エリシュカの存在意義・6
* * *
マクシムとラドミールが王都に戻り、キンスキー伯爵家に束の間の静けさが舞い降りる。
輿入れ準備は母が中心となってやっているので、エリシュカはすることもなく庭を散歩していた。
広い庭園には木々がいっぱいある。林業はキンスキー伯爵家の主力事業だった。その売り上げが落ち、エリシュカには借金返済のための婚姻が求められたのだ。
(事業がうまくいっていれば、少しは違ったのかな)
そう考えて、首を振る。それはきっと、きっかけに過ぎない。もし、金銭的に問題なかったとしても、エリシュカは伯爵家にとって有利な相手に嫁がされただろう。
父や弟たちの考えを理解するのに、ちょうどいい機会だったのだ。エリシュカが家族だと思っていても、彼らはエリシュカのことを所有物としか思っていない。それがこの世界の貴族の常識だというのなら、きっとおかしいのはエリシュカの方なのだ。
(……ああ、どうして前世の記憶なんてあるんだろう。だからきっと辛いんだわ)
それでも、前世の記憶がなければ、リアンやリーディエやヴィクトルがこんな風に身近な存在になることはなかっただろう。生まれた時からある記憶なのだから、前世を含めてエリシュカだ。
(疲れた……)
敷地の一番端まで来て、エリシュカは、樹齢二百年は経っていると言われている太い幹に背中を預けて座り込んだ。
「はあ……」
葉が影を作り日差しも遮られ、気持ちがいい。頬を撫でる涼しい風に誘われるように、エリシュカはお昼寝をしてしまった。
(なんだろう。温かい)
夢うつつのエリシュカは体の表面に湯たんぽのような温かさを感じ取った。
大樹に抱かれているせいだろうか。だがその熱はやがて、体中を巡回していく。
(まるで生命力を注がれているみたい)
そう言えば、昔から木登りをすると元気になれた。木々の傍にいると、不思議と力がみなぎったものだ。
木は光合成をしているから酸素を生み出す。生態系を維持するのに重要な光合成生物だ。
それはこの世界では解明されていない事実だが、前世の記憶のあるエリシュカにとっては常識の範囲の知識だ。
(酸素──生きていくのに必要なエネルギーを生み出すもの。……そう言えば、魔力ってどこから生まれるのかしら)
人は魔力を体内で生成するという。だけど、人だけが魔力を作れるのだとしたら、説明のつかないことがひとつある。
(魔石はどうやってできたの?)
長い年月をかけて、地中に溶け込んだ魔力が凝固したのが魔石だ。では、地中に溶け込んだ魔力の元はどこにある?
(大気に溶け込んでいた魔力が、地中に染みこんだとしたらどう?)
元々大気に魔力が存在しているという可能性もある。だけど、大気も循環する。魔力を生み出すもとが無ければ、いつか枯れてしまうのではないだろうか。
木は魔力を通しにくいとリアンは言っていた。だから、魔力とは無関係のものだと思い込んでいたけれど、光合成で、酸素と共に生み出されているとしたらどうだろう。
(可能性はあるかもしれない。光合成と同じように、植物が排出しているとすれば、植物に触れていると元気になることにも理由が付くかも……)
確証はないが、きっとブレイクに話せば、検証してくれるはずだ。そうしたら、レオナの治療にも役に立つに違いない。
思いついたら興奮してきた。エリシュカは立ち上がり、この案をどうやって叔父に伝えようかと考える。
「手紙……? でも手紙はお父様にチェックされるし。ああもう、子ネズミがあればよかったのに」
イライラしながら木々の周りを歩いていると、緑色の葉がはらりはらりと数枚、落ちてきた。
「……待って。子ネズミはひとつじゃなかったはず。マクシムとラドミールにも渡していたはずだわ」
前に叔父は言っていたはずだ。『この仕掛けに気づくとしたら、三人の中でエリシュカだと思ってたんだ』と。
エリシュカは急いで屋敷へと戻った。すると、なにかがあったのか、屋敷は妙にざわついていた。
不思議には思ったけれど、誰もエリシュカに目もくれないので、これ幸いとエリシュカはマクシムの部屋に入る。
几帳面なマクシムは、いらないものはひとまとめにして箱に入れているはずだ。
クローゼットの奥に、箱がふたつあり、奥の箱には子供のときのおもちゃがまとめられていた。一つひとつ引っ張り出すと、奥底に、ようやく子ネズミを見つける。
「あったわ!」
エリシュカが持っていたものと同じく、ネズミのおもちゃを模してあり、尻尾の紐を引っ張ると、カタカタ音を立てて前に動く。
以前と同じように魔力を込めると、ネズミの目玉がぎょろりと動いた。
(相変わらず、この目玉には慣れないわね)
赤い瞳が青くなり、『ジー、ジー』と機械音を立てる。
そして瞳が緑色にと変化した。
『エリシュカだろ!』
こちらが話しかけるより前に、ブレイクの声がした。
『叔父様?』
こんなにすぐ反応するということは、エリシュカが弟の子ネズミの存在に気づくのをずっと待っていてくれたのだろうか。
『ああよかった。エリシュカ、心配するなよ。絶対に君を助け出してあげるから』
『違うの。叔父様。私、思いついたの。魔力を生成する方法。木を調べてみてくれないかしら……』
『木? なんの話だ。それより……うわ、悪い。魔力が』
そのままブツリと通信が切れる。
「……相変わらず魔力不足状態なのね。叔父様」
ちょっと呆れつつ、変わらない叔父にクスリと笑いがこみ上げてきた。
「きっと叔父様なら、今のだけでも私と同じ結論にたどり着いてくれるわ」
この世界ではまだ光合成という概念は見つかっていないが、コツコツ調べることができるブレイクならば、きっと大丈夫だ。
(これできっと、エレナさんは大丈夫。だから私は、心配せず嫁げばいい)




