リアンの魔道具・2
大きな馬車は、セナフル家からの借りものらしい。そうとばれないように、家紋に細工したり、より豪華に見えるように金メッキをつけたりと、材料調達や加工に手を尽くしてくれたのは、リーディエとヴィクトルなのだという。
エリシュカを取り戻すために、リアンとブレイクは商会を立ち上げることを思いついたのだそうだ。対等の立場を手に入れなければ、キンスキー伯爵は交渉のテーブルにすら乗ってくれない。加えて、リアンとブレイクが表に立てば、伯爵は絶対に話し合いには応じないだろう。それで、モーズレイを共同経営者として引き入れ、彼のみを表に立たせて交渉してきたのだという。
馬車に揺られている間に、リアンは簡潔にここに来た経緯を説明した。
エリシュカの理解はまだ追いついていなかったが、とりあえずは頷いておく。
モーズレイが気を利かせたのか御者席の隣に移り、馬車の中にいるのはふたりだけだ。
リアンはひと呼吸置くと、「元気だったか?」と微笑んでくれた。
エリシュカも笑おうと思った途端に目尻に涙が浮かぶ。
「あれ……あれ?」
泣くつもりなどなかったところで涙があふれ、エリシュカは慌てて顔を隠す。
「エリシュカ……」
「ち、違うんです。大丈夫だったんですよ。みんな怒ってはいましたが、暴力を受けたわけではありませんし。婚約の話もうまいことなくなったし。それに、リアンたちが迎えに来てくれました」
必死に訴えるエリシュカに、リアンは神妙な顔で首を横に振る。
「そうじゃない。お前はあの屋敷で、本当に大丈夫だったのか?」
リアンのまなざしは、あまりにもまっすぐだった。なにを問われているのか。一瞬分からなくて、すがるように彼を見上げる。
「〝エリシュカ〟を、潰されそうにならなかったかと聞いている」
それは、キンスキー伯爵家では絶対に尊重されないもの。跡継ぎでもない娘には必要とされない個性。ずっと、エリシュカが認めてもらえずにきたもの。
「それ……は」
潰されそうだった。ただ、家の言うとおりに結婚することだけが大事で、〝エリシュカ〟が必要なんじゃない。〝キンスキー伯爵家の娘〟が必要なだけだった。
「つ、潰れる前に、リアンが来てくれました」
リアンの表情が陰る。涙はボロボロ零れるけれど、笑ってほしくてエリシュカはほほ笑んだ。
「だから、大丈夫です」
「エリシュカ」
リアンの手が、エリシュカの背中に伸びる。
すぐに力が込められて、エリシュカの涙は、押し付けられたリアンのシャツの胸のあたりに吸い込まれていく。
「俺は、家族というのは、互いに与え合うものだと思う。血のつながりなんて関係なくて、互いに家族で居続ける努力が、できるかできないかが大事なんだと」
抱きしめられた驚きと、ぬくもりがもたらす安心感に翻弄されるエリシュカは、ただ黙って、リアンの言葉を聞いた。
「お前は、血がつながっているんだから伯爵を家族だというけれど、俺は、お前だけが犠牲になって必死に保とうとする関係が家族だなんて思えない」
そうかもしれない。血にこだわっていたのは、父だけではない。エリシュカもだ。
「そうですね」
「覚えてないかもしれないが、小さな頃、お前は必ず俺に言ったんだ。半分こしようって。俺は使用人なのに、いつだって、自分のものを分け合おうとする。……だから、俺にとって、エリシュカは仕えるべき相手というよりは、家族のようだった」
頭がチクンとする。抱きしめられたリアンのにおい。助けてくれる温かい手。そして……。
リアンの言ったような光景が、頭にぱっと広がっていく。
「……フリッターを」
「え?」
「リアンが叱ってくれたんです。私がわがまま言ったとき。せっかく用意してくれたアリツェにひどいこと言ったから。一緒に謝ってくれました」
アリツェはリアンの母親だ。そうだ。ずっと昔から、リアンは一緒にいて、一緒に考えてくれた。分からないからといって投げ出さず、同じ目線に立とうとしてくれた。
「私が言うニホンの道具のこと。リアンだけがちゃんと聞いてくれて、絵にも描いてくれたんです」
「思い出したのか?」
エリシュカは、涙を浮かべた顔で頷く。
「はい。今、凄く鮮明に記憶がよみがえってきました。私、リアンと一緒にいると、道具が作れなくても、楽しかったんです。だから、いつもついて回ってました。リアンはお仕事があるのに、おままごとにつき合わせて、拾った木の実をごちそうして」
まざまざとよみがえるあの頃の記憶は、エリシュカにとって、とても大切なものだった。孤立するキンスキー伯爵家で、ただひとつの、心のよりどころだったリアン。エリシュカが自己肯定感を失わなかったのは、リアンがいてくれたからだ。
(思い出せなかったのは、自己防衛だったのかもしれない)
リアンがいなくなったあの屋敷で、この思い出を持ち続けていたら、きっとそれからの生活の寂しさには耐えられなかっただろう。
「会いたかったです。リアン」
「……エリシュカ」
抱きしめられる腕に、力がこもる。
「家族になろう」
「え?」
「俺はもう、血のつながりなんかで、伯爵にお前を奪われるなんてたくさんだ」
エリシュカの顔に血が集まってくる。一体どういう意味合いでその言葉を言っているのか。
「リアン……あの」
そこで、馬車が止まり、ふたりは慌てて体を離した。
「ついたぜ、おふたりさん」
にこやかに馬車の扉を開けたモーズレイは、ふたりが妙に離れて顔を染めているのを見て、「早すぎたか。悪かったな」と頭をかきながらいい、エリシュカは恥ずかしくてたまらなくなった。




