魔道具の暴走・4
「……知らない人間には、魔道具はただの便利な道具に過ぎない。だが本当は危険もある。それを知ったうえで魔道具に頼らなければいけない人間もいる。……リーディエ、君の母上が僕のところで君を働かせたのは、きっと魔道具に対して知識を持ってほしかったからじゃないかな」
ブレイクの言葉にリーディエは顔を上げる。
「君の母上は、いつか君に事情を説明するつもりだったのだろうと思う。そのときに、君が正しく彼らの不幸を理解してくれるようにと願って、この仕事を紹介したのではないかな」
そうかもしれない、とリーディエは思う。多くを語るタイプではないが、リーディエの母は思慮深い。リーディエが理解できる年になるまで、根気強く待ちながらも、そのための下地を作らせようとしたのかもしれない。
けれど、釈然としない思いもある。
「理解……しなきゃいけないんでしょうか」
そんな事情を聞いてしまってから、彼らを責めることなどできない。
最も悪いのはバンクス男爵だ。どれほど心が疲弊しようと、妻がいるならばほかの女に手を出すべきではないのだ。
けれど、妻が精神を病み支え続けていく中で、誰かに甘えたいと願う気持ちは、理解できる。
そんな体に生まれてきてしまったフレディのことはもちろん、苦しみながらも、リーディエ親子を支援すると言ったフレディの母親も、悪い人じゃないというのは痛いほど伝わってくる。
「誰も責められないのはわかってます。でも……」
だが、それとリーディエが感じてきた寂しさは別物だ。真実がどうであれ、寂しかった子供の頃のリーディエが居なくなるわけではない。
誰も責めなくてもいい。誰も悪くないかもしれない。だけど、だったらこの寂しさをどう処理すればいい。
リーディエの中で、大人と子供の感情がせめぎ合う。大人としては理解してあげるべきだと分かっているけれど、抑え込んでいるだけでは、泣き続ける子供のリーディエが消えない。
「わた、私は、……いらない子じゃないって言われたかっただけよ。父がいるなら、一度でいいから抱きしめて欲しかっただけ……」
ついに吐き出してしまったリーディエの赤い瞳から、ポロポロと涙が零れ落ちた。
「リーディエさん」
エリシュカは胸がいっぱいになっていた。
愛されたい。必要とされたい。大事に思ってほしい。その感情は、エリシュカがキンスキー伯爵邸で抱き続けたものと同じだ。
思わず、エリシュカはリーディエに抱きついていた。
「なっ。なによ」
「リーディエさん、男爵に会いに行きましょう!」
エリシュカの発言に、リーディエは目が点になった。
感情を吐露してはみたものの、それが受け入れられるとはリーディエ自身、思っていなかったのだ。
「でも、エリシュカ。あなただって今までの話、聞いてたでしょう?」
「だって、どうしてリーディエさんだけが我慢しなきゃならないんですか!」
ブレイクもリアンもヴィクトルも、困ったものを見るような目でエリシュカを見る。リーディエだけは、瞳を困惑で揺らしている。
「リーディエさんは当事者です。なのにどうして、リーディエさんの気持ちは置いてきぼりなんですか」
「エリシュカ」
ブレイクの手は、彼女に触れようとして止まる。『それは子供だから』と言いそうになったが、彼女たちは自分で判断ができないほど子供ではない。
「リーディエが納得できないのはわかる。けれど、大人にも事情があるんだ。母上の気持ちを慮ってあげてくれないか?」
リーディエは気まずそうに黙った。けれど、おとなしくならなかったのはエリシュカだ。
「リーディエさんの目的が、男爵家をめちゃくちゃにすることなら私だって止めます。でもそうじゃないでしょう? お父さんに会いたいだけです。リーディエさんが、自分を保つために、どうしても必要なことなんですよ!」
エリシュカにも不安はある。こうまでして、もし男爵がリーディエを認めてくれなかったら。リーディエは辛いだけだし、みんなに迷惑をかけるだろう。
それでも、ここで自分を曲げれば、リーディエは一生辛くなる。
それは直感だった。エリシュカが小さい頃に得た自己肯定感。あれはきっと、リアンからもたらされたものだ。それがあれば、迷っても前を向ける。けれど、ここで折れてしまったら、リーディエは自分を支える自己肯定感を得られないままになってしまう。
「リーディエさん、行きませんか?」
「……私……」
リーディエは戸惑っているようだった。ヴィクトルは渋い顔をし、リアンはただ静かに動向を見守っている。
リーディエはふたりにすがるようなまなざしを向けた後、エリシュカを見た。そして、決意したというように、エリシュカの手を取る。
「行きたい。……会いたいわ」
「リーディエ!」
ため息をつくのはヴィクトルだ。彼はおそらく、この申し出には反対なのだろう。
「待ちなさい、エリシュカ」
止めに入ったのはブレイクだ。
「叔父様、お願い」
「分かってる。止めはしない。ただ、場を選ぶのは僕に任せて欲しい。……夫人を傷つけるのは本意ではないのだろう? 内密に会えるように、僕の方で手配しよう」
エリシュカの顔が晴れる。
「ありがとう、叔父様」
「ブレイク様」
リーディエは申し訳なさそうな顔で彼を見上げた。
「気にしないで、リーディエ。姪っ子のわがままに、責任を持つのは僕の仕事だ」
「……そう言ってくれる叔父様がいることが羨ましいです」
「そうだね。……そうだよね」
ブレイクは苦笑し、リーディエの頭もクシャリと撫でた。
「リーディエ。君も僕にとって大事な従業員だよ。家族みたいに思っている。本当だ。エリシュカのお願いじゃなかったとしても、僕は君のために同じことをしたと思う」
その言葉に、リーディエはふいに胸が熱くなる。
(ああ、そうか)
欲しかったのは、きっとこんな愛情だ。
道を間違ったとしても、応援してくれる誰か。間違っていると諭してくれる誰か。そして、最後まで見捨てないと言ってくれる誰か。
(もう、持ってたんだ。私)
リーディエは込み上げてくる涙を、拭いもせずにただ流した。欲しかったものは、実はこの手にあった。それに気づかせてくれたのは、エリシュカだ。




