疑惑
根井家の二人が去ると、巴は改めて幸広に向き直った。
「弥平殿、元はと言えば、私が山吹殿に、要らぬ事を申したのです。やはり責めは、私にございます」
まさか、ここまでの事態になるとは、予想していなかった。
巴が、山吹に本心を明かしたのは、彼女が身を引くことを期待したからではない。山吹は疾うに、義仲だけでなく、巴の想いにも気付いていた。山吹とて海野の娘、義仲の心が誰にあろうが、この話が覆ることなどないと、知っているはずだ。
だから、邪推のまま曖昧なままにするより、全てを承知の上でこそ彼女の覚悟も決まるのではないかと、考えたからだ。
しかし、それは所詮、巴の独りよがりだったのかもしれない。
「我らとて、冠者殿のお心をどうこうはできぬ。また、家臣が主を慕うは、当然のこと。男女の情が入ろうとも、それ以上に忠節を守るなら、巴殿がお気になさることではない。そもそも、巴殿はともかく、冠者殿のお心には、父も早くから気付いておられた。無論、かと言うて、山吹以外を嫡妻にすることもできぬ。山吹も、少々我儘を言うたところで、それが叶うとは思うておらぬはずじゃ。ただ……」
巴の話を、事も無げに受け止めた幸広だが、ふと言葉が途切れた。
「唐糸殿、でございましょうか」
「左様。昨日は、唐糸殿がお出でたことで、話がややこしくなってしもうた。小室殿が、娘御を連れて来られるなど珍しいと思うたが……」
「確かに……他家の御方を何かと言いたくはございませぬが、山吹殿が冠者殿とのことを躊躇っておられると、あの場で言われたのは唐糸殿でございました」
それも、義仲と巴が、殊に親しい様子だと指摘した上でのことだ。昨日は、巴にも油断があったかもしれない。
けれど、義仲と中原家が親しいのは、何も巴に限ったことではなく、またあの程度の会話は、兼平が巴をからかい義仲が助け船を出すのは、日常茶飯事であり、わざわざ指摘される程のことではないはずなのだ。
「言われてみればそうであったな。山吹のことは、小室殿が娘御に話されたのであろうが、当人がおられねば、これ程の事態には陥っていなかったであろうな」
山吹を措いて、義仲の嫡妻に相応しい娘はいない。
しかし、万が一そうはならなかった場合、またそうでなくても妾妻の候補として、巴より、遥かに有利な立場にある唐糸という存在が、滋野の皆に認識されたのだ。
そして早くもその場で、山吹にその気がないのであればと、嫡妻に唐糸を推す声も挙がっていた。
「念のためだが、巴殿が山吹に御本心を話されたことは、他に誰が御存知であろうか」
「他には誰も……ただ、父や兄達は察しておるやもしれませぬ。となれば自然、冠者殿も御存知やもしれませぬが……」
しかし、彼らがそれを知っていても、不用意に外へ漏らすとは考え難い。知られれば巴の立場が危うくなることなど、明白である。
今回に限り、唐糸が父光兼に同行したのは、偶然だろうか。巴がそう疑念を抱いた時、幸広もまた、同じ事を呟いた。
「偶然にしては、出来すぎておるやもしれぬな」




