エリシュカの存在意義・7
エリシュカが悲壮な決意を固めたその時だ。
「お嬢様、どこにいらっしゃいますか」
使用人の声が廊下に響く。エリシュカは子ネズミをドレスに隠し、箱を元通りに戻してから、マクシムの部屋を出た。
誰にも見つかる前に自分の部屋にまで戻ろうと思ったが、途中でメイドに見つかる。
「どこにいらっしゃったのですか! 旦那様がお呼びです。お早く」
「ちょ、ちょっと待って」
メイドに背中を押されるようにして、連れてこられたのは父の執務室だ。
「御用ですか、お父様」
「おお、来たか。エリシュカ」
部屋の中には、父のほかに、大柄な男がひとりいた。背が高く肩幅もあり、豪華な衣装がよく似合っている。振り向いた男の顔を見て、エリシュカは一瞬頭が真っ白になった。
「……え?」
「やあ、お嬢さん」
口もとにひげがあるが、どう見ても彼は、フレディの元家庭教師のモーズレイだ。『魔女の箒』に顔を出したときと違い、仕立ての良いスーツを着込んでいるからか、一瞬別人に見える。
「こちらはクリフ・モーズレイ氏だ。うちの土地を買いたいとおっしゃっている」
父が満足そうに紹介した。モーズレイはゴホンと咳ばらいをして頷く。どうも威厳を保とうとしているようだが、たまに目が泳いでいるのが見て取れた。
(あのモーズレイさんだよね。口もとのは付け髭……?)
「うちの土地を……ですか?」
「そうだ。家具を中心とした製造業で起業を考えているのだそうだ。良質の木材を捜しておられて、ぜひうちの土地を買いたいと……」
「でも、それなら木材のみを取引したほうがモーズレイさんにはいいのでは。山の管理は大変ですよ?」
キンスキー領には熟練の職人たちがいるから何とかなっているが、素人が突然できるものではない。
(それに、モーズレイさんにそんなお金あるわけないじゃない!)
内心焦るエリシュカを、伯爵はじろりとねめつける。
余計なことは言うなということだろう。
「エリシュカ。そこは心配しなくてもいい。うちで雇っていた職人を紹介することになっている。みな、木こり一筋で生きていた人間だ」
伯爵がそう言うと、モーズレイはうれしそうに頷く。
「そうなんですよ。それで、土地に詳しい人間に管理をお願いしたいのですよ。できれば身分のある、木こりたちがきちんと指示を聞いてくれるような人にお願いしたくて。そうしたらお嬢さんのお話になりまして」
エリシュカは焦って父の顔を見る。
「お父様。では私の結婚は?」
「その話なのだが」
キンスキー伯爵は、手招きしてエリシュカを近くに呼び、小声で「あちらから婚約破棄を願う手紙が寄こされたのだ」と告げる。
「そうなのですか?」
以前の手紙の感じでは心待ちにしているようだったのに。エリシュカにとっては助かるが、急な心変わりについていけない。
父がこそこそと話す内容をまとめると、どうやら社交界で『バルウィーン男爵が隠居と共に若い女の子を囲うらしい』という噂が立ったそうだ。
その噂は、全くの嘘というわけでもない。それまでは、父が勝手にやることと傍観していた息子夫婦の妻の方がこの噂に拒否反応を示し、猛反対し始めたのだそうだ。
王都から離れた地方の男爵家と伯爵家の結婚の話題など、報告に行くまで話題にのぼることもないはずだが、珍しいこともあるものだ。
「まあお前も嫌がっていたし。男爵も、破棄を了承してくれるならば支度金は返さなくていいと言ってくれたのでな。とはいえ、今後、お前には婚約破棄されたという不名誉な過去が付いて回る。すぐに次の嫁ぎ先が見つかることはないだろう。そこでしばらくの間、お前に山林の管理に回ってもらえばいいかと思ったのだ」
エリシュカは、家出前、没落していく家を守るため、領地の管理についてもひと通り学んでいた。主力産業である木材加工を盛り上げるためにと、職人たちと話し合ったこともある。
父よりは適任だと言えるだろう。
「土地の権利自体を手放せれば、年間にかかる管理料が削減できる。そうであれば、男爵からの援助がなくともなんとかなるだろう」
「でも領民はどうなるんですか」
「売るのは山だけだ。人が住む土地は当然伯爵家で管理する。山に入る人間はモーズレイ氏に雇用される形になり、もちろん給料は彼から支払われる」
つまり、厄介者となっていた山林は売り払えるも、税金を支払ってくれる領民は失うことがない。加えて、領民にも仕事を与えてもらえるというおいしい条件なのだ。それがずっと続くのならば、確かに結婚による一時的な支援よりも旨味はある。
(……つまり、お父様は、モーズレイさんの申し出の方が得だと判断したのね?)
その点に於いて虚しさは感じつつも、相手がモーズレイだということは、きっとリアンやブレイクが絡んでいる。エリシュカは目を伏せたまま「分かりました」と従順を装った。
「では娘を管理人としてあなたにお預けするということでよろしいですね」
「ああ。助かる。では一週間後、正式な契約書を持って再びお伺いする。お嬢さんはうちの屋敷に来てもらうので、旅支度をしておくように」
「分かった」
「ではこれで、失礼する」
頑張って威厳を保っていたであろうモーズレイの最後の声はやや上ずっていた。
何が起こっているのか分からないが、エリシュカの胸には希望が湧き上がった。




