ヴィクトルの魔石・2
いざヴィクトルと出かけるとなると、最近は少しばかり気が重い。リーディエの一件以降、ヴィクトルはどことなくエリシュカに冷たいのだ。
仕事は食堂の換気扇の設置だ。換気用に作られていた小さな窓を取り外し、そこに魔道具の換気扇をはめる。固定するために、レンガや木材なども持っていく。
エリシュカはヴィクトルの作業を手伝いながら、最後の仕上げである魔力調整を行うのだ。
「お使いになるかたの魔力を確認させてください」
店主とその妻が主な使用者だ。店主は火属性が強く、妻の方は特化した属性がない。
「火属性が強いときのみ、魔力変換がかかるようにしておきますね」
「魔力の調整なんて必要なんだねぇ。魔力属性がわかるなんて、凄いね」
魔力の属性診断は、貴族であれば初等学校で習うものだ。エリシュカはてっきり、平民の学校でも習うと思っていたのだが、そうではないらしい。
エリシュカが店主たちと話しているうちに、換気扇の設置が終わっていた。
換気扇は、動力自体はモーターを使う。その起動部分に魔道具が使われていて、風力を調節できるのだ。
まず、ヴィクトルが正常に動くことを確認したあと、エリシュカが使用者に合わせて魔力調整をするのだ。
「……エリクは細かいことが得意なんだな」
「はい?」
「俺も魔力調整はブレイク様から習ったけれど、苦手だな。微妙なさじ加減ができない」
「そうなんですか」
「やっぱり何か違うのかな。俺たちとは」
どこか距離を置くセリフに、背筋がひやりとする。
この間から感じているよそよそしさはやはり気のせいじゃない。ヴィクトルは人当たりも良く、いつも愛想がいいので分かりづらいが、最近の彼からは、拒絶の空気が感じられるのだ。
「ヴィクトルさん……」
「ん? なに?」
「……いいえ」
本気で笑っていなくても、笑顔で応対されたら疑いを口に出すことなどできない。
エリシュカは胸が苦しかったが、それを伝えることはできなかった。
店に戻ると、リーディエが迎えてくれた。
「あれ、リーディエひとり?」
「ええ。店長はブレイク様に呼び出されて。ひとりだと不安だったので、ふたりが帰って来てくれてよかったです」
胸を撫で下ろすリーディエに、エリシュカもホッとする。たしかに、女性ひとりのときになにかあったら大変だ。
ヴィクトルは荷物を下ろし、事務所に角材等を片付けに行った。
「……なんか元気ない?」
他に客もいなかったためか、リーディエがそっと尋ねてくれた。
「いえ、特には……ないんですけど」
「そう?」
感情を隠せない自分が嫌になる。前にブレイクが言ってくれた、『君は自分を大切にするのが上手だ』という言葉も、今はうまく切り替えられない。最初から嫌われているのなら平気なのに、表面だけ取り繕われることが、どうにも居心地が悪い。
「そういえば、店長から伝言。遅くなるから、ひとりで夕飯を食べろって」
「そうなんですか」
「ね、たまにはふたりで夕飯食べに行かない?」
「え?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
リーディエはふわりと笑うと、「仕事の後よ。外で食べたことなんてないんでしょ? たまにはいいじゃない。ちゃんと帰りは送ってあげるわよ」と言った。
「そんな、リーディエさんの帰りが遅くなります。大丈夫です」
「私は慣れてるもの」
「私も慣れなきゃですもん」
意気込んで言うと、リーディエが噴きだした。ふたりで笑い合っていると、奥からヴィクトルが走ってくる。
「悪い、リーディエ、エリク! 俺、早退するから」
「早退って、ヴィクトルさん?」
何やら慌てた様子で、走っていってしまう。
「なにかあったのかしら。まあいいわ。もうすこしで閉店だし。……あ、いらっしゃいませ」
そこにお客が入って来たので、話は途中になってしまった。
一時間ほどして、閉店作業を終えたリーディエとエリシュカは、ともに街へと繰り出した。
一応エリシュカはエリクの装いのままだ。エリシュカの方が背は低いが、年頃の男女には見えるだろうから、デートと思われるかもしれない。そう言ってみたら、「せいぜい姉弟よ」と笑われた。最近はリーディエがこうして屈託なく笑ってくれて、うれしい。
「リーディエさんは最初、私のこと嫌いでしたよね」
「嫌いっていうか。私、貴族全般が嫌いなのよ。ましてあなたなんて、叔父様を頼ってくるなんて甘ちゃん具合だもの。好きなほうがおかしいじゃない」
いっそスッキリするほどはっきりしている。裏表がないのは、リーディエのいいところだ。
「そうですよね。自分でもそう思います。……だから、ヴィクトルさんもそうなのかなぁ」
「ヴィクトルさんはあなたに愛想いいじゃない」
「なんか、距離置かれている感じがするんですよね。愛想笑いされているというか」
笑顔で線引きされているようだ。リーディエに向けるような屈託のない表情とは明らかに違う。
「まあ、それを求めるのも図々しい話ではあるんですけどね。私なんて、突然来た居候ですし」
でも、エリシュカはこの店が好きだ。みんなとも仲良くなりたい。家族みたいに。
思い出すのは、夢の中で見る〝ニホン〟だ。夢の中のエリシュカ──絵里香は家族の誰とも仲が良かったし、雑然と商品が並べられている百円ショップでも、店員みんな仲良しだった。ここがそんなお店であればいいというのは、エリシュカの勝手な郷愁なのだろうか。
「……ヴィクトルさんも、貴族は嫌いだと思うわ」
リーディエはため息をついたエリシュカを慰めるように言う。
「そうなんですか?」
「事情があってね。私から話すことではないから、言わないけれど。態度がどこかそっけなく感じるのなら、それはきっとあなたを貴族だと認識しているのかもね」
「そんなに、気になることですか? 貴族か貴族でないかということは」
もどかしい気持ちで聞けば、リーディエは苦笑した。
「きついことを言うようだけど。そういう差別的なことは、されているほうじゃないと分からないんだと思うわ。私たちが当たり前に我慢させられていること、エリシュカは知らないでしょう?」
何を問われているかもよくわからず、エリシュカは答えを返せない。
「例えば、エリシュカは私に、自分の気持ちを言っていいと言ってくれたけど、本来許されてないのよ。貴族に逆らうとか、その場で首を切られることだってあるんだから」
「……そんな」
「あなたがそういう貴族じゃないことは、私ももう分かった。だから今も、遠慮なく言わせてもらっているけど、本来の常識から考えれば全然違うわ。あなたもそこは認識しておいた方がいいわよ。どちらの生き方を選ぶにしても、不都合があると思うわ」
忠告めいたセリフに、思い出すのはキンスキー邸での暮らしだ。たしかに、ひとり異端だったエリシュカに、父も母も冷たかった。
「……もう遅いです。だから私、自分の屋敷では居場所がなかったんですもん」
「結婚を強要されて逃げてくるあたりも貴族令嬢とは言えないわよね」
リーディエが容赦なく攻めてくるが、本当のことなので嫌な気分にはならない。むしろ、ここまではっきり言ってもらえると、小気味が良かった。