新しい生活と魔道具作り・2
ひとしきり泣いて落ち着いたエリシュカは、すっかり気分が晴れていた。
やがてヴィクトル戻ってきて、エリシュカにかつらと着替え三日分を渡す。それを見届けたブレイクは立ち上がり、「着替えてからおいで。仕事の説明をしよう」と言って、ヴィクトルと共に一階へと下りて行った。
エリシュカは棚にあった手鏡を壁に立てかけ、三つ編みをクルクルと丸め、ピンでとめ、かつらをかぶった。
白いシャツにサスペンダー付きの薄茶のパンツと同色のジャケット。
あっという間に、身なりのいい少年という風情になる。
「わあ、髪色が違うだけで印象変わるなぁ。うん。結構似合うんじゃない?」
気分が上がったエリシュカは、軽快に階段を下り、みんなの前にその姿を見せる。
「どうです? ちゃんと男の子に見えますか?」
「お、いいね。似合うじゃん。服もぴったりだね」
「僕のエリシュカはどんな格好していてもかわいいよ~」
すぐに同意してくれるのはヴィクトルとブレイクだ。リーディエはそのふたりをあきれたように見つつも、「男の子には見えるわ。少年って感じね」と冷静な意見をくれる。
「リアンさんはどう思います?」
両手を広げて見せると、リアンは大きくため息をつき、エリシュカを奥にぐいぐい引っ張っていく。
「な、な、な」
「なに喜んでるんだよ」
呆れた声を出し、リアンはエリシュカの頭に乗ったかつらをひょいと持ち上げる。ピンが引っかかって取れてしまい、銀髪の三つ編みが、片方だけ房のまま肩に落ちる。
「どんなにお転婆でもお嬢は女だからな。忘れるなよ」
リアンは銀髪のおさげを指で掴み、唇を噛みしめた。なぜ彼が辛そうなのか、エリシュカにはわからない。
「……ったく、なんでこんなことに」
「リアンさん?」
「とにかく、男装はあくまで周囲の目を誤魔化すためのものだ。女だってこと、忘れずに生活しないとダメなんだぞ」
再びかつらをエリシュカの頭に戻し、リアンは背中を向ける。
今のは果たして怒られたのか、諭されたのか。リアンのことがよくわからない。ただ、彼は冷やかしとかではなく、本当に自分のことを心配はしてくれているのだろうとは思う。それがエリシュカにはうれしい。
(お母さんとかおばあちゃんみたい)
エリシュカが思い出したのは、夢の世界での母親と祖母だ。残念ながら実の母は、エリシュカのことをあまり心配してはくれなかった。
「ねぇ、リアンさん。私はどんな仕事をすればいいですか」
「ああ。……それより、その呼び名を何とかしてほしい。落ち着かないんだよ。お嬢は俺を、呼び捨てにしてたから」
「それを言ったら、私だってもうお嬢様じゃないんですから、お嬢って呼ばないでください。エリシュカか、人前ではエリクって呼んでくださいよ。それに、店長さんを呼び捨てになんてできません!」
「それでも呼べ。でなければお前のことも呼ばない」
なぜかリアンのほうが今回は引かない。エリシュカは困り切って上目遣いで見つめる。
「店長」
「オーナーの姪にその呼ばれ方はされたくない」
「ううう。じゃあ、リアン……さん」
呼びかけて、やっぱり気が引けてさん付けすると、リアンの眉間が深くなった。
「えーん。リアン! これでいいですか?」
「よし。じゃあこれから頼むな、エリク」
そのほほ笑みに懐かしさに似たものを感じて、胸がドキリと高鳴る。落ち着かせようと胸を押さえていると、リーディエに睨まれ、別の意味で心臓がバクバクした。
しばらくすると、ブレイクは「後は頼むね」と言うと、屋敷へと戻っていった。
「叔父様は普段、お店にはいらっしゃらないんですか?」
リアンに尋ねると、彼は困ったように目を泳がせた。
「オーナーは、事情があって定期的に様子を見に来るだけだな。だがあの人の元には情報がちゃんと届くようになっているし、必要な指示は出してくれるから大丈夫だ。……エリシュカにもいずれ、話すときがくると思うんだが」
「……?」
何やら含んだ言い方に気になるところはあったが、エリシュカはそれ以上の追及はしなかった。
新しい生活が始まる。
翌日すぐに大工が来て、二日かけて改装を終わらせる。その間、「男女が二人きりなんて駄目よー」と叫ぶリーディエがエリシュカと共に事務所で寝泊まりするというハプニングがありつつも、エリシュカは順調にこの生活に慣れつつあった。
「おはよう」
「おはようございます! リアン」
起床は六時半。男装するエリシュカは身支度に時間がかかるため、朝食はリアンが作る。
身支度を終えると、揃って朝食だ。
「ごちそうさん。俺は店を見てくる」
「はい! 片付けはおまかせあれ! です!」
片付けはエリシュカの担当だ。夜は逆になる。そのほか、掃除や洗濯はそれぞれ行う。伯爵家での洗濯は一枚一枚手洗いだったが、ここにはブレイクが開発したという魔道具の簡易洗濯機があるので、簡単だ。とはいえ、脱水機能がないなどエリシュカの目から見れば改善点も多いので、おいおいリアンに伝えて、機能を拡張してもらうつもりだ。
お店では主にリーディエが接客を担当し、購入が決まったお客への説明係がヴィクトル。使いやすく改良したいとの要望や修理に対応するのがリアンだ。エリシュカは、ヴィクトルの補佐として、お客へのお茶出しを担当していた。
「新しい子が入ったのか」
「はい、エリクといいます。よろしくお願いします」
ミキサーを買った恰幅のいい紳士とそのご婦人にお茶を出していると、声をかけられた。どうやら常連さんのようだ。
「この店ができてから本当に便利になったわぁ。以前の魔道具より格段に魔力も少なくて済むし」
「そうなのですか?」
「ええ。ランプなんて昔からある魔道具だけど、こちらのものは全然魔力使用量が違うのよ」
「ああ、とても助かっている。ブレイクにもよろしく伝えておいてくれ」
従僕に荷物を持たせて、ご夫婦が帰って行くと、茶器を片付けているエリシュカを見ながら、ヴィクトルがぼんやりとつぶやく。
「エリクは、所作が上品だよね」
「そうですか?」
「生まれって自然に出るんだなーと思うよ。こういうとき」
聞けば、ヴィクトルはこの街の中でも貧民が多いエリアの出身らしい。魔道具は高価なので、平民向けとはいえ、来る人は富裕層が多い。それに見合う接客を覚えるまでに、相当苦労したのだそうだ。
そもそもエリシュカは自分の所作など気にしたこともなかったが、彼を見て違和感を覚えたことはない。
「だとしたら、ヴィクトルさんは努力家なんですね」
「そうでもない。俺みたいな階層の出身者が、この店みたいな人気店で働けるのって、ついてるんだよ。解雇されたくなきゃ誰だって必死に覚えるでしょ」
こんなとき、エリシュカは自分の甘さを突き付けられたような気持ちになる。自分程度の境遇で不幸を語るなんておこがましい気さえした。
「わた……いや、僕も、頑張ります!」
「ははっ。エリクは素直だねぇ。いいとこの子って感じだ」
ヴィクトルに嫌味を言うつもりはないのだろうが、生まれに関してはエリシュカにどうこうできることではないので、困ってしまう。少しだけ、ヴィクトルとの間に距離を感じてしまった。




