前世の記憶と幼馴染・3
* * *
時は過ぎ、エリシュカは七歳になっていた。
「リアン、お仕事終わった?」
薪割りの手伝いをしていたリアンは、こめかみを伝う汗を左腕で拭きとり、顔を上げた。
青い目に期待をにじませたエリシュカが、陰から様子を窺うように見ている。
「もう少しです。どうしました、お嬢」
「あのね、これ見て」
エリシュカは背中に隠していた手を、そっと前に出した。小さな手のひらに、小さな赤い実がたくさんのっている。
「摘んできたの。一緒に食べよう」
「……旦那様に拾い食いはするなと言われてるんじゃないですか」
「拾ってないよ。摘んだんだもん!」
エリシュカの見た目は、楚々としたお嬢様だが、中身はかなりのお転婆だ。キンスキー伯爵家の広い敷地のどこにでも現れ、木に登っては侍女に悲鳴を上げさせている。ドレスを引っかけて破くのも日常茶飯事だ。侍女ももはや彼女を止めることは諦め、出来る限りドレスを汚さないようにと、白いエプロンをつけさせている。
母親であるキンスキー夫人は彼女に無関心だし、使用人が諫めるにも限度がある。そのため、エリシュカは奔放に育っているのである。
「だいたい、お嬢はまだ勉強の時間のはず……」
「お、終わったよ!」
エリシュカが焦ったように拳を握りしめる。すると手の中の実が潰れてしまったのか赤い汁がエプロンにとんだ。
白いエプロンについた赤いしみに、エリシュカはバツの悪そうな顔をした。
「リアン、汚しちゃった」
「手で握りつぶせば当たり前です。……いつもの場所で待っていてください。片付けてきます」
リアンは残っていた薪を割り、執事のところへ行き、「お嬢様の勉強時間が終わったので」と告げた。リアンに与えられた仕事の中で、優先順位が一番高いのは、エリシュカのお目付け役だ。執事は頷き、割った薪の片付けを別の従僕へと頼んだ。
リアンが向かうと、エリシュカは、池が見える庭の一角にしゃがみこみ、楽しそうに鼻唄を歌っていた。
大きなはっぱを二枚並べ、持っていた赤い実を、同じ数ずつのせていく。どうやら、葉を皿に見立てているようだ。
リアンが近づいたのに気づくと、エリシュカはぱっと破顔する。
「リアン、こっちがリアンの!」
きっちり同じ数の木の実を、皿に見立てた葉っぱにのせ、「どうぞ」と丁寧に差し出してくる。
彼女お気に入りの『おままごと』という遊びで、リアンは二年前から何度もこの遊びに付き合わされている。
普段与えられる立場のエリシュカが給仕の役をするのが、リアンにはとても不思議だった。
「リアンはお父さん役ね。私が、お母さん!」
「はいはい」
「手を合わせていただきますってするのよ?」
「こうですか?」
食事前の祈りは、手を組むのが通常だ。なのにエリシュカは、両てのひらをまっすぐに合わせる。これも彼女の言う〝ニホン〟の風習なのだそうだ。
「いただきます」
タイミングよくふたりの声が揃って、目と目が合ってほほ笑んだ。
ふたりで向かい合って食べた赤い実は、少しばかり酸っぱかった。
食べ終えると、エリシュカは期待に満ちた目でリアンを見つめる。
「……どうかしました?」
「リアン。こういうときは『君のご飯は世界一おいしい』って言うのよ?」
リアンは噴き出すのをこらえるのに必死だ。おしゃまなエリシュカがかわいらしい。
「えっと。……世界一おいしくて、幸せなご飯でした」
「はい! おそまつさまでした」
エリシュカは満足げに笑う。突拍子もないことを言うが、エリシュカは素直で愛らしい。リアンは胸の奥が温まって、落ち着かないような気持ちになる。
「くしゃん!」
エリシュカがくしゃみをした。よく見れば、鼻の頭が赤くなっている。
「お嬢、寒かったですか?」
リアンは上着を脱ぎ、エリシュカの肩に掛ける。さっきまで着ていたものだから温かいはずだ。エリシュカは一度ほほ笑んだ後、困ったように眉を下げた。
「あったかい……。でもリアンが寒いよ」
「俺は平気ですよ。あ、でも汚いですね、俺なんかの上着じゃ……。毛布もらってきましょうか」
「いい。それよりリアン、隣に来て」
「え?」
エリシュカは自分の隣の芝生をポンポンと叩く。そろそろと近づいたリアンの腕を引っ張り、並んで座るように言った。
そして、くっついた膝の上に上着を置いた。
「これならふたりともあったかいよ」
「お嬢……」
「へへっ、コタツみたいだね」
「コタツ?」
「あっ、これもニホンの言葉なの」
エリシュカは、一生懸命コタツについて説明する。
テーブルの天板の下に熱源があって、毛布を被せることで保温され、足もとがホカホカして温かくて幸せな気分になるということ。
「お嬢は冷え性ですもんね」
「コタツいいんだよぉ。あったかくてねぇ」
頬を赤く染めながら、うれしそうに語るエリシュカはかわいくて。
「……だったらいつか、俺が作ってあげますね」
リアンは深く思考する前にそう口にしていた。こんな風に笑ってくれるなら、何でも叶えてあげたいと思う。
エリシュカはうれしくて締まりの悪くなった口もとを隠すため、リアンの上着をギュッと握って引き上げた。
「そのときは、リアンも一緒に入ってね」
「はい」
十歳と七歳の小さな約束。しかも、果たされるとは思えない約束だったが、リアンはそれがうれしかった。絡めた小指も『指きりげんまん』という謎の文言も、ずっと覚えていようと心に刻んだ。