エリシュカの存在意義・4
(なんでお父様が? また叔父様に迷惑をかけちゃう。止めなきゃ)
飛び出そうとしたエリシュカを、リアンが腕を掴んで止める。
「駄目だ、行くな」
「でも」
「ブレイク様に任せておけばいい」
その間に、キンスキー伯爵は二階への階段をずんずんと上ってきた。
ブレイクの部屋の扉があき、不機嫌そうに頭をかきながら、ブレイクが現れる。
「兄さん? いきなりなんなんだい? 家で騒がないでくれ。病気の妻が休んでいると知っているだろう?」
ブレイクは、あからさまな騒音を立てる伯爵に苛立ちを隠さずに抗議した。
エリシュカとリアンは、物陰からそれを見ている。伯爵はふたりには気づいていないようだ。
「そこにいたか。ブレイク。エリシュカを出せ。ここに居るんだろう?」
「兄さん、何度も言っているけれど、エリシュカのことは知らないよ」
「しらばっくれるのもいい加減にするんだな。マクシムたちに聞いて、いろいろと証拠を集めたぞ。ここに出入りしている小僧がいるだろう。そいつがエリシュカだ」
キンスキー伯爵は自信ありげに言うと、階段を上りきり、ブレイクを見下ろした。
「エリシュカの保護者は俺だ。出さないならお前を訴えるぞ」
「本気で言ってる? エリシュカは自分の意志で出て行ったんだろう? 兄さんがしていることは虐待と同じだよ。借金を返すためにエリシュカを犠牲にするなんて間違っている」
「あの子はキンスキー家のものだ。どう使おうと、それは当主である俺が決めること。幸い、お相手はエリシュカが病気ですぐに輿入れできないという説明を信じてくれていてな。医療費まで払ってくれると言うんだ。こんなに心配してくれる相手に嫁ぐのはエリシュカにとっても幸せだろう」
伯爵の声には、迷いなどひとつもない。本当に、ただの所有物としてしか存在を認められていないことに、エリシュカは脱力する。
(お父様が私を捜しているのは、まだ利用価値があるからなのね)
空しかった。どうあっても、エリシュカが思う〝家族〟に、彼らが当てはまらない。
(血のつながった私の家族……なのに)
なまじ前世の記憶があるから、だから家族に対する欲を捨てられないのだろうか。
「出さないなら、その責任をお前に取ってもらう。お前の妻は、相変わらず眠ったまま起きないのだろう? エリシュカの代わりに、お前の妻をいただいていこう」
エリシュカもリアンも、もちろん正面で対峙しているブレイクも、伯爵の言っていることの意味が分からず、動きを止めた。
「は? 何言ってるんだ? 兄さん」
「エリシュカのお相手──バルウィーン男爵は大富豪だ。治療費も出してくれるさ。お前の妻は見た目も若いし、どうせ目を覚まさない。病気のエリシュカと偽っても、ばれることはないだろう?」
とんでもない暴論だ。ブレイクも顔色を変え、伯爵に掴みかかる。
「兄さんは、他人の尊厳を守るってことを知らないのか? レオナは治療を続けなければ死んでしまうし、目を覚まさなくとも僕の大事な妻だ。エリシュカの代わりにするなんて権利、兄さんにあるわけがないだろう? ふざけるな」
伯爵は抵抗し、ブレイクの腕をきつく掴んだ。
「うるさい! お前だって、本来ならばキンスキー伯爵家のものだ! 言うことも聞かず出て行って、勝手に結婚して! こんな時くらい家のために尽くしたらどうなんだ!」
「勝手になんてしていない! 結婚式に呼んだのに、来なかったのはそっちじゃないか」
掴み合いになったふたりに、使用人がオロオロと割って入る。
父の人を人とも思わない態度に、エリシュカも今度ばかりは怒りを抑えることができなかった。
「やめて!」
「あ、待てっ」
リアンの制止より早く、エリシュカは彼の脇を抜け出してキンスキー伯爵の前に仁王立ちした。
「叔父様を責めないで。私が頼んだの。匿ってほしいって」
少年の姿のままで、にらみつけるエリシュカを、キンスキー伯爵はにやりと笑って見つめた。髪を掴み、かつらを取り払う。エリシュカのおさげに結んだ銀色の髪が、肩にポテンと落ちる。
「……やはりいたじゃないか。エリシュカ」
「出てくるなと言ったじゃないか、エリシュカ!」
ブレイクは悔しそうに唇をかみしめた。
「帰るぞ。お前のせいでこっちは大変だったんだ」
エリシュカの腕を掴み、引きずっていこうとする伯爵の手をリアンが止めた。
「なんだ? ……お前、リアンか?」
「お久しぶりですね。旦那様」
リアンは険しい目つきで伯爵を睨みつける。
「リアン。駄目です。お父様。私が帰れば、リアンや叔父様には手を出さないでいてくれますね」
「エリシュカ。お前は犠牲になるのが嫌で飛び出してきたんだろう? なぜ帰ろうとするんだ」
叫ぶように問いかけたリアンに、エリシュカは心臓が絞られたような気持ちになる。
「……私がここにいると、大事な人を傷つけてしまうからです」
「なに?」
「政略結婚は嫌です。だけど、これ以上、大事な人たちから何かを奪うのはもっと嫌です」
エリシュカの瞳には、涙が浮かぶ。
もっともっと、リアンやみんなと魔道具を作っていたかった。毎日ワクワクしながら、支え合っていきたかった。
「お父様の借金のためには嫌だけど、叔父様やリアンを守るためなら、犠牲になってもいいです」
「エリシュカ!」
なおも止めようとするリアンを、伯爵が払いのける。
「ふん。あのときのガキがまだ生きていたのか。平民の子だというのに、昔からお前はその生意気そうな目を俺に向けてくる」
「お父様やめて。リアンは何も悪くないでしょう? これ以上ひどいことを言わないで」
リアンのことまで傷つけられるのは嫌だ。エリシュカが必死に訴えると、伯爵は彼女の腕をつかんだまま、もう片方の手で彼女の頬を打ち付けた。
「いいだろう。誓え、エリシュカ。もう二度と、反抗などしないと」
「え?」
「誓うな、エリシュカ」
リアンとブレイクが叫ぶ。だけど、父の本気を感じ取ったエリシュカは彼を見つめ返す。
「叔父様の家庭にも手を出さないと約束してくれるなら誓うわ」
「いいだろう」
「……金輪際。お父様のいうことには逆らいません。……これでいい?」
父の唇が弧を描くのが視界に入る。屈辱に似た感情がエリシュカを襲った。
「よし。いいだろう。最初からそう言っていれば、こんな大ごとにはならなかったんだ。邪魔したなブレイク。お前ももう二度とエリシュカを匿ったりするなよ」
伯爵はエリシュカの腕をつかんだまま、ずんずんと進んでいく。半ば引きずられるように歩くエリシュカの背中に、リアンの叫び声が響いた。
「行くな、エリシュカ」
引き留めてくれる声に、泣きそうになる。それでも、これ以上父親とリアンを関わらせたくはなかった。
彼の両親を追い詰め、死にまで追いやったのは間違いなく父のせいなのだから。
「叔父様、……リアン」
涙をこぼしてしまわないよう、目に力を込めながら、エリシュカは必死に笑顔を作る。
「今までありがとうございました」
絞り出したその声に、返事はなかった。
エリシュカは伯爵の乗ってきた馬車に乗せられ、使用人たちに今までのお礼を言う暇もなく、キンスキー領内へと連れ戻されてしまったのだ。




