リアンの魔道具・1
ここ数日、キンスキー伯爵の元には、モーズレイの資産管理人を名乗る男が何度か訪れていた。土地売買についての詳細を、決めているのだという。
「あのモーズレイという男、相当木材に価値を見出しているようだな。今や斜陽産業だというのに、市場の流れも分かっていないようだ」
ほくそ笑んでいる父親を、エリシュカは軽蔑の目で見つめる。林業が斜陽産業なのは確かにそうなのだが、先祖代々受け継がれた土地を、こうもあっさり手放すことにどうにも釈然としない。
「お父様は、本当に山を手放していいのですか?」
「なんだ、エリシュカ。怖気づいたのか? まあお前にしてみれば、結婚の方が将来安泰ではあるからな」
「結婚は嫌です。私はモーズレイさんのもとで働く方がいいですよ」
「……おかしな娘だな。私には理解ができん」
父親はそういうと、話を打ち切ってしまった。理解しようという気が全くない態度に、エリシュカもため息をつく。
(迎えが来るのは、明日)
あれから何度か子ネズミを使ってブレイクとコンタクトを取ろうとしたが、反応はなかった。
今は分からないことだらけだが、父親の手の内から出られれば、モーズレイから真実が聞けるだろう。その時までの我慢だ。
約束の日。すでに資産管理人と細かな取り決めを終え、契約書にサインするだけという状態で、モーズレイ氏はやって来た。
窓から馬車の到着を見ていたキンスキー伯爵は、「もう来るぞ、迎えにでるか」とエリシュカを連れ、ロビーへと向かう。
使用人が扉をあけ、客が招かれる。しかし、入ってきたのはモーズレイひとりではなかった。彼らは同じように立派な身なりをしていて、横に並ぶようにして入ってくる。
もうひとりの彼を見て、エリシュカは息が止まりそうになる。
「……リアン?」
ウェーブの栗色の髪をきちんとなでつけ、仕立ての良いスーツをきっちり着込んだ彼は、いつもとはまるで別人のようだ。それでも、重厚な家具を思わせる深いこげ茶の瞳は、いつもと変わらずまっすぐにエリシュカに注がれた。
エリシュカのつぶやきでキンスキー伯爵も気づいたのか、貼り付けていた笑顔がこわばり、驚愕の表情に変わる。
「お前……リアンか? モーズレイさん、どういうことですか? 彼は……」
「彼はリアン・オーバートン。この商会の共同経営者です」
モーズレイがにこやかに告げる。
「というか。私は雇われ経営者でして、実際の権限を持っているのはこのリアンと、ブレイク・セナフル氏です。契約書にもちゃんと彼のサインがあったはずですが、確認されてませんか?」
「それは……。いや、書類には問題がないと聞いている」
管理人任せにしていたのか、伯爵はやや言いよどむ。
「もちろんです。ご心配はいりませんよ。お約束通りの金額で山は購入いたしますし、キンスキー伯爵に不利なことは何もありません」
モーズレイの説明を聞いた後も、伯爵は不満げに顔をしかめ、リアンを睨みつける。
「しかし……、お前にそんな金があるわけがないだろう。ブレイクか? あいつ、そんなに金があるなら、黙って俺を支援するべきだろう」
リアンは冷静な顔を崩さずに、ゆっくりと息を吸い込んだ。伯爵が一瞬気圧されたように硬直した。
「お言葉ですが、伯爵様。ブレイク様はすでにセナフル姓となって十年以上経っており、その間、ご実家から支援を受けたことはないとおっしゃっています。ですから、あなたを支援する義理は無いかと存じます。それに、私に資金が無いとどうして言い切れるんです? ブレイク様の店を任されてから、もう四年経ちます。作成した魔道具の数も五十を超え、そのどれもが売り上げを出しています。特に使う予定もなく貯めていたものを、今回この商会を興すために使っただけのことです」
それでも、キンスキー家の山林を買うだけのお金は、リアンにはないだろう。ブレイクだってそうだ。いくらかは銀行に借金をしていると考えたほうがいい。
エリシュカはハラハラしながら、父とリアンの会話を見守った。
「この契約は破棄だ! お前なんかにうちの山林と娘を渡すなど……」
「へぇ。破棄して、伯爵家はやっていけるのですか? エリシュカに求婚していた男爵は、社交界で中傷を受け、婚約破棄を申し出てきたそうじゃありませんか。他に、あなたの借金を返す目途があるのですか?」
「なぜそれを知っている?」
激高する伯爵とは裏腹に、リアンはどこまでも冷静だ。意地悪く微笑むと、両手の指をゆっくりと折り上げる。
「セナフル姓となったブレイク様が、もう貴族ではないと侮っていたのなら、大きな誤算でしたね。魔道具の多くは貴族に売れるのです。ブレイク様が親しくしている貴族は、両手で数えきれないほどです。噂を流してもらうことなど、そう難しいことではありません」
リアンが馬鹿にしたように問いかければ、伯爵は悔しそうに歯がみする。
「破談はお前たちのせいだったのか!」
リアンは一歩前に出た。身長が高いので、怒っていると威圧感がある。見下ろされて、伯爵は一歩後ずさる。
「あなたがそこまで言うのなら、この契約は破棄しても構いません。それでも、エリシュカだけはいただいていきますよ」
「え?」
突然名前を呼ばれ、エリシュカは戸惑いを隠しきれない。リアンがまっすぐに手を差し出してくるのを、まるで、スローモーションの映像を見ているような感覚で見つめた。
「……エリシュカ、俺と行こう」
「で、でも。借金が」
「お前が責任を負うことじゃない。貴族じゃなくなっても構わないんだろう? だったら、俺と行こう。ただのエリシュカになって」
エリシュカは戸惑い、リアンと父の顔を交互に見る。伯爵は目を血走らせてリアンを睨みつけていた。
「俺はもう、キンスキー伯爵には潰されない。ブレイク様だってそうだ。だからお前が、そこまでして守ろうとしなくてもいいんだ。心置きなく自分のために動け!」
エリシュカは唇を嚙みしめた。そうやって堪えないと、泣いてしまいそうなのだ。
好きな人のためなら、犠牲になれる。そう思ったけれど、やっぱり嘘かもしれない。
だって、やっぱり生きるなら幸せなほうがいい。自由になっていいと言われただけで、こんなにもうれしいのだから。
「リアン……!」
彼に近寄ろうとしたエリシュカの腕を、キンスキー伯爵が掴んで止める。
「待て、エリシュカ」
「離して、お父様」
もみ合うふたりの間に、リアンが入り、キンスキー伯爵の手を掴み上げる。
「もう一度お伺いします。この契約書にサインするなら、エリシュカは仕事としてこの家を離れるだけです。そうでないなら、エリシュカは自分の意志でこの家から出て行きます。どうしますか? 契約は悪い条件ではなかったはずです。受けたほうがあなたにはメリットがあるでしょう。ただそれにサインをした瞬間、俺は元使用人の子ではなく、あなたとの取引相手です。立場は対等だ。失礼な態度に対しては、正式に抗議する資格を得ることになります。よろしいですか」
毅然としたリアンは、家名に胡坐をかいて偉ぶる父よりも、よっぽど大人に見えた。
「……っ、くそっ」
伯爵は地団駄を踏むような勢いで、二度足を床にたたきつけたが、やがて諦めたようにサインを書いた。エリシュカの結婚が破談になった今、借金の返済に関して取れる手立ては他にはないのだ。
リアンは判の押された書類を手にし、満足そうに微笑むと、伯爵の手からエリシュカを奪い取った。
「では、あの山林は今後、我々のものとなります。そしてエリシュカも、こちらで預かります。ご安心ください。あなた方以上に、彼女のことは大切にしますから」
「リアン、貴様……」
握り込んだ伯爵の拳を、リアンはじろりと睨む。
「今、なんと言いましたか?」
「……いや。何でもない」
「ではサインもいただきましたので、これで失礼します。エリシュカ、準備はできているか?」
「は、はい!」
エリシュカの着替えなどが入ったかばんは、使用人の一人がもっている。リアンはそれを受け取り、エリシュカと手をつないだまま踵を返す。
「行こう。モーズレイ」
「ああ」
今この場を制しているのは完全にリアンひとりだった。引っ張られるように部屋を出ると、蒼白な顔をしたキンスキー夫人がいる。
「これは奥様」
リアンが軽蔑のまなざしを向けると、夫人はおののいたように口もとを押さえる。
「本当にリアンなの?」
「ええ。嘘つきの奥様。失礼します」
すれ違いざま、エリシュカは母の顔を盗み見る。エリシュカよりも、彼女はリアンを食い入るように見ていた。
「お母様」
ずっと、母親に愛されたいと思っていた。愛されなければ、家族の一員ではいられなくなるような恐怖もあった。その思いとも、別れを告げるときが来たのだと、エリシュカには自然に思えた。
「さよなら」
その途端、母の視線はエリシュカにうつる。理解のできないものを見るように、何度か瞬きをして。視線を外したのは、エリシュカの方が先だった。ここで愛を求めなくても、自分らしい自分を認めてくれる人がいる。ひとつの執着がエリシュカの手を離れた瞬間だ。
「行くぞ。エリシュカ」
リアンはエリシュカの手を離すことはなく、威風堂々と使用人たちが見守る中を歩いていく。後ろをついてくるモーズレイは、その体の大きさからまるで護衛のようだ。
「話したいことがたくさんあるんだ」
「私もです」
泣きたいほどうれしくて、エリシュカは離れないようにしっかりとリアンの手を握った。




