ヴィクトルの魔石・1
リーディエの事件にひと段落がついてから、ふた月が経つ。
「たまにフレディさんが覗いているのが気にはなりますけどね」
フレディは、たまに姿を見せるのだが、護衛に止められているのか、道路の反対側から覗くに留まっている。
エリシュカやリーディエがたまに気づいて会釈をすると、うれしそうにほほ笑むので、なんだかこちらが罪悪感を覚えてしまう。
「彼本人は、純粋に友達が欲しいだけなんだろうけどな」
「友達なんて、必死こいて作るものかね」
あきれたようにつぶやくリアンに、ヴィクトルが厳しい言葉を返すのを、エリシュカは苦笑しながら聞いた。エリシュカにはフレディの気持ちがわかるからだ。
貴族の子女は、学校に入るまでは案外自由がない。親同士、交流のある貴族の子女の年齢が近ければ友人ができることもあるが、そうでなければ基本、出会いがないのだ。
普段、周りにいるのはいくら仲が良くても召使。なかなか友人という立場にはなれないだろう。
(リアンとも、そうだったのかな)
エリシュカの胸がチクンと痛む。リアンもキンスキー伯爵家の使用人だったことがあるのだ。いまだに、はっきり思い出すことはできないけれど、思い出してしまったら、彼が遠くに行ってしまうような気もする。とはいえ、共有していたはずの思い出も失ったままなのも寂しい。エリシュカは内心複雑だ。
「……寂しいんだと思います」
エリシュカは、小さな声でフレディを擁護した。ヴィクトルは聞こえてはいたようだが、それについてはコメントしてこなかった。
そんなある日。意気揚々とフレディがやってきた。
「こんにちは!」
「フレディ様。……ここへの立ち入りは禁止されているのでは?」
リーディエとエリシュカが出迎えてそう言うと、フレディは大きく頷き、「でも、最後だから挨拶に来たんです」と続けた。
「最後?」
「僕、王都の学校に行けることになったんです。体調も良くなったし、運動もできるようになりましたし、勉強も追いついてきたので」
「そうなんですか」
エリシュカはホッと息を吐きだした。王都の学校なら人も多いし、多種多様な人間がいる。
バンクス男爵くらいの家格であれば、権力争いに巻き込まれることもない。大人しくしていれば平和に過ごせるだろう。
「良かったですね。体に気を付けて頑張ってください」
「ありがとう、エリク。僕、君と話すの、とても楽しかったよ。君みたいな友達ができるといいな」
「きっとできます」
フレディが手を差し出してきたので、エリシュカも握手で応える。
ただのエリシュカとして会えたら、彼とは友達になれたのかもしれない。
「お姉さんとも、もっと話したかったんだけど」
フレディはリーディエに向き直る。赤い瞳をきらめかせて、茶目っ気たっぷりに笑って見せる。
「ほら、この目、珍しいから。同じだって思ったらうれしかったんだ。それなりに苦労もあるでしょう? 僕、散歩しているだけなのにジロジロ見られるし」
「そうですね。でも、ジロジロ見る人は羨ましがっているか、珍しがっているんですよ。なにもおかしくなんてないのだから堂々としていれば大丈夫ですわ」
「そっかぁ。へへ、お姉さん、やっぱり格好いいね」
フレディはリーディエにも握手を求め、にっこり微笑む。
「月に一度は帰ってこいって言われてるんだ。過保護だよね、うちの親。もし許しが出たら、その時にまた会いに来るね」
許しは出ないだろうと思いつつ、エリシュカとリーディエは、護衛に引きずられるようにして帰って行く彼を見送った。
「……これで、本当に終わりですね」
「そうね。これでよかったのよね」
自由に動くフレディをここに近づけないために、彼らは、フレディを王都にやる選択をしたのだろう。
少し寂しい気もするが、きっとこれでよかったのだ。
エリシュカとリーディエがそう納得しあった二週間後、嵐はやってきた。
「頼む! 何でもいいから仕事を紹介してくれ」
両手を揃えて拝んでいるのは、モーズレイ氏である。
フレディがいなくなり、家庭教師という職を失った彼は、現在中古で買った屋敷の支払いに追われているのだ。
「最初の話じゃ、一年間は確実にって言ってたのに」
「事情が変わったんでしょう。仕方ないじゃないですか。まさかフレディ様の体術の教師だけしか仕事がなかったわけじゃないんでしょう?」
エリシュカが尋ねると、モーズレイ氏は大きな体で肩を落とした。
「それはそうだが、あの家の給料が一番、良かったんだ。代わりに体術教室を始めてみたが、全然人が集まらなくてな」
体術を専門に見て欲しいと願う貴族は多くはないだろうし、平民は、そもそも習い事をする余裕のない家がほとんどだ。
「どうでもいいけれど、営業妨害ですよ、モーズレイさん」
見かねたヴィクトルが口を挟んでくる。
「うちは魔道具店なのでね。体を使う仕事を探したいなら斡旋所に行った方がいいですって」
「もう行った! 今はないとあっさり追い返されたんだ」
「だからってウチで叫ばないでくださいよ」
だんだんヴィクトルの声もヒートアップしてくる。騒がしさを聞きつけたのか、リアンが奥から出てきた。
「なんだ、何事だ?」
「ああ、旦那! 助けてくれよぉ」
ごついモーズレイに抱き着かれそうになり、リアンはさっと身をよける。バランスを崩したモーズレイは、つんのめりそうになりながらも、転ばずにとどまった。さすが体術の教師をしてただけあって、体幹はしっかりしてそうだ。
「仕事を探してる?」
モーズレイの嘆きを聞いたリアンは、しばらく考えるような仕草をした。
「ここで雇っちゃもらえないかね」
「駄目に決まってるでしょう? モーズレイさん、魔道具の知識なんにもないじゃない」
はっきりと言い切るのはリーディエだ。
「これから覚えればいいじゃねぇかよぉ。なんだよ、俺だって……」
モーズレイはすっかりしょげてしまっている。
リーディエやヴィクトルが呆れた眼差しを向ける中、リアンだけは真顔である。
「……アンタは体が強いんだし、護衛仕事でも請け負えばどうだ?」
「護衛?」
「ずっと雇うのは無理だが、魔道具の材料採取のために、時々山に入らなければならないときがある。そんなときに護衛が欲しいのは事実だな」
「じゃあ」
「単発でよければ、雇うことはできる」
「やったー!」
モーズレイは両手を上げて喜んだ。大人だというのに無邪気なものだ。
「リアン、何か欲しいものがあるんですか?」
「……ああ。新しい魔道具を作りたくてな」
このふた月の間に、試作品だった携帯コンロは商品として認定された。屋台を営む商人や、遠征時に使うという傭兵に人気があって、売り上げは上々である。
次は何を作るんだろう。エリシュカはワクワクしてきた。リアンに作ってほしいものはいっぱいある。冷蔵庫に冷凍庫の機能をつけて欲しいし、クーラーも欲しい。
「じゃあ、採取場所が決まったら連絡する」
「了解! ありがとうよ、旦那!」
モーズレイは、来たときとは真逆のテンションで去っていく。
「今度は何を作るんですか? リアン」
ワクワクしながら見上げると、リアンは一瞬黙ってじっとエリシュカを見つめた後、ふっと目をそらした。
「……試作だ」
「ほえ?」
何の試作をするのかを聞きたいのに話が通じない。なおも言いつのろうとしたら、リアンはヴィクトルの方へと行ってしまった。
「……ヴィクトル、今日の納品予定だが」
「うん?」
「魔力調整はエリシュカにやらせたいから、ふたりで行ってきてくれないか?」
「はいはい。了解ー」
突然のお出かけ予定に、エリシュカが慌てる。
「え、どこに行くんですか?」
「食堂【柿の木】、換気扇の設置作業があるんだよ」
そんなわけで、午後からはヴィクトルと外出となる。




