リーディエの一本道・6
モヤモヤした気持ちが消えないエリシュカは、寝る前になって、リアンの部屋兼作業場の扉をノックした。
「リアン、起きてますか?」
ノックの後、しばらくして扉が開かれたとき、リアンはとても不機嫌そうな顔をしていた。
「……夜にふらふらするなって、いつも言ってるだろ?」
「でも」
なんと言ったらいいのか分からずうつむけば、ため息とともに頭の上に大きな手のひらが落ちてくる。
「なんか飲むか?」
「……はいっ! 私、お茶を入れてきます」
「いい。俺が行くから、お前はもう一枚なにか羽織ってこい」
そう言うと、すぐにリアンは階段を下りて行ってしまう。
「……寒くはないんですけども」
リアンは心配性すぎじゃないかとエリシュカは思う。だが、こうなったリアンは割と頑固で、その通りにするまでこっちを向いてくれない。仕方なく自分の部屋に戻り、カーディガンを羽織ってきた。
リアンが持ってきてくれたのはホットミルクだった。少し砂糖が入っていて、優しい甘さに体がほんのり温まる。
「で、なにが気になっているんだ? リーディエのことか?」
「はい。……私が気にすることじゃないのかもしれないですけど」
「そうだな」
話す前に断言され、エリシュカは一瞬黙り込んだ。だがやっぱりスッキリしない。このモヤモヤした気持ちを消化するのは、ひとりでは難しい。
「リーディエさん、本当はお父様に会いたいんじゃないでしょうか」
リアンは彼女の言葉を真顔で受け止め、「だから?」という。
「あのな、エリシュカ。リーディエ自身に選択肢はないんだ。父親と会わせないってことは、あいつの親が決めたことだろ? 養育費を出していたというのなら、男爵家はリーディエの母親にできるだけのことはしている。これ以上は他人が口を出す話ではないよ」
ミルクの表面を、エリシュカのため息が滑っていく。
リアンの言うことはもっともだ。だけど、悲しい。どうして決定権を持つのが貴族だけなのか。当事者であるリーディエの気持ちは考えてもらえないのか。
「貴族と平民って……そんなに相いれないものでしょうか」
語り合うことさえ許されないのかと思えば、悲しい。分かり合おうと努力することさえ無駄だと言われたような気がしてしまうのだ。
「私が、リーディエさんの立場なら、たぶんフレディさんに嫉妬してしまうと思うんです。だって、子供であることには変わりないのに、リーディエさんは会うことさえできなかったんですよ? あんなに愛されてるフレディさんが羨ましくてたまらないと思います。私だって、気にしないようにしてたけど、本当は弟たちに嫉妬してました。同じ子供なのに、ふたりは両親に愛されていて、私は疎まれていたんですから」
リアンが近づいてきて隣に座る。そして、おさげにしていたエリシュカの髪を、優しく触った。
「……昔のエリシュカは、泣いてたな。大きな声で」
「それ、いつの話ですか?」
「五歳くらいだったかな」
言われてみると、かすかな記憶がよみがえってくる。具体的なことは思い出せないけれど、ただ弟たちが羨ましいと強く思って、泣いた記憶がある。
大声で泣いたとき、助けてくれた人がいたはずだ。自分は好きだと。大切だと言って、壊れてしまいそうなエリシュカの心を助けてくれた人が。
「……もしかしてリアンは、そのとき私を抱きしめてくれましたか?」
見る見るうちに、リアンの頬が赤く染まる。それを見て、エリシュカもつられて恥ずかしくなってきて、うつむいた。
リアンはゴホンと咳ばらいをすると、エリシュカのつむじのあたりに「思い出したのか?」と声を落とす。
ぼんやりと、温かさを思い出す。悲しくてつぶれそうな気持ちが、一瞬で温められた。ひとりでも、好きだと言ってくれたことで、生きていてもいいんだと思えた。
「おぼろげな感じですけど、思い出しました。すごく悲しかったことと、凄く救われた気持ちになって、胸が温かかったこと」
誰かが好きだと言ってくれることで、存在価値が生まれる。自分がこれまで腐らず前を向いていられたのは、もしかしたらリアンのおかげだったのかもしれない。
「記憶を失ってからもめげずにいられたのは、その温かさを覚えていたからかもしれません」
「……そうか」
今もそうだ。意見が違うと分かっていても、リアンは根気強く話は聞いてくれる。
幼少期に、そんなリアンが側にいてくれたからこそ、エリシュカは自分らしさを失わずにいられたのかもしれない。
「だったら、私はリーディエさんを好きって言い続けます」
「なんだ、いきなり」
「家族じゃなくても、好きだと言ってくれる人がいれば、救われることもありますもの」
「そうか」
「少なくとも、私はそうでした」
なぜか、リアンが黙りこくった。顔を上げれば、彼はそっぽを向いていて、耳のあたりが微かに赤い。
(もしかして、照れてる?)
つられるようにドキドキしながらリアンを見つめると、彼はエリシュカの頭をポンと叩いた。
「変わらないな、お嬢は」
「そうですか?」
「ああ」
どことなく優しいまなざしに、エリシュカは急に落ち着かなくなってきた。




