負傷
「危ないっ」
その声に少女は、慌てて振り返った。しかし、それより速く、声を掛けた少年が、少女に覆い被さる。
その瞬間、一本の矢が、少年の左腕に刺さった。
「駒王丸様……」
少女は、少年の腕から血が流れるのに気付き、自分が庇われたと知った。
「巴は、大丈夫か」
少年は、腕の痛みを堪えながら、少女を気遣った。
「馬鹿者っ」
駒王丸の負傷を知った巴の父中原兼遠は、娘の頬を打った。
「も、申し訳ございません……」
温厚な兼遠は、日頃、使用人にさえ手を出すことはない。だから巴も、頬を打たれたのは初めてであった。それだけに、事の重大さを感じ取った。
「駒王丸様は、我らがお預かり申し上げている、大切な御方なのだ。駒王丸様の御為に、我らが命を捨てることはあっても、駒王丸様を危険に晒すなど、あってはならぬ。滋野の、この中原の者である以上、それは女子であっても同じこと。その点、よくよく心得よ」
父の言葉は、少し難しかった。けれど、今日の自分が間違っていたことは、わかった。だから巴は、黙って頭を下げた。
「中原殿、此度は、俺が無理に巴を誘ったのだ。幸い、矢の刺さりも甘く、たいした怪我ではない。そのくらいで、もう……」
手当を終えた駒王丸が、延々と説教される巴を見かねて、間に入った。元はといえば、駒王丸のせいでもあるのだ。
この日兼遠は、駒王丸や巴を含む自身の子供達を連れて、恵奈郡の落合を訪れていた。落合は、中原の勢力下にある地ではあるが、隣り合う摂関家の荘園、遠山荘との境界争いが絶えない。落合を訪れたのは、領民の訴えがあってのことだったが、駒王丸や息子達に、その実情を見せておく目的もあった。
兼遠は、くれぐれも子供達だけで遠山荘に近付かないよう、厳命した。しかし駒王丸は、好奇心と冒険心から、巴を誘ってそれを破ったのだ。遠山荘の役人にしてみれば、子供とはいえ、侵入者には違いない。脅しのつもりで矢を射掛けたが、手元が狂って中ってしまった、というのが向こうの言い分であった。
「それはいけませぬ。駒王丸様のお誘いであったなら、それをお諫めするのが娘の役目。これに懲りて、駒王丸様も、少しは落ち着いてくだされ」
駒王丸にも、兼遠の小言が飛んでくる。
「すまぬ……だが、巴に怪我がなくてよかった。巴は女子だからな、顔に傷でも残ったら、後々大変だろう。それと、いくら俺の為とは言っても、あまりに早く、命を粗末にはしてくれるなよ。巴には、ずっと側にいて欲しいのだ」
駒王丸の言葉は、巴の胸に、何故かいつも以上に、心地よく響いた。しかし、その心地よさの正体に気付くには、巴はまだ幼かった。
「生涯、お仕え申し上げます」
ただ巴はこの日、一生を掛けて今日の恩を、駒王丸に返すことを誓った。