ヴィクトルの魔石・4
「何をしているんですか? こんなところで」
「なんでもない」
「なんでもないわけ無いでしょう! 今どんな顔をしているか分かっているんですか?」
珍しくエリシュカが厳しい声を出すと、ヴィクトルは目をそらし、言いづらそうに口をひらいた。
「大事なものを落としたんだ。それで探してる。……昼間、君と出かけた時だと思うんだが、なにか覚えていないか?」
帰って来てすぐ、早退すると言って出ていったのは、落としものを捜すためだったのか。
最初からそう言ってくれれば、一緒に探しに来たのに、とエリシュカはやや膨れる。
「そもそも落としたものは何なのですか?」
ヴィクトルは半身を起こし、指で二センチくらいの大きさを示す。
「これくらいの大きさの魔石なんだ。色は灰色だが、一部銀色に光る」
灰色の魔石は魔力の抜けた状態の魔石だ。一部銀色になるということは、何らかの魔力が残ってはいるのだろうが、それほど価値は高くない。だが、彼にとっては大事なものなのだろう。店を出ていってからずっと探しているのだとすれば、もう二時間くらいは経っている。
「私も探します」
「は? いいよ。帰れよ。危ないぞ」
「通った道なら私だって覚えてますし、私の方が小さいから、低い場所に目が届きます!」
「……エリシュカ」
困ったように頭を掻いた瞬間、ヴィクトルの腹の虫が、ぐぐぅと大きく鳴った。
「……あははっ、ヴィクトルさん、夕食取ってないんでしょう。私いいもの持ってますよ」
エリシュカは、ヴィクトルを通りの端まで引っ張ってきて、リアンにあげるつもりだった串焼きを渡した。
「どうぞ!」
「……エリシュカの夜食だったんじゃないの?」
「リアンにお土産のつもりだったんですけど、どうせ夕飯は叔父様ととってくるでしょうし、まだ温かいうちにヴィクトルさんに食べてもらった方が、串焼きもうれしいです」
屈託なく笑えば、ヴィクトルはほとほと困ったというような表情だ。
「参ったなぁ……」
「食べていてください。私、捜してますね!」
「待って、エリシュカ」
ヴィクトルは強引にエリシュカを引っ張ると、隣に座らせる。
「一緒に食べて、それから一緒に探そう。君になにかあったら、リアンにもオーナーにも怒られるよ」
「はあ」
とりあえず食べてはくれるようなので、エリシュカはおとなしく待った。
「私はお腹いっぱいなんです。いま、リーディエさんとご飯を食べてきたところなんですよ」
「リーディエと?」
最初こそ遠慮していたヴィクトルだったが、お腹が空いていたのは本当だったようで、包みを開けた途端ごくりと喉を鳴らし、勢いよく食べだした。
「へぇ。珍しい。本当に仲良くなったんだ」
「リーディエさんは頼りになるお姉さんみたいで、私、大好きです」
「君は本当に平和だねぇ……」
指についたたれをぺろりと舐め、ヴィクトルは吹っ切ったようにほほ笑んだ。
それは、今までの一線を置いたものとは違う。エリシュカはホッとして彼をじっと見つめた。
「ごちそうさん。うまかったよ。でもね、エリシュカ。なんとも思っていない男にあまりこういうことをしない方がいい。君は女の子なんだし」
「もちろんです。でもヴィクトルさんは職場の同僚ですし、私にとっては兄みたいなものですから」
「兄ねぇ……」
串で歯の隙間をいじるような仕草は、ヴィクトルには珍しい。だが貧民街の出身だと言っていたし、昔はきっとあたり前のようにしていたのだろう。店でのヴィクトルの所作は、彼が訓練して身に付けたものなのだ。
「やっぱりエリシュカは変わっているよね。もうはっきり言っちゃうけどさ。暗くなってから男とふたりになるのって、襲ってくれって言っているようなものだし、なにを落としたのか聞いてきたけど、普通なら教えないんだよ。見つかったら盗られてしまうからさ」
「え?」
「それがこの街の普通なんだ。金目のものは見つけたもの勝ち。落とした奴が馬鹿なんだ。……エリシュカには思いもしなかったことだろう?」
呆然としているエリシュカに、ヴィクトルは目を伏せる。たしかに、治安のよくない街だとは思っていたが、予想以上だった。エリシュカの常識では、他人のものは他人のものだ。落とし物ならば、捜して持ち主に返すのが正しいことだと信じて疑っていなかった。
「正直、君は平民にはなり切れないと思う。良くも悪くも、お嬢様なんだよ。だから俺は、君に対する態度を決めかねているんだ。君はオーナーの姪だ。愛想よくしておくに越したことはない。だけど時々無性にイライラするんだ。君はあまりにも自由で、善人過ぎる。君といると、汚い自分が浮き彫りになって、嫌になるんだよ」
嫌という言葉はなかなかに強い力がある。エリシュカは少し委縮してしまった。
「……あー、ごめん。君が悪いわけじゃないんだ。ただ、辛い。俺たちは平民だから、そういうものだと思って割り切って生きてきたんだ。リーディエのときもそうだったけど、これまでは、ただ黙って我慢していればいいと割り切れていたものを、君はあっさりと越えようとしていくじゃないか。それで、イライラしていたんだよ。……俺が君に壁を作っていたの、気づいていたんだろ?」
エリシュカは黙って頷く。彼の心情が、そんなに複雑だったとは想像もしていなかったが。
自分の思うように動くことで、他の人すべてに、いい影響を与えるわけではないことを突き付けられた気分だ。
「でも、ここまでお人よしだと、なんかもうどうでもよくなってきたな。平民側の都合とか、貴族の立場とか、君、お構いなしだもんな」
「……その言い方だと、私が凄い自分勝手な人間みたいじゃないですか」
「勝手じゃん。結婚が嫌で逃げてきたんでしょ? そりゃ可哀想だなって思うけど、貴族ってそういうものじゃないの」
「うっ……」
たしかにそうだ。言い返せない。積もり積もった不満があったからこそ、家を出てきたわけだが、確かに貴族として生まれた以上、家のための結婚には同意するのが貴族の常識だ。
リーディエにも言われたが、エリシュカには覚悟が足りないと言われればそうなのだろう。
「……結局私、平民としても貴族としても中途半端なんですね」
「ようやくわかった?」
「はい」
しゅん、として言うと、ヴィクトルは突然噴き出した。
「はは。やっぱりエリシュカは変だ。素直すぎる。リアンが放っておけずにいるのも分かるような気がするよ」
「私、どうすればいいんでしょう。みんなに迷惑をかけてますか?」
自分の根底を否定されたような気持ちで、エリシュカがしょげ捲ると、ヴィクトルは苦笑して彼女の頭を撫でた。
「迷惑ではないよ。困惑はしてるけど。……でも、君のおかげでリーディエは救われたんじゃん? だから君は君のままでいいんだと思う。俺たちに、君を守る覚悟が足りなかっただけ」
「え?」
「君が君のままでいて欲しい人間は、この街で君が傷つかないように守ろうとするんじゃない? 少なくとも、リアンには最初からその覚悟があって、リーディエももうあるんじゃないかな。俺は、……まあ、自分に被害が及ばなきゃいいよって程度だけど。君のことは嫌いじゃないしね」
すごく遠回しな言い方で、エリシュカにはいまいち理解できない。
(でも、嫌われてはいない?)
じっと見つめていると、ヴィクトルは吹っ切れたようにほほ笑んだ。
「ごちそう様。うまい串焼きだった。得したな。──さ、悪いけどエリシュカ、魔石探しにつき合ってくれる?」
「は、はい!」
よくわからないけれど、魔石探しは一緒にやってもいいらしい。
エリシュカは、首が取れそうな勢いでぶんぶんと頷いた。




