成り上がりだ」
「私の相手は息子さんの間違いでは?」
「いいや。男爵は後添えを捜しておられる。お前を娶れるならば、我が家の借金はすべて払ってくれるそうだ」
エリシュカの顔から血の気が引いた。
「お父様は私に身を売れと言うの?」
「いいや。縁談だ。いい話だと思わないか。お前は資産家の妻となり、贅沢もし放題。ついでに我が家も助かる」
父の口元が弧を描く。
エリシュカは信じられなかった。
自分が弟たちに比べて、両親から愛されていないのは知っていた。
記憶喪失になったことも原因なのかもしれないが、母親のエリシュカへの態度は、まるで継子にでも対するもののようだったし、父も跡継ぎではないエリシュカにはいつも冷たかった。
だから、結婚に対して自分の意志が通るとは思っていなかった。伯爵家に生まれた娘として、政略結婚を強要されることくらいは、覚悟していたのだ。それでも、家格や年齢くらいは釣り合いが取れるよう考えてくれると思っていた。まさか、身売りのような結婚を強要されるなんて……。
「お父様は、私に、自分と同じ年頃の息子がいる男へ嫁げとおっしゃるの?」
「我が家を救うためだ。お前も言っただろう。身を切る覚悟を持てと」
「そういう意味じゃありませんわ」
言い返そうとしても、父の顔に揺らぎは見えない。これ以上言っても無駄なのかもしれない。彼の庇護下にある以上、どんなに訴えてもエリシュカは彼の決定に従わざるを得ないのだ。
「……少し考えさせてください」
エリシュカは仕方なく、時間を稼ぐことにした。
* * *
七歳で記憶を無くした後、エリシュカはしばらく、母親の言うとおりに過ごしていた。
朝食を終えたら、家庭教師について勉強し、午後は弟たちと散歩をする。
それは平和な時間だったが、どこか物足りなさもあった。
そんなある日、エリシュカは不思議な夢を見た。
信号機や車、この世界にはない不思議なものがたくさんあるニホンという国で、自分は黒髪の女の子なのだ。
「今の夢……なに?」
妙に懐かしく、ワクワクした気持ちになったエリシュカは、それを母親に話した。
すると、母親は顔をこわばらせ、楽し気に話すエリシュカの手を鋭く弾いた。
「記憶を無くしても、空想家なところは変わらないのね」
軽蔑したような口調で、見るからに落胆する母親に、エリシュカはそれ以上何も言えなかった。
この出来事から、エリシュカはニホンのことを口に出すのは止めた。夢はその後も何度も見たが、エリシュカは自分だけの中にしまい込むことにしたのだ。
それ以降、母親はわかりやすくエリシュカを避けるようになってしまった。
(どうして、夢で見た話をしただけなのに、こんなに怒られるんだろう)
屋敷の中で、息を殺すように黙りこくる日々。やがてエリシュカは、疑問を抱くようになっていった。
(私の家でもあるのに、我慢ばかりしなきゃいけないのはおかしいわ)
エリシュカは自分の好きなことを探すために、屋敷中を動き回った。心が動くもの、ときめくもの、安堵を感じるものが欲しかった。そして落ち着いたところが庭だ。
元々お転婆な気質だったのか、庭の木に登ったり、木の実をとったりすることが楽しい。
記憶喪失の原因となった池を見るのも、不思議と嫌ではなかった。
「木に登るのはおやめください!」
するすると木に登るエリシュカに、サビナは目くじらを立てたが、エリシュカは無視して枝の上から庭を眺めた。
(どうせ笑ってくれないのだから、これ以上嫌われたって変わらない)
人は折り合いをつけるものだ。
エリシュカはやがて、愛されるようにふるまうのを諦め、自分の生きやすさを重視するようになった。
自分の守り方を、エリシュカは本能的に知っていたのだ。