前世の記憶と幼馴染・1
伯爵令嬢エリシュカ・キンスキーには前世の記憶があった。
前世のエリシュカは、絵梨花という名前の日本の女子大生だ。両親と祖母と弟と、田舎の広い家で暮らし、車で県庁所在地にある大学まで通っていた。
そしてとある日の帰り道、飲酒運転の車が絵梨花の車に突っ込んできて、車は激しく損傷し、彼女は亡くなった。
幼いエリシュカにとって、自分が生きた年数より長い前世の記憶はあまりにも膨大だ。そのせいなのかは分からないが、記憶は所々抜けていて、家族の顔をはっきりとは思い出せない。仲の良い家族だったということだけを覚えている。
反対に鮮明なのは、バイト先だった百円ショップの品物や、電化製品など、物に関する記憶だ。今生きている世界にはない、電話や冷蔵庫といった便利な機械。ちょっとしたアイデアで暮らしを楽にする、雑貨たち。
エリシュカはこれらがあったら、暮らしが楽になるのにと思って、家族にも何度も話した。
けれど、世話係のサビナも、彼女から報告を受けた両親も、エリシュカの言っていることに眉を寄せるだけだった。
彼女が五歳になる頃には、彼らはエリシュカを、空想家の子供なのだと思い、煙たがるようになっていた。
「タッパーがあると、便利なのにね、お母様」
ピクニックのバスケットを見ながらエリシュカが言うと、母は不愉快そうに眉根を寄せる。
「またお得意の不思議な言葉ね? ねぇエリシュカ。タッパーって何? この世界にはない言葉を使わないでちょうだい」
「日本にあったの!」
「またニホン? エリシュカ、いい加減にして。お母様は忙しいの。空想の国で遊ぶのはおやめなさい」
何度本当だと言っても、両親は信じてくれなかった。去年初めて会った叔父のブレイクだけは、エリシュカの話をおもしろがって聞いてくれたが、叔父はあれ以来顔を見せてはくれない。
毎日毎日、否定ばかりされているので、エリシュカは癇癪をおこすようになっていた。
「違うの、アリツェ。これじゃないの」
エリシュカは、眉を八の字にして、快晴の空のような青い瞳を潤ませながらそう言った。美しいストレートの銀色の髪が、彼女の動きに合わせて小さく揺れる。
「まあまあ、お嬢様。なにが違うのですか? お芋を揚げたもの、でしょう? お芋フリッターのことですよね」
「この、……ころも? いらないの。あともっと薄く」
「お嬢様、揚げ物は衣をつけるものなのですよ。わがままを言わないでくださいませ」
困っているのはこっちだと、エリシュカは思う。欲しいのはポテトチップスなのだ。お芋を薄く切って揚げて欲しいと、簡潔に分かりやすく頼んだはずなのだ。
なのに出来上がったのは、衣をつけて揚げたフリッターだ。違うと言っても、厨房メイドのアリツェは困るばかり。エリシュカも困ってしまう。
半泣きになっていると、うしろから声をかけられた。
「お嬢、これもおいしいですよ。あっちで食べましょう。その間に、俺にお嬢が欲しかったものを教えてください」
振り向くと、アリツェの息子、リアンが手招きしている。
リアンはエリシュカより三歳年上の八歳だ。母親とよく似た、栗色の髪とこげ茶の瞳を持っている。
「それがいいわ。お嬢様、食べてみてください。これだってほっぺたが落ちるほどおいしいんですから」
エリシュカはまだ納得がいかなかったが、アリツェに追い立てられてしまったので、渋々と頷いてリアンについて行った。
やがてふたりは庭にある池のほとりにつく。キンスキー伯爵家の庭園は広く、花壇だけではなく雑木林やハーブ園や池もある。ちょっとした公園のようなのだ。
「お嬢が欲しかったのはどんなものなんです?」
エリシュカの座る場所に大判のハンカチを敷き、リアンは彼女をそこに座らせた。そして彼女の膝にフリッターの皿をのせる。エリシュカはフォークを使って上品に口に運んだ。
「こういうんじゃないの。もっと薄くて、パリッとしていて、しょっぱくて、手づかみで食べるのよ」
「薄くってどうやって切るんです? 包丁で?」
「うーん、スライサーとか」
「スライサー?」
オウム返しされ、エリシュカはしばし考える。リアンに分かるように説明するのが難しい。
「薄くて長い刃が、ついているの。このくらいの、板みたいな形で、お芋を動かすと薄く切れるの」
「そんなもの、厨房で見たことが無いですけどね」
「それはそうよ。だってニホンのものだもの」
言ってから、エリシュカは口を押さえる。幼いころから言い続けたせいで、家族も使用人も、エリシュカの言う架空の国の名をと聞くだけで、嫌な顔をするのだ。
しかし、リアンは違った。
「ああ、お嬢がよく話している国ですね。不思議な道具がたくさんあるんですね」
ニホンのことを肯定的に捉えてくれたのは、叔父に続き、リアンがふたり目だ。エリシュカはうれしくなる。
「そうよ。とっても便利なものがいっぱいあるの」
「じゃあ、お嬢の欲しいお芋を作るには、まずそのスライサーがいるんですね」
「うん!」
「きっとみんな、どんなものかわからないんですよ。俺、今度絵に書いてあげます。というわけで! 今日は諦めてこれを食べましょう!」
リアンにそう言われ、エリシュカはフリッターを口にする。先ほどは癇癪を起してしまったが、これはこれでおいしい。
落ち着いてくれば、先ほどまでの自分の行動が恥ずかしく思えてくる。せっかく作ってくれたのに、アリツェにもひどいことを言ってしまった。
「……おいしい。アリツェにありがとうしなきゃ」
ポソリと言うと、リアンがほほ笑んでエリシュカの頭をなでた。
「母さんは、お嬢が喜んでくれればうれしいはずです」
「食べたら、お礼、言う」
もしゃもしゃと食らいつくと、リアンの視線を感じた。優しいまなざしだ。エリシュカは恥ずかしくなってきて、フリッターを差したフォークをリアンの口の中に突っ込む。
「もが……。お嬢、これはお嬢の」
「いいの。リアンも食べよう」
「お嬢のおやつをとったら怒られますよ」
「じゃあ命令。一緒に食べて。おいしいものは誰かと食べるからよりおいしくなるのよ?」
リアンは少し驚いたような顔をしたが、やがて諦めたように笑った。
「たまにお嬢は大人びてますね」
「変?」
「いいえ。おもしろいです」
褒められているようには思えなかったが、リアンが笑っていたのでエリシュカはそれ以上追及しなかった。
数日後、リアンはエリシュカが言ったスライサーの絵を描いて、エリシュカに見せた。
エリシュカは驚いた。こんなの初めてだ。みんな信じてくれなかったのに。信じてくれた人も、話を聞くだけだったのに。リアンはちゃんと絵にしてくれたのだ。
「すごい、リアン。ここは、もっと薄いの。刃があたって、下から切れたものが落ちるように穴が開いていてね」
「こうですか?」
エリシュカの言葉をヒントに、リアンが何度でも書き直していく。やがてその絵は、エリシュカの記憶にあるのと同じ形にまでなった。
「すごい……!」
まだ幼いリアンやエリシュカにそれは作れなかったけれど、エリシュカは満足だった。なにより、自分の言うことを疑わず、たとえ絵だとしても目に見える形にしてくれたリアンがすごいと思った。
それ以来、エリシュカはリアンに懐いた。彼の行くところに、常に後ろからちょこちょこと着いていく。
リアンといると癇癪をおこさないと気づいた世話係のサビナは、キンスキー伯爵にそれを進言し、リアンをエリシュカ付きの従僕見習いとした。
こうして、リアンとエリシュカは、べったりと過ごすことになったのだ。