魔道具の暴走・5
翌日。
「エリシュカはちょっと無責任じゃない?」
不満げに言うのはヴィクトルだ。
リーディエが食事当番として奥に下がり、ふたりきりになったタイミングでの発言である。
「リーディエさんのことですか?」
「男爵に会ったら、きっとリーディエは傷つくよ」
「そうでしょうか」
「エリシュカは、男爵がリーディエを受け入れると思っている?」
ブレイクの話を聞いた感じでは、男爵は優柔不断な弱い人だという印象を受けた。
だけど、会いたいと言った娘を邪険にするような人でもないように思える。
「ヴィクトルさんは、思わないんですか?」
頷いてから質問を返すと、ヴィクトルは深いため息をついた。
「その場だけは取り繕うんだろうなと思うけど。でもリーディエが反感を買う場合だってある。リーディエが子供としての権利を主張して来たら、困るのは男爵だ。彼女を脅威に感じて排除しようとしたら? 宙ぶらりんの今よりもずっとつらいんじゃないのかな」
彼の想像は、だいぶ悪意がある。反論しようとすると、「人間はいい面ばかりじゃない」と断じられた。
「仮に受け入れられたとしても、リーディエだって優しくされれば期待するでしょう。次を望んだら、今度はリーディエのお母さんが訴えられるかもしれない。約束を破ったことになるんだからさ」
「それは……」
「ほら、そこまで考えてないんだろ? 人のことだからって、簡単に会おうなんて言うもんじゃないよ」
不愉快そうにそっぽを向く姿は、いつもの朗らかなヴィクトルからは考えられない。
彼は、完全に怒っているのだ。
「……ヴィクトルさんが心配しているのは分かりました。でも、私は気持ちを殺しちゃいけないって思ったんです」
怒られていると思うと、心が委縮する。それでも、伝えるべきことは伝えなければいけない。エリシュカは、ひと呼吸おいて話し出す。
「周りの気持ちを慮るのは大事です。でも、そんな遠慮で自分の気持ちを押し殺していたら、リーディエさん自身が、自分の気持ちをないがしろにするようになってしまいます」
「だからって……っ」
「なにをケンカしているの!」
奥からリーディエが戻ってくる。ヴィクトルとエリシュカは互いに黙り込み、そっぽを向いた。リーディエがあきれたように腰に手をあてる。
「聞こえましたよ」
リーディエはヴィクトルの前に立ち、ぽつりと言う。気まずそうにヴィクトルは目をそらした。
「傷つくかもしれないけれど、私は大丈夫ですよ。ヴィクトルさんもエリシュカも慰めてくれるんでしょう?」
ほほ笑むリーディエに、エリシュカとヴィクトルは驚いて目を瞠る。
「私には心配してくれる人がいるって気づいたんです。だから大丈夫」
「リーディエ」
ヴィクトルは言葉を捜すように口をぱくぱくと動かしたが、それ以上形を結ばずに黙ってしまった。
ブレイクが子ネズミで伝えてきた、面会の日付は一週間後だ。
場所は、閉店後の店内。
その日は、誰もが気もそぞろだった。
あれ以来、フレディは来ていない。家で療養しているようだとブレイクが教えてくれた。
「店を閉めるぞ」
リアンがガラス戸にブラインドを落とし、エリシュカが商品に布をかける。ヴィクトルは、リーディエと帳簿と現金に相違がないかを確認していた。
しばらくすると、ブレイクの馬車が止まる。
リーディエは緊張していた。ドッドッと心臓の動きが早くなり、口の中に唾が溜まってくる。
「みんな揃ってる? 悪いけど、リーディエ以外は奥に行っていてくれるかな」
最初に入ってきたのはブレイクだ。リアンは頷いて、「行くぞ」とエリシュカとヴィクトルを引っ張っていく。扉を閉めた後、ヴィクトルはリアンの手を振り払い、扉に張り付いた。気になるのはエリシュカも同じだ。こそこそと近寄り、聞き耳を立てた。
ただ、リーディエが傷つきませんようにと願い続ける。
* * *
リーディエは、初めて父の顔を見た。
バンクス男爵は、フレディと同じ茶色の髪と、赤の瞳を持っていた。この人だ、とリーディエの中の本能が告げる。
「あの、私のお父さん……なんですか?」
バンクス男爵の瞳がゆがむ。その反応に驚いて、リーディエはなにも言えなくなった。
「君が……リーディエかい?」
そう言った後、彼は頭を下げたのだ。
「悪かった。君には何もしてやれず、辛い思いをさせた。でもどうか、フレディに君が妹だとは言わないで欲しい。あの子に、なにも告げないでくれ」
リーディエは彼のつむじを見つめた。
頭を下げられたのは意外だった。貴族が平民に対して謝罪することなどないと思っていたから。
だけど、同時にもの悲しさが湧き上がった。
あくまでも、この人にとって、家族はフレディとその母なのだ。彼らを守ることが最優先で、それ以外はきっと、頭にない。
『育ててもいないのだから、僕は親とは言えないと思うけどね』
頭の中に、ブレイクの言葉が浮かんだ。
『男爵に会ったら、リーディエはきっと傷つくよ』と言った、ヴィクトルの言葉も。
それが胸を温める。言葉を紡ぐ勇気をくれる。
『それでも私は、気持ちを殺しちゃいけないって思ったんです』
(そうね、エリシュカ)
リーディエはほほ笑み、頭を下げた。
「もちろん、フレディ様には何も明かしません。母にも、奥方様にも。私はただ、……会ってみたかっただけなんです。〝父親〟というものに」
「……リーディエ」
「握手……していただいてもいいですか」
微笑んで、手を差し出す。男爵はハッと気づいたように手を伸ばし、彼女の手を握って、――そして引き寄せた。
男爵からはコロンのにおいがする。そんなことを、リーディエは彼の腕の中で思う。
「すまなかった、リーディエ。ありがとう。会いたいと言ってくれて、ありがとう」
男爵の声が、体が、小さく震えていた。自分への感情も少しは持ってはいてくれたのだと、苦笑する。
弱く、優しい人なのだろうと、リーディエは思った。肝っ玉の強い母親が、助けたいと願うほどには。ただ、それだけだ。リーディエの想像の中の父親は、やはり想像の中のものでしかない。それよりも、見守ってくれているブレイクや、こっそり聞き耳を立てているヴィクトルやエリシュカのなんと心強いことか。
「……会ってくれてありがとうございました」
うっすらと涙が浮かぶ。男爵はギュッとリーディエを抱きしめた後、手を離した。
「お母さんによく似ている。強くて優しい女性だ」
「ありがとうございます」
それも、別に言われて嬉しい言葉ではなかったが、リーディエはお礼を言っておいた。
「じゃあ、男爵を送ってくるよ」
ブレイクは男爵と共に店を出る。入口で見送ったリーディエは、妙にすっきりした気分だった。
〝父親〟という存在に夢を見ていた。今日会ったことは、もしかしたらいい思い出にはならないかもしれない。けれど、リーディエが今後心置きなく前を向くためには、必要な時間だったと思う。
「リーディエさん……」
心配そうなエリシュカと、困った顔のヴィクトルが、半開きの扉から顔を出す。その奥には、無表情ないつものリアンが立っている。
「みんな、なんて顔しているのよ! ありがとう。スッキリしたわ」
「本当ですか?」
エリシュカがあからさまにホッとして抱き着いてきて、ヴィクトルは「頼りない男だったじゃん」と揶揄してくる。リアンはそれを、遠巻きに眺めて微笑んでいた。
(みんなが私の家族なんだわ)
一緒にいる時間が、家族を作っていくのだ。
「ありがとう、エリシュカ」
それがわかったのは、この子のおかげだ。




