エリシュカの存在意義・2
「……だって、姉上がいなくなるなんて思わなかったんだ」
ぽつりと言ったのはマクシムだ。
「母上が、姉上を嫌っているのはわかっているよ。でも、姉上はキンスキー伯爵家の人間で、俺たちは弟だ。なのに、どうして姉上は俺たちと距離と置こうとするんだよ」
ラドミールも、顔をゆがめて吐き出した。
「坊ちゃん方」
リアンは、このふたりが昔からエリシュカの愛情を取り合いしていたことを思い出す。
(母親の愛情を一身に受けて、わがまま放題の双子だった。彼らに関してはエリシュカの方から距離を置きたがっていたな)
「……そこまでエリシュカお嬢様を大事に思うのなら、なぜ、彼女に居場所を作ってあげなかったのですか」
ならば歩み寄ってあげればよかったはずだ。跡継ぎの男児であるマクシムとラドミールには両親ともに甘かった。彼らが両親とエリシュカの間を繋いであげればよかったのに。
そういうと、マクシムはきょとんとリアンを見つめ返した。
「何言ってるんですか、リアン。姉上の居場所はもともとあるでしょう。キンスキー伯爵家に生まれた以上、家の決まりに従うのは当然です。なのに逆らって出て行く姉上がおかしいんですよ」
まるで、エリシュカの自我は抑え込まれて当然のように、マクシムは言う。リアンは少し空恐ろしく感じた。
「なぜ従うのが当然なんですか? 結婚が嫌だとお嬢が言っているのなら、破棄してあげればいいじゃないですか。お嬢にだけ犠牲を払わせるなんて間違っている」
「犠牲なんて……。姉上にとって最良の嫁ぎ先ですよ。年は取っていますが、姉上を大事にしてくれると言っていましたし。そこでなら姉上もお金の苦労などしなくて済みます。なにより、家のために尽くせるんです」
当然のように語るマクシムに、リアンは違和感しかない。キンスキー家という家名を守ることが一番で、そのためならば個人の気持ちは関係ないとでも言いそうな態度だ。
これが貴族の考え方だというならば、エリシュカが馴染めるわけがない。
「……お帰り下さい」
「ん?」
「お嬢はここにはいませんし、もし居たとしても会わせません」
「はぁ。なに生意気言ってるんだよ。俺たちに逆らったら……」
脅しをかけてくるラドミールを、リアンはにらみつける。
「俺をどうにかできるんですか? ここはあなた方の領土ではなく、俺はもうあなた方の使用人でもない」
「えっ……」
初めてこの事実に気づいたとでも言うように、ラドミールが怯む。
「……姉上をかくまっているのなら、誘拐したということもできるんですよ?」
負けじと言い返すのはマクシムだが、リアンは鼻で笑った。
「証拠がなければ、不利になるのはあなた方です。……俺はもう、あなた方にやり込められて泣き寝入りする子供じゃない。これ以上、ここに居座るようなら、法的な手続きをしてあなた方を入店禁止にします」
「……やれるものなら、と言いたいところですが、今日のところは帰ります。行くよ、ラドミール」
「ああ。リアン、姉上をかくまってもろくなことにはならないからな」
最後のセリフは、負け惜しみだろう。言い捨てると、ふたりは出て行った。
「ふっわぁ、ビビった。でも格好良かったぜ、リアン」
「それにしても、凄い双子ね。どうして同じ家からエリシュカとあの子たちみたいなのが一緒に産まれちゃうのかしら。ね、店長──」
リーディエはぎょっとする。リアンの表情が、いつもにもまして険しくて、驚いたのだ。
「店長……」
「ちょっと奥にいる。なにかあったら呼んでくれ」
すぐに背中を向け、リアンは二階の作業場に向かった。作成中の魔道具の前に立ち、続きをやろうとして手を止める。
「……お嬢」
リアンには、エリシュカを憎んでいた時期がある。
エリシュカが溺れた後、リアンは彼女の安否も知らされないまま、両親ともども伯爵家を追い出された。
それからしばらく、リアンは期待して待っていた。エリシュカが目覚めれば、リアンに非はなかったと言ってキンスキー伯爵を説得してくれるに違いないと。
だが、両親が新しい職場に雇われても、すぐにキンスキー伯爵家からの物言いがつき、解雇された。三度も繰り返すころにはもう、諦めていた。
きっと、エリシュカはもう自分のことなど忘れている。エリシュカにとっても、やはり自分は使用人に過ぎなかったのだと絶望した。
やがて魔力供給しか仕事が無くなり、生気を奪われるように両親が死んでからはもう思い出さないようにしていた。エリシュカの思い出があると伯爵を憎みにくくなる。
だが、ここで再会し、エリシュカが記憶を失っていることを知って、その気持ちはぱっと霧散した。
(家族にかこまれていながら、ずっと孤独だったんだな。エリシュカは。……それにしても、あんな弟と両親に囲まれて、よくあのお人よしの精神を失わないものだな)
彼女が、伯爵家を自分から出てきたことには大きな意味がある。
深呼吸して、作成中の魔道具に向かい合うリアンの瞳からは、迷いの色が消えていた。